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はじまりの魔法陣  作者: 円夢
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5.屑虫

※文中、虫に関する不快な表現があります。苦手な方はご注意ください。

 秋分の次の満月に始まった召喚試験は、新月を経て次の満月まで、約ひと月にわたって続く。

 その間、受験者は何度挑戦してもいいし、途中で休みを取ってもいい。

 ただし、一度魔物が召喚されれば、その時点で試験は終わり。やり直しは一切きかない。

 そんなわけで、日が落ちた後の大講堂は、やや閑散とし始めていた。


「焦って格下の魔物を召喚()んじまうくらいなら、じっくり腰を据えて大物を狙ったほうがいいもんな」

「確かに」


 などと話しながら、モップで陣を消している生徒たち。

 きれいになった仕切りを後に、連れ立って食堂へ向かう者もいる。

 ニッセの授業で陣を描く練習をどれだけしても、実際に魔物を呼び出すのは、みな今回が初めてだ。

 その召喚で現れた魔物が今後の人生を決めるとなれば、大部分の生徒たちが慎重になるのも無理はなかった。

 初日に、しかもただ一度陣を描いただけで躊躇なく召喚を行ったドルトのほうが特殊なのだ。


 カイラもまた、陣こそ一応描き終えたものの、召喚へのふんぎりがつかないまま、モップとバケツを取りにいこうとしていた。

 広い講堂を横切っていると、地を這うような低いつぶやきが聞こえてくる。


「……い……出て……い」


 見ると、後ろのほうの仕切りの中で、男がひとりうずくまり、何やらさかんにつぶやいていた。


「来い……出てこい……金貨蝶(キンカチョウ)! 金貨蝶金貨蝶金貨蝶金貨蝶……」


 カイラの知らない男だった。魔法院の生徒ではない。召喚試験は生徒でなくても受けられるから、このためだけにやってきた外部の人間かもしれない。

 上等な天鵞絨(ビロード)の平たい帽子に、刺繍の入った毛織の上着。一見すると裕福な商人らしい出で立ちだが、艶のない髪はぼさぼさに乱れ、服はあちこちほつれて糸がはみ出ている。こけた頬は無精髭に覆われ、目はらんらんと光っていて、どう見てもまともな精神状態ではなかった。


(怖っ)


 こういう人物には近づかないに限る、とカイラがそっと離れようとしたとき。

 男がふと顔を上げ、カイラとばっちり目が合ってしまった。

 まずい! と思う間もなく、鉤爪のように曲がった指が伸びてきて、カイラの腕をがっちり摑む。


「お嬢さん! 金貨蝶の記号はこれでいいんですよね。合ってますよね!?」


 指さすほうを見れば、男の召喚陣は外周も内陣もいびつに歪み、書かれた文字も紋様も、判別が難しいほど乱れていた。


「ね! ちゃんと調べて書いたんですよ、『金貨蝶』って。これでいいんでしょう? これで金貨蝶が出てくるんでしょう?」

「いいえ。召喚()び出す魔物は指定できないんです。陣はここと異界を繋ぐだけで、私たちができるのは、ただ――」


 カイラは説明しかけたが、男は「嘘だ!」と唾を飛ばして遮った。


「私にはどうしても金貨蝶が()るんだ。金貨蝶さえ手に入れば、店も何もかもやり直せる。そうだ、ちゃんと知ってるぞ! 金貨蝶を出すには、こうして円を閉じて呼べばいいんだ。さっき、あのお兄さんがやってたように。天と地と、そのあわいを満たす空。三なる円もて我は召喚ぶ……」

「だめ、やめて!」


 カイラは驚いて叫んだ。


「初めての召喚は、誰か先生がいるときでないと……!」


 慌てて教壇を振り向けば、ニッセが悪態をつきながらこちらに駆けてくる。

 だが、その間も男の詠唱は続いた。


「出てこい、金貨蝶!

 私はおまえと終生の契りを交わす!

 来て、私に富をもたらせ!

 私はおまえをズラートと名づける。

 来い、ズラート、私のもとへ!」


 カイラは息を呑んで、男の召喚陣を見下ろした。

 

(運が良ければ失敗するかも)


 こんなでたらめな召喚陣で、あんなめちゃくちゃな詠唱で、魔物が呼べるはずがない。

 そう思う一方で、カイラはまた、ニッセが日ごろ口を酸っぱくして言っていたことも思い出していた。


『実のところ、召喚陣は補助に過ぎん。真に異界の門を開くのは、召喚()び手の思いの強さなのだ。どうしても何かが欲しい、命と引き換えにしてでもあることを成したい。危険なまでに(こご)ったその欲が、魔物どを呼び寄せるのさ』


 男の召喚陣は、しばらくの間、何の反応も示さなかった。


「失敗か?」


 そばに来たニッセが、ほっとしたように息をつく。

 だが、次の瞬間、歪んだ召喚陣の中央から、どす黒い塵のようなものが噴き出した。


「離れてろ!」


 ニッセが怒鳴り、カイラを仕切りから突き飛ばす。

 勢いで尻餅をついたまま、カイラは魅入られたように、黒い塵が次第に形を成していくのを見守った。

 いったんは天井近くまで吹き上がった塵は、ざあっと流れ落ちてくると、陣の中央に小さく凝集し、しまいに長い触覚と、七本の脚を持つてらてらした黒い虫になった。


「はっ、屑虫(クズムシ)か。この程度で済んでよかったな」


 皮肉な口調でニッセが言う。


「おめでとう。これであんたも召喚士の端くれだ」


 男は茫然とした表情で、ニッセと虫を見比べた。


「金貨蝶じゃ……ない?」

「もちろん違う」と、ニッセ。「こいつは屑虫っつってな。名前の通り、屑を食って大きくなるだけの無害な魔物だ。あんなむちゃくちゃな陣で呼び出したにしちゃ、上等な部類だよ」


 屑虫が、わさわさと脚を動かして陣を出ると、召喚陣はどろりと溶けて消え去った。虫はそのまま、召喚主である男の脛をよじ登る。

 男は悲鳴を上げて黒い虫を払い落とした。


「いやだ、こんな気持ち悪い虫はいらない!」

「いらないって言われてもなあ」


 ニッセはにやにやしながら顎を撫でる。


「おまえさん、さっき、こいつと終生の契りを交わしたろ? 文字通り、死ぬまで一緒って誓ったわけだ。「はじまりの契約」はそう簡単に反故にはできないぜ」

「そんな……」


 男はしばらくの間、唇を震わせて黙り込んでいたが、やがてぱっと目を輝かせた。


「わかった! なら、こうすればいいんだ!」

「あ、よせ!」


 ニッセの制止は一瞬遅く、男は靴の踵で屑虫を思い切り踏み(にじ)っていた。


「そうとも。死ぬまで一緒というなら、殺してしまえば……があっ!」


 屑虫が潰れると同時に、男の口から大量の血が噴き出す。その身体が大きくひしゃげ、体中のあちこちで骨が折れるいやな音がした。

 と同時に、消えたはずの召喚陣が再び床に現れ、潰れた屑虫と男の身体を吸い込むと、溶けるように消えていく。

 そうして、後には何も残らなかった。

 ニッセがひとつ舌打ちする。


「――ったく。人の話は最後まで聞けってんだ」


 そうして、カイラの頭をぽんと叩くと、再び教壇へ戻っていった。

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