第ニ話 美は狂わせる、美は破滅させる
美しさとは無用なもので、毒のようなもの。
けれど我らは求めずにはいられない。
それはきっとその毒こそが史上の価値だと我らは知るからに他ならない
灰宮アイネという少女について俺が語れることはほとんどない。
嘘はなく、本当に何も知らない。語れるに値するようなことはない。知っていることといえば、校内で知られていること程度だ。
宮城県立かささぎ第一中学美術部所属の三年生。
身長は161cm、女子中学生の平均よりほんの少し低いだけの身長と、全国的にカルトな人気を誇る(実際に男女問わず卒業生には制服の超高額買取りの話が権力者達から来たらしい)、上着とスカートフロントにかささぎの橋を思わせるような雅な刺繍が施されたかささぎ第一の女子制服であるセーラー服を胸元の空色のスカーフを揺らしながら誰よりも美しく、雅に、見事に着こなす東北どころか東洋一番といってもいいほどの美少女、だそうだ。
「なぁ綱野、灰宮アイネって知ってるか?」
「知ってるけど、どうした?何か知りたいことでもできたのか?」
放課後、前の席の綱野ヒロと机を合わせて課題をこなしながら喋りつつ、灰宮について知らないかと問いかける。
「うん。実は灰宮とはここのところ毎日放課後に第二美術室で喋るようになってな」
「マジか、あの東の国の幻想と!?お前一体何したんだよ……」
「別にすごいことは何も。第二美術室まで画材を運んだ時に会って、その時に第二の入り口に飾ってある花の絵のことを聞いたらそこから話が弾んだ。ところで、何だその東の国の幻想って」
「あだ名だよ、灰宮の。この近くのインターナショナルスクールに通ってる外国生まれの生徒が灰宮のコトを一目見てそう読んだんだと」
どうやらそのインターナショナルスクール生は海外の上流階級出身で日本には両親の仕事の都合で滞在しているらしく、彼本人も幼い頃から一流の品に囲まれて育った為に審美眼は肥えているらしい。そんな上流階級のお坊ちゃんが灰宮のことを一目見てこんなにも美しいと思える存在には今まで出会ったことがないと心から賛美し、そう呼んだそうだ。
その後、そのお坊ちゃんは灰宮に対して崇拝のような感情を抱いておかしくなってしまったとか。
そのお坊ちゃんの気持ちは分かる気がする。
言うなれば崇拝するための美しさというのだろうか、人が己の身を、国を滅ぼしてまで手を伸ばす芸術作品のような美しさに近しいと思う。
花緑青の毒のように海馬に焼きつく輝く瞳も、前髪をカチューシャのように編み込んで整えて仔馬の尾のように揺れるオリオンブルーの三つ編みも、小さな桜貝のように形のよい唇もそれらを引き立てる雪のように白い肌と小さな顔、そして土台の細い首は、生まれてこの方サッカーとバレーボールに精を出して生きてきた美醜というものにとんと興味のない俺でさえ人間如きが近づいていい存在ではないと思ってしまう。
「……灰宮は迷惑じゃないんだろか、そういうの」
「崇拝されること?」
「うん」
世界史と美術の合体課題、各国の戦争や嫁入りなどの政治的ビッグイベントにおいてなぜ美術品は収集されたかそれらが果たした政治的役割を考慮しながら意見を述べよという問題に回答しながらふと考える。
収集されたのは彫刻や絵画、そのどれもが俺達のような平凡な凡人には綺麗だなと思う程度で手元に置きたいとは思わないし思えないものなのに、なんで一定以上の身分の人間はそういった美術品を手元に置きたがったのだろう。
いや、本題からは大分逸れてしまうが、なぜ人は美を求めてしまうのだろうか。それが決して生存や発展に役立たないものだとしても、誰かを破滅させてでも、己の破滅を招くものだとしても人はそれらを求めずにはいられないのだろうか。
「だってそうだろ、そういう扱いまるで灰宮が偶像信仰の対象になってるみたいでなんかゾッとする」
「言いたいことはなんとなく分かるわ。確かにあの崇拝っぷりはもう狂信の域に入っちゃってる感あるしな」
ドイツのルートヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城を借金をしてまで理想の城として作り自らの立場を危うくした。化粧品の歴史の中では毒が含まれている化粧品を使い体を壊してまで美しさを追い求める本末転倒なことをしていた女性たちもいる。
皆、美に対して狂気的なまでの執念といえる何かをもって『美しい』を追いかけていた。
―――古代において信仰を集めた大女神は地母神的性格と共に美の女神としても崇められたという
そして美の女神の多くは愛の神でもあり、彼女らに愛されることは男として最上の誉だったというのは神話の暗黙だ。
ふと、そんなことを考古学者の父に聞かされたこの話を思い出す。
残念なことに彼女たちに関わった男のほとんどは悲惨な最期を遂げている。
―――似ているな、と思った。
富と名声、権力を手にした英雄は美の極点たる女神に愛され、破滅させられる。
それはまるで人の代表としてこの世の頂点に立つ王が芸術に心奪われ、手をつけてはいけない金にまで手をつけてまで芸術品を収集して破滅の道を歩む姿に似ていると。
「なんか、灰宮と美術品って似てるな、って感じた。誰かの人生がその存在だけで致命的なくらい壊れるようなとことか。だからかな、崇拝されてその崇拝してくる相手が自分への信仰みたいなもんの為に破滅しそうな感じになるのってしんどくないのかな?」
「そればっかりはわかんねぇよな、俺ら別に心の中が読めるわけでもないから、灰宮が嫌がってるのかどうかなんて本人にしかわかんないことだろ」
それはそうだ。
「あ、そろそろ時間だし俺行くわ」
「え、どこに?」
「グラウンド。灰宮に俺のサッカー練習をスケッチさせる約束あるんだ」
「よかったな、美術のモデルになるなんて人生でそうないぞ。行ってこい」
「うん。行ってくる」
結局、俺たちが何を思っても灰宮がどう思うのかなんてことは本人がはっきりと意思表示しない限りわからないことだ。そういう風に思える俺たちはまだ美しいものがなにかだなんてこれっぽっちもわかっちゃいない子どもだからかもしれないけど。
今はまだ、それでいい。そんな気がした。