あんドーナツ
その日、僕は黄色のカッパを着て勇んだ。
頭に思い描いていたのは、友達の喜ぶ顔だった。
自信はあったのだ。
たとえそれが、テレビドラマの受け売りであったとしても、行いは良いことであると僕は思っていた。
これは相手にとって喜ばし事。
こんなにも自分の事を気に掛けている友人がいるのだ、と彼は天にも昇るくらい気持ちを高揚させるだろう。
友達の家までは二十分くらいの道のりだっただろうか。
もっとも、それは子供用の自転車を乗ったり押したりして辿り着くような時間であったので、体感している情況は、子供だった僕にとっては冒険に等しかった。
近所の駄菓子屋で、自分好みの菓子を買った。メインは大好物のあんドーナツだった。
飾りも無いただの白い紙袋、駄菓子用の小さな紙袋はパンパンに膨らんだ。友達の喜ぶ様子が目に浮かんでいた。
降りしきる雨。左右にブレるハンドルが自転車の軌跡を蛇行させた。
手は冷たく、然れど心は温かく。胸は躍る。
確かこの辺りだった、と住宅街の路地を右に曲がり左に曲がる。
ようやく標識を見つけたときには、夢心地になり、その時の僕は、ドラマの主人公の少年とリンクしていた。
ピンポーン。
自分の家とは違い、この建物は新興住宅街にあるピカピカの家。
自分の家とは違い、洒落たドアがあり、インターホンがある。朱色が錆びた郵便受けなどは見られなかった。
ピンポーン。
誰も出て来なかった。
どうやら、不在のようで、だから仕方なしに家路についた。
「この雨の中を何処に行っていたの?」母の声を上の空で聞きながら、雨音を聞く。
次の日、教室に入ると元気そうな友達の顔が見えた。
良かった、彼の風邪は、どうやらたいした事では無かったらしい。
安堵すると同時に、僕は期待に胸を躍らせた。
クラスメイトと軽く言葉を交わしながら、僕は友達に近付いていった。
友達は、別の友達と何やら盛り上がっていた。
「不気味だったんだ」
友達が、身を震わせる仕草で戯けた。
何があったのだろうか、と心配したけど、そんなことよりも、自分への感謝と称賛の方が気になっていた。
「気持ち悪いから」
何が? と思いつつ話の先を待った。
教室の窓から見える秋の空は澄んで高い。前日の雨模様が一変して快晴となっていた。
結局、僕が郵便受けに入れたお菓子は、友達の母親に捨てられてしまっていた。
三度の冒険の末に手渡せなかったお見舞いの品は、誰からとも知れぬ不気味なモノとして処分されていた。
その後、彼と遊ぶことは無かったように思う。少なくとも、思い出は無かった。
キャンパスを行く。
あの日と同じ快晴、色づく銀杏並木の下から澄んだ青空を見上げる。
背中からガッシリと肩を掴まれて、肩口に破顔する友人の顔を見て苦笑を溢す。
彼は、言う。
「お前に何があっても、俺はお前の友達だ」
「はいはい」
僕は、毎度おざなりに答えていた。
果たして僕は、彼の友人なのだろうか?
僕のこんな内心を知れば、彼は何を思い、どのように行動するのだろうか。
小学校二年生の、あの雨の日から、周囲との距離感が分からなくなっている僕に、今の情況は理解出来ない。中学も高校も、友人には恵まれたと感謝の気持ちは持っているが、だからといって、彼らは、真に僕の友人だったのだろうか。
人の気持ちはいつも一方通行で、釣り合いなど取れないものだ。
結局、人は一人で、気持ちも独り善がりである。人間関係に等価はなく、綺麗事は所詮は絵面でしか無い。友人関係など、一過性の馴れ合いでしか無い。
仮面を付けた僕の、適当な受け答えに不満顔を見せる友人。
そんな彼に、なんとなく問うてみた。
「僕は、きっとお前に何も与えられない。友達と思っていないかもしれない。それでも、お前は僕を友達と呼ぶのか」
彼は笑った。
「バカなの? そもそも、友かどうかは俺が決めればそれでいいだろう」
「そうか」
秋の風がキャンパスを抜ける。
あんドーナツは、和菓子のなのか、洋菓子なのか。
僕の友人は、美味しければ、それで良いと僕に教えてくれた。
久しぶりに、食べてみようか。




