第三話 実績は自信になる
「灰宮さん、灰宮さん」
「なんでしょう言村くん」
「あのー、俺のリフティングなんてスケッチしてて楽しいですか?自分で言うのもあれだけどボールが俺の足で空中に跳ね続けてるだけでなんの変化も面白味もないですけど」
スケッチブックを開いて俺を観察する灰宮に顔だけ向けて、話してる間も足はずっとボールを蹴る。
十歳でサッカーを始めてからずっと続けてるリフティングはいまやボールを見ないでも落とさず続けられる。
現在は放課後、そしてここは第二美術室のすぐ下にあるグラウンド。体育着に着替えた俺は今度の大会の助っ人としての練習に励んでいた。そんな俺を見て灰宮はなにを考えたのスケッチしてもいいかと聞いてきた。
断る理由も特になかったからいいよと答えた。
いいよと答えたけどいざ受けてみたら意外と羞恥を感じる。絵のモデルになるのは写真を撮られる時に似ている。
動いてる姿を描きたいから動かないでと言われることもないが、ずっと視線を感じるのは正直言ってかなり精神にクる。
ジロジロ舐め回すように不躾に見られてる訳ではないが、ジッと真剣な熱を帯びた目で見つめられるのはなんだか俺の隠したい場所まで見られてしまうような気がする。
その眼差しからなんだか気を逸らしたくてどうでもいいことを話し始めてしまった。
「あら?そんなことはありません。それだけ上手にリフティングが出来ているということは言村くんが出来るまでやり続けたという努力の証明でしょう?面白味がないだなんてとんでもない、そうなるまでの過程はどんなものだろうと考えてしまう面白味しかありません」
「…そうか」
面白味しかないだなんて、そんな褒められ方をされたのは人生ではじめてだ。
灰宮は変わらずじっと僕を見つめてはスケッチブックに鉛筆で描くのを繰り返している。
僕も変わらずリフティングを続けてはもうこれで五百回目になる。ちなみに最高記録は千二百回だ。
「では言村くん。私からも質問です。あなたはサッカーとバレーをしているのですよね?一つに絞らず二つしているのはなぜ?」
「それはまぁ単純に俺がどっちも好きでどっちかにするか決められていないから」
「あらまぁ素早いお返事」
「俺としてはどっちも大好きでどっちも真剣。でも、世界中見たってサッカーとバレー一緒にやってるやつはいないだろ?だから俺は将来きっと、どっちかを諦めてどっちかを選ばなきゃいけない時が来ると思ってる」
趣味の範囲でやるのならばどちらもやる人はかなりいるだろう。でも、それを仕事としていくのならば話は別だ。
俺はサッカーもバレーもどちらも自分の数少ない取り柄だと思っているし、実際にサッカーもバレーもドイツのクラブチームからスカウトの話を受けたことがある。答えを出すのは中学を卒業するまで保留にして欲しいと答えた。
自分の取り柄が世界のトップから認めて貰えたというのは素直に嬉しい。でもそれは俺がどちらかを選ばなければいけない時が近づいてきているということだ。
「ではあなたは何を理由にしてどちらの競技で仕事していくことを望むのですか?」
「………中学三年生は俺にとって命がいくつあっても足りない波乱の年になるって、知り合いの神主が言ってた。だから、これからの一年間で俺の命を救った方を生涯の仕事にしたい」
「つまり、芸は身を助けるをより強く実感したほうの競技を選ぶということですか?」
「うん」
去年の年越しの日、網野と一緒に父さんの幼馴染で顔馴染みの神職・蟻堅覚兵衛に言われたことだ。
父さんの幼馴染なのだから少なくとも三十代後半のはずなのにどう見ても成熟した大人の雰囲気を醸し出す10代後半(しかも純日本的な角ばった名前とは裏腹にパリとかにいそうなオシャレでスタイリッシュな体の男だ。名は体を表すだなんて言葉もアテにならない時があるらしい)にしか見えない年齢不詳の男は年末に会った俺を見るなりこう言った。
『天気予報のようなものだから教えてやる。知らずにいたら理不尽だと嘆くところを嘆かずに済むようにするわっちの心遣いに感謝しろよ少年?明日から始まる来年、お前は命がいくつあっても足りないほどに理に敵わない目に遭うことになる。そしてそれからはどう足掻いても逃れられない。せいぜい備えておけ』
正直「は?」となる内容なのだが、悔しいことに蟻堅のこういう予言めいた話は全て現実になる。
奴が今まで口にしてきた未来に関する内容の全て、どれ一つとして外れたことがない。本当に未来が見えているとしか思えない奴だというのは父さんの談だ。
そんな奴から今年一年について言われてしまったという事は本当に俺の命がいくつあっても足りないようなことが起こるというのは確定事項だ。備えておけということの具体的な
内容はあまり教えてくれなかったけど、俺がいつもしていることをいつも以上に魂を込めてやり続けろとだけ言われた。
それが良くない未来に備えるということであれば喜んでする。そしてその続けてきたことが命を救ってくれたなら俺はそれを生涯の仕事に選ぼうと思っている。
どうせ仕事にするなら思い入れのあるほうが良い。
「それは思い入れというよりも命を守ったという思い出では?」
「あー、そっか言葉の意味として思い出の方がいいか」
「でも、なんだかその考えは理解できます。自分自身の命を咄嗟に守ることができるほど磨いた技術なら、その競技における自分のそれからも信用できると思いますし」
人は絶体絶命の状況に陥った時、男女問わず動けなくなることが殆どだ。でもそんな時に自分自身の経験と技術でその場を切り抜けて事態を解決できたら自分の技術への思いも強くなるだろうし、咄嗟にその技術を使うことができた経験は自分自身への信頼を強くする。そうなったらきっと、プロとして試合をしていくのだとしても命を失うかどうかだという事態を技術で生き延びたという実績をもって確かな自信を身につけてやっていけるだろうから、あとは怪我にさえ気をつければどんな時でもフルスペックの実力を発揮できるようにな選手になれる。
つまり、実績を作った方を選ぶって話だ。
本番におけるマイナス要素の一つは自分がやってきたことは通じるのかって漠然とした不安だと思う。
そのマイナスはどうしようもない理不尽を跳ね除けられたっていう実績と経験があればそれは感じなくなる