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おかえりとただいま


 精霊王の棲む森への行き方は、彼らの地を侵略し掌握した血筋の人間にしか伝えられない。

 普通の人間には森の姿が分からず、その血によって入り口は開かれる。


 彼らとの間で交わされた契約を守り、シェリールは、まだ兄のアパルでさえ訪れた事のない森の入り口まで来ていた。


 馬の脚でゆっくり旅をして十日。

 御者を必要とする馬車は利用できず、二人はそれぞれ与えられた馬に乗り、イザベラが手綱を握る馬のリズムに合わせて旅を続けた。


 そうして精霊の森に一番近い街で馬を預け、そこからは徒歩で行く。


 初めは気まずい空気の中で始まった旅も、シェリールの気さくな声掛けが続き、硬い空気はまぁるく変化していった。

 アパル王太子と婚約中であるイザベラも、頑なな態度を貫くのに疲れたのか、旅を始めてニ、三日でシェリールを避けるのをやめた。


「疲れてない?」

「お尻が痛いです」

 馬から降りて徒歩で移動を始めた二人。

 シートが広く深い鞍に座っていたからといえ、何日も長時間乗っていては、お尻が痛くなってしまう。

 服装も馬に乗っている間は、イザベラもキュロットズボンを履き、安全の為にヘルメットをつけて移動した。

 旅の荷物も馬が背負っていてくれたので、ある意味身軽ではあったが、今は必要な食料や寝袋は自分たちで背負わなければならない。と言っても、ほとんどシェリールが持ってくれてしまっているので、イザベラはほぼ身軽だ。

「それにしても乗馬、上手くなったね」

「いつの話をしているんですか」

 イザベラは過去の話を持ち出され唇を尖らせる。

 それはまだ二人が婚約関係にあった頃。

 馬に乗った経験のなかったイザベラは、嗜みの一つとして乗り方を教わった。

 馬に慣れる為と、自分と同じ毛色を持った馬を与えられ、ショコラと名付けた彼と触れ合った。

 毎日、厩舎(きゅうしゃ)に足を運び、彼らの世話をしてくれる馬丁に声を掛け、つぶらな瞳の彼に話し掛けながら毛ブラシをかける。

 そうして毎日短くはあるがショコラと時間を過ごし、ようやく一人で馬に乗る練習を始めた。……のだが、後ろに支えてくれる人がいないと、イザベラは上手くバランスが取れず、落馬してしそうになってしまう。

 せっかくショコラと仲良くなれて、これから一緒に走れると楽しみにしていたのに、彼に乗るイザベラに乗馬のセンスがないときた。

 練習を重ねれば乗れる様になる、とイザベラは頑張っていた。

 お茶をしていた時に「一緒に馬に乗りたい」と言葉をこぼしたシェリールの呟きを現実にしたいと思っていたのに、練習風景を見ていた教師たちに、怪我をしてしまっては元も子もないと止められてしまったのだ。

 お妃教育はダンスレッスンや立ち振る舞い、語学や歴史、薬学などの座学など多岐に渡り、まだどの項目も満足に出来ないイザベラは、泣く泣く乗馬は諦めた。

 それでも忙しい勉強の合間をぬって、ショコラに会いに厩舎に足を運んだりする事は続けていた。


「練習したんです」

 数年前は上手く乗ってあげる事が出来なくて悔しい思いをしたイザベラ。

 ずっと上手に走らせてあげられなかった事が心に引っかかっていた。

 城に戻ってきてから、久しぶりの厩舎に足を運び、まだショコラが元気にいてくれて嬉しくなり、馬丁の許可を取り、またここへ通ってもいいかと許しを得た。

 同じ茶色の毛色の馬は何頭もいたが、毎日触れてきた毛並みや大きな瞳を間違える筈もなく、嗅覚の鋭い彼も彼女の匂いを覚えていてくれたのか、直ぐに擦り寄ってきてくれた。

 前回乗りこなせなかった時よりもイザベラの身体が成長したからか、バランスを取る事も容易くなり、何より信頼関係の築けていたショコラが相方だからこそ、二度目のチャレンジは大成功だった。

