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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

分離する男

作者: 鬼々




 その夜、俺は同僚の里中に誘われ、会社ちかくの居酒屋に顔をだしていた。


「ようやく仕事が終わったんだ。まずは乾杯しようじゃないか」


「ああ。そうだな」


 里中にいわれ、俺はビールの入った杯を鳴らした。ぎこちなく杯を置く。気まずい。俺はこの男とほとんど話したことが無かった。


「さてと、山田、お前に話しておきたい事があるんだ」


「そいつは俺が聞かなきゃいけないことか?」


「まあな」


 俺は里中を怪しんだ。この男の考えが一向に見えてこない。こいつは暗い印象で言葉数もすくなく、協調性に欠ける男だ。


 その男がよりにもよって俺に相談とは。怪しい。怪しすぎる。もしも、金を貸してくれなどという相談なら、逡巡なく断るつもりなのだが。


「明日さ、部長を殺そうと思うんだよね」


「……え?」


「だからさ、うちの会社の部長を殺すんだ」


「ああ、冗談か」


「本気だよ」


 里中の目はまっすぐに俺の方を向いていた。実行するつもりらしい。俺はとめた。


「……お前に何があったのかは知らないが、考えなおせ。確かにうちの会社の部長は性格がわるい。だが恨むほどじゃないだろう。たった一度しかない人生を棒に振るつもりなのか?」


「おいおい、誤解するなよ。俺はなにも部長を恨んでいるわけじゃない」


「じゃあ、何故だ」


 どうして、部長を殺すなどと言い出したのか。しばしの沈黙。そして、里中は口をひらいた。

 

「強いていえば……世界にインパクトを与えたいってとこだな」


 俺は開いた口がふさがらなかった。だが、次第に事情がのみこめてきた。つまりだ。この男は、世界を認めることができず、自己愛だけをこじらせ、遂には武力で世界を変えるという発想にいたったわけだ。


「やめておけよ。里中。いい事ないぞ。人を殺しても何も変わらないんだ」


「いいや、もう決めたんだ。明日の朝にやるよ」


 里中はつよく言いきった。俺は何も反論できなくなった。


「ああ、そうか。わかった。お前は人を殺す。それはわかった。じゃあ、その計画を俺に話したのは何故だ」


 ここまで聞いたからには、俺はこいつを警戒せざるおえない。まさか、俺にその歪んだ犯罪計画のお手伝いをしてくれと頼むつもりじゃ無いよな。


「はは、お前に面倒は頼まないよ。ただね、見ていて欲しいんだ。計画を実行するまでのいきさつをね」


「俺はただ見ているだけで良いのか?」


「そうだよ。それは意味のあることなんだ。それは世界へのインパクトなんだ」


 何故だか、すっと肩の荷がおりた。どうやら俺にはなんの義務もないようだ。彼の言葉をもう一度心の中で反芻する。


 発言の確証は明日の朝になるまで得られそうにないが、どちらにしたって関係ない。俺にはなんの関係もないのだから。


「言いたい事はそれだけだ。じゃあ明日」


「おお、また明日。ああ、ちょっと待った。勘定は」


 里中はふくみ笑いを残し、店から去ってしまった。追うこともできたが、追わなかった。何故なら、里中にとって、これが最後の晩餐になるだろうから。いや朝ご飯は食べるのか?まあいい。


 俺は食事を二人分たいらげ、二人分の代金をはらって居酒屋を出た。腹は重たかったが、足取りは軽かった。


 昔から危ないことに興味はあった。だが、真っ当な性格だから、犯罪などには関わりあいのない人生だと思っていた。

 

 しかし、唐突にその機会がやってきた。罪悪感はない。俺はこんなにも冷たい人間だったのか。おい、部長が死ぬんだぞ。結構おもしろそうだな。


 明日はきっと忘れられない日になる。それは傑作とよばれる映画のどんなワンカットよりも深く、脳内に刻みこまれる記憶になるだろう。

      

