15
「黒崎です」
『おう。なんだ、体調不良か?』
「……いえ、そうじゃなくて。俺、もうそこには行かないかもしれないので、その連絡です」
『は?退職でもするつもりか?』
「はい、そうですね。…とりあえず、松嶋の事はよろしくお願いします」
『おい、ちょっと待て──』
一方的に話をして通話を切る。
いつもと同じ朝、そこから飛び出す準備はいつでも出来ていた。
「リタ、行こう」
「……うん」
*
青みがかったパール色の空に白銀の雲は浮かび、水平線の上を何処までも伸びていく。
酷く、酷く寒い冬だった。
波の音、砂浜を踏み締める音が寂しい。
人に溢れたこの世界で、誰もいない海辺。
冷たい潮風が二人を世界から切り離す。
「リタ、もう少し歩けそうか?」
「うん」
あれから、リタの身体機能は急激に衰えていった。
体が黒く染まれどラヴァーソウルが弱るなんて見た事も聞いた事もなかった。
しかし、彼女曰く、役目を終えたのだと。
理解できなかった、理解したくなかった。
俺の様なクズでも、誰かの前で一歩踏み出せば変われるのだと。
恐れていた、勇気がなかった。
誰かと関わり自分の世界を共有し、醜い自分を曝け出し、相手のエゴも受け入れる、そこに飛び込むよりも閉じこもっていたほうが楽だった。
でも、新しい明日はそこには無く、誰かと関わる事でしか生まれはしない。
未だに俺は一歩を踏み出せないまま、リタはいなくなる。
ただ、ひたすらに辛かった。
どうしようもなかった。
ただ、リタと日常を送るしか出来なかった。
リタが、人間であればよかったのに、そう何度、願ったか。
何度、その時間が永遠に続けばいいと思ったか。
リタはもう、まともに話す事も体を動かす事も出来なくなっている。
だから、ここへ来た。
いっその事、二人で消えてしまえればとも思った。
でも、それ以上に幸せだったんだ。
「キョウスケ」
「うん?あぁ、もう限界か」
俺はリタの体を支えながら砂浜にゆっくりと座らせる。
そして、その隣に俺も座ると、リタは俺の右腕に腕を絡め体を預ける。
「寒いな」
「うん」
リタの温もりが、段々と失われていく。
だから、伝えないと。
「リタ。俺は、リタに出会った時から恋に落ちていたんだ。誰かを好きになるなんて初めてだった。一緒に過ごして、世界のどんなものよりも大事な存在になった。……でも、リタは、いなくなってしまうんだよな」
「うん」
あれだけ澄んでいた声も掠れている。
そして、俺の声も涙で滲んでいく。
「俺、幸せだったよ。リタと出会えてよかった。リタと過ごせてよかった。リタと何でも話せて嬉しかった。本当に、幸せだった」
「……うん」
「だから、このまま、リタと一緒に消えてしまいたいって言ったら、怒るかな。いや、わかっているんだ。リタなら何を言うかなんて。でも、リタがいない世界を、想像したくないんだ」
リタを困らせてはいけない、そう理解しつつも俺はわがままを述べてしまう。
ああ、それだけ大きな存在だったんだ。
他にも色々と一緒にしたい事もあったと後悔だってしている。
「わたしは、ここに、いる」
「……そうだな。リタ」
リタの体が、崩れ始める。
「キョウスケ」
「リタ」
リタが、砂の様に崩れ風に攫われ消えていく。
「リタ、俺はずっと、リタを想い続ける。生きて、生きていくから」
「うん」
「リタ、ありがとう」
*
静寂に響く波の音が現実を突き付ける。
お前は孤独だ、お前はヒトとしてヒトと生きていかねばならないと。
その場にうずくまり動けなかった。
俺の隣には、もう誰もいない。
それでも、リタが残したものは確かにここにあって、それが余計に胸を締め付ける。
いや、リタだけじゃなくラヴァーソウルたちは人間に伝えようとしていたんだ。
誰を想い繋がり生きよと、それが出来なければせめて花となり散って死ねと。
その想いを無碍には出来ない。
「こんな所にいやがったか!」
突然、聞き覚えのある声が聞こえる。
幻聴かどうかすら関係ない、俺は動けない。
「センパイ……」
「松嶋、連れて行くぞ」
「ま、待ってください。センパイ、リタという方からメッセージが送られてきてました」
俺は思わず顔を上げる。
「センパイの連絡先から今朝、届いてました。センパイの事、よろしくお願いしますって」
いつの間に、そんな事を。
ああ、リタ。
そうまでして俺の事を。
枯れた涙が再び溢れ出す。
「松嶋、そっちを支えろ」
「はい」
両サイドから腕を持ち上げられ立ち上がり、そのまま、ズルズルと引き摺られて行く。
「……一人で、歩けます」
「馬鹿。たまには誰かを頼れ。この世界はな、お前が思っているよりちょっとだけ優しいんだ。だから、何でも話せ」
「……はい」
この世界は続いていく。
俺は、生きていく。
いつかまた、前を向ける日が来ると信じて。