第一話 美しい花
宮城県立かささぎ第一中学。
まだまだ去冬の寒さが残る日々。学年が繰り上がったばかりの中学三年生は現在、エアコンから温かな空気の流れる教室でその日最後の科目である美術の授業を受けていた。
ーーーなんで人間は美しいものに惹かれるんだ?
元気で朗らかな美術教師の授業の声をbgmに無造作に開いた美術史の教科書の一ページに視線を落としながら、そんな哲学的なことを考える。
人間には個人差があり、生まれる場所も民族も環境も違う。現代文の教科書で見た文化圏ごとの美の捉え方の抽象的具体的や個人個人で独特の価値観というものがあり、普通や万人受けというものは存在しない。それでも世界中には美しいものが存在してその価値はあらゆる垣根を越えて認められて、時には戦争すらも引き起こす。
美術史の一ページには金を湯水のごとく使って美術品を収集する王や貴族達の話も載っていた。
昨夜に放送していたサスペンスドラマの内容は価値を讃えられる日本画を巡り起こる連続殺人だった。
何が彼らをそこまで駆り立てたのだろうか?
たった十五年の人生しか生きていない、芸術への造詣などほとんどない模範的中学生の言村静月は頬杖をつきながらそんなことを考える。
まんまる頭に黒い短い髪、先祖の代から「物の怪も裸足で逃げ出す」と言われる程に鋭い、業物の日本刀を思わせる青い吊り目が特徴的な少年。おまけに年齢の割に大きな背丈。威圧感は十分だ。
初見では怖がられやすいが、接しているうちに彼が不器用な面はあれど素直で思慮のある良い子だと分かるだろう。
とくに怖がられやすい要因たるその吊り目も、ふと哲学的な考えをして、思考に耽っている間は若干目つきが緩くなって丸くなり愛らしい。
ー・ー・ー・ー・ー
(第二美術室、第二美術室………)
どこにあったっけな?その部屋、と思いながら帰宅する生徒達や部活を始める生徒達の波間を頭ひとつ以上抜けた長身(187cm)の静月は悠々と歩いていく。――――目的地は分からないまま。
肩には機能性と耐久性重視のスポーツバッグ。両手で運ぶのは大きめの画材。
授業も全て終了し掃除当番ではないし部活もしていないので荷物を纏めて速やかに帰宅しようとしていたところ、焦った表情の担任の内田先生に声をかけられて今日中に第二美術室へ届けなければならないという画材を渡され、届けてくれるようにに言われてしまった。職員会議にまだ出席していない内田先生を呼び出す校内放送が聞こえて、先生は俺に対して申し訳なさそうに頭を下げてから行ってしまった。
たまに思うが、先生達はたまに俺達生徒を無給で使える職員か何かだと思っていないだろうか?
いや、内田先生は若干押しに弱めなとこがあるお人好しな人だし、本当に困っていたのだろう。
そんな少し闇があるような無いようなことを考えながらも第二美術室を探してまわる。
(あ、そういやウチの学校、各階の階段近くに学校の見取り図あったな。それ見れば分かるだろ)
階段近くまで直行して見取り図を発見。
見取り図で目的地を確認。
この階にある渡り廊下を渡って行ける別棟そのものが第二美術室のようだ。
俺は一体どれくらいあてどなく歩いていたのだろうか、部活を始めた生徒達は殆どが教室に入って、帰宅組は全員帰宅。廊下を歩くのは俺だけだ。
誰もいない廊下は音がしないが、無音空間特有の耳には聞こえない音が聞こえて来る。
心に直接聴こえてくる、寂しさを孕んだ乾いた音が結構好きだったりする。
渡り廊下は大きく陽が差し込むデザインになっているが、目に優しいように日光は入ってこない設計になっていて太陽の暖かさと柔らかく照らす光を全身に浴びることが出来て鬱病予防にとてもいいだろう。
考え事をしながら歩いているとあまり長くない渡り廊下がさらに短く感じる。渡り終わるとすぐに、音楽ホールの玄関口のような広い場所へ出た。
白くて円い空間に立つ俺の目の前には大きな赤茶色の洋風の両開きのドアが一つ。
空間を囲むように、ドアの周りに多くの絵が壁に飾られている。全て植物の絵だ。いくつかは見覚えがあるものだったが、残念ながら俺はあまり花に詳しく無いので名前までは分からない。
その中にふと目に入った白い小さな花の絵があった。
「ミルテの花‥?」
聞いたこともない名前の花だった。でも、その花は絵の中でとても美しく咲き誇っていた。
白くて小さな花が緑の葉の隙間から降り注ぐ光を浴びて輝いている情景が描かれたその絵画に俺の目は釘付けになった。
作者の名はーーー中学三年 灰宮アイネ
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
第二美術室の中は広かった。
授業で使われる第一とは異なり美術部の部員達や美術担当の先生達しか使わないからか、第一とは変わりの行き届きっぷりが目に見えて分かる。
第一よりも作品の数が少なく、管理されているからかすっきりとした印象を受ける第二美術室は、絵の具やキャンバス、彫刻刀などの画材がどこにあるのか一目でわかるような間取りになっている。
どこにこの画材を置こうか、と俺がきょろきょろしていると、ふわふわした柔らかいどこか中毒になりそうな暖かな声がかけられた。
「もしかして、キャンパスを運びに来てくれた方ですか?」
声の方向にいたのは、一人の女子だった。
ただ、同じ人間とは思えないほどにーーーーーー美しかった。
慈母という言葉に対しておそらく誰もが浮かべるであろう普遍的なイメージにピッタリな印象を与えられた嫋やかな少女だった。
声をかけられた俺は、
「あ、はい」
こんな返答しかできなかった。
女性経験皆無が丸出しである。なんて格好のつかない。