 他人の死を映画にたとえる自分に対して、少しの後ろめたさはあるが、ふと考える。それが犯罪映画だろうが、実際の犯罪だろうが、傍観者である俺になんの関係があるのか。そこにユーモアを感じる取ることができればそれでいいのだ。明日を夢想し、俺は目を細めた。







 次の日、朝九時。会社にてそのときが来た。始業時間のまえに俺を含めた社員達へむかって、部長はこう言った。


「皆んな、最近は会社の玄関がいつも汚れている。これでは会社の恥を世間に晒しているような物だ。清掃員にも言ったんだが、靴の土をよく落としてから玄関へ入るように。わかったか」


 笑いを堪えるのが大変だった。“靴の土を落としてから玄関へ入るように”これが部長の最後の言葉か。


 ならば、部長夫人には通夜でこうお伝えしよう。部長は最後にこう言い遺しておりました。靴の土を落としてから玄関へ入るように……ぱたり。唖然とした部長夫人の顔が目にうかぶ。


 そのときだ。


「部長、折りいってお話があります」


「な、何だ。突然、や」


「失礼します!」


 里中が突撃。ナイフを部長の腹につきたてる。社員たちの悲鳴があがり、部長がたおれた。俺はなにもしなかった。他の社員達と同様にただ見ていた。誰も俺のことなど気にしていなかっただろう。







 俺はすぐに警察署で取り調べを受けることになった。年配の刑事が俺に言った。


「きみ、自分が何をしたのかわかっているのか」


 わからない。俺が何をした。俺はただ他の社員と同じように見ていただけだ。罪に問われるはずがない。それが何故。


「質問を変えよう。きみは昨晩、居酒屋にいたね」


 背すじが凍る。事情を察した。どうやら目の前にいるこの男は、俺と里中が共謀して部長を殺したと思っているらしい。


「誤解ですよ、刑事さん。ええ。確かに俺は昨晩あの男と居酒屋で会いました。それは事実です」


「そうか」


「ですが、それだけです。刑事さん、例の犯行は里中が単独でおこなった物です。信じてください」


「そうか?」


「……刑事さん、信じてませんね。わかりましたよ。洗いざらい白状しますとね、俺はあの男から、部長の殺害計画を聞きましたよ。この耳ではっきりとね。だけどそれは、居酒屋で酒を飲みながらの話です。酔っぱらいの与太話です。誰が本気にしますか。つまらない冗談だと受けとったんですよ。信じてください!」


 刑事は言った。


「殺したのは、お前だよ」


「だからね、刑事さん。俺はただの冗談だと」


「里中という人間は存在しない」


 意味がわからなかった。刑事は続ける。


「お前の会社に里中という人間はいない。お前は殺害を自分で計画し、お前が部長を殺したんだ。だからここにお前がいる」


「そんな訳ないでしょう。だって昨日、居酒屋で」


「居酒屋にいたのはお前ひとりだ。お前はひとりで居酒屋に入り、ふたり分の酒と料理を注文し、ふたり分しゃべり、ふたり分の料理をひとりで食べ、ひとりで店をでた。目撃者の証言があるから間違いない」


 なにも言えなかった。それなのに冷や汗だけは止まらなかった。刑事は言った。


「解離性同一性障害、いわゆる多重人格というやつだ。店での会話はすべてお前の妄想なんだよ。お前の心の中にのみ居るんだろう。里中という人物が」


「心の中にいる?誰が、誰かがいる?」


 俺は想定外のことに何もいえなかった。そうさ、今までのお前がそうしてきたように、俺はこの光景を傍観しているんだ。そう、この俺こそが里中なのさ……。


「うわああああ!」


 身体は叫ぶ。あの言葉の謎がとけた。世界にインパクトを与えるというのは現実の世界ではなく、俺とお前のいるこの精神的な世界のことだったのか。


 だから、里中は言ったのだ。ただ見ていろと。あれは自分の行動を邪魔するなという意味だったのだ。刑事はもう何も言わなかった。俺の目からは涙が出てきた。


「ははは」


 俺は泣いた。俺は笑った。俺は誰だ?この分離した心身はこれから先、一体どこへ向かって進んでいくのだろうか。




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