 その日以降、イザベラはあの頃と同じように厩舎へ通い、ショコラの世話を手伝わせてもらいながら、乗馬の練習を積んでいた。


 シェリールと婚約している時にはまだ幼かったからか、精霊王の話は聞かされなかったが、まさか、今、特に強制されたとかではない乗馬の経験が役に立つとは思わなかったから、旅の大半をショコラと共に過ごせた事がイザベラは単純に嬉しかった。

 だから、シルワの街に置いてきてしまったショコラを思い、少し寂しくなってしまう。

 早く用事を済ませて撫でてあげたい。

 シェリールは隣で小さな手の平を見つめるイザベラを横目で見遣った。

 彼は彼で、まさかイザベラの乗馬が上達しているとは思っていなかったので、正直驚いた。二人きりの旅の中、小柄なイザベラを腕の中に囲い込み、森に着くまで堂々と宝物として扱えると考えていた彼の妄想は簡単に打ち砕かれた。

 彼女が馬に乗れるきっかけを作ったのが、幼かったシェリールの些細な一言が引き金になっているとは二人とも覚えていない。


「そろそろ着くよ」


「……」


 二人はこうして言葉を交わしながら時折喉を休め、歩を進めた。

 シェリールは隣に並ぶイザベラの歩調に合わせ歩幅を小さくし、自ら願い出た本来の旅の目的達成について考えながらも、いつまでも二人だけの時間が終わる事のない様に願っていた。


「……?」


 歩き疲れてしまったのか。


 気付けばシェリールばかりが口を開いていて、森に近付くにつれ、イザベラの口数が減っていく。

 少し休むことを提案したりもしたが、彼女がそれを拒み、ついに隣り合って歩いていたイザベラの足が止まってしまった。

「イザベラ?」

 彼女の動きにシェリールも半歩進んだ位置で止まり、少し振り向く。


「声が……」

「声?」

 声を掛けた主のいる方ではなく、きょろきょろと、少し視線を上げた先を見ながらイザベラは呟く。

「誰の声?」

 イザベラ以外の人の声など聞こえないシェリールは、戸惑いを見せる彼女を見守る。

「おかえりって言われてる」

「え?」

「早く」

 イザベラは立ち止まった足を地面から離し再び歩き出す。

「え?どうしたの。急に」

「分からない」

 分からないけれど、前に進む足が軽くなっているのが分かる。

 さっきまではシェリールの方が先導して先を歩いていたのに、彼が居なくても何処へ行けばいいのか足が進んでくれる。

「けど、ドキドキする」

「……」

 シェリールと話しながらも、色んなところから「おかえり」「待ってたよ」「待ってるよ」と声が聞こえる。

 シェリールは目的地まであとどれくらいか、何も言ってくれなかった。しかし、イザベラがそれを不安に思わなかったのは、精霊王の棲む森に近付いているのだろうなという感覚があったから。足を進めると、精霊たちの姿が多くなっていった。

 そうして、次第に今まで聞こえなかった、恐らく彼らの声が耳に届き始めた。


『おかえり』

『おかえり』

『おかえり』


 嬉しそうに、弾む様に、音色の様な声がイザベラの耳を刺激する。


「行かなくちゃ」


 まるで今にも飛んでいってしまいそうな様子のイザベラに、シェリールは焦りを覚える。

 何故ならその表情はまるで恋をしているようなものだから。

「イザベラ」

 シェリールは自分の前を歩く彼女の手を掴む。

 だが、彼女はそれに構わず進んで行ってしまう。

「早く会いたい」

 声は弾み、彼女と繋いだ手が周りを飛び回る精霊たちの姿をシェリールに見せる。

 彼女たちに囲まれるイザベラは、幼い頃に自分が感じた妖精のお姫様という言葉そのもので、このままイザベラが精霊達に連れ去られてしまうのではという、焦燥がこれから起こる()()を暗示しているようだ。


「早く」


 イザベラはシェリールの方など見向きもせず、精霊王の元へと駆け出していた。



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