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はなの棘


 茶色い髪に茶色い瞳を持つイザベラは、ボルドー色のドレスを身に纏い、差し出される手に誘われるまま、踊りに身を任せていた。

 

 多くの人の目に晒される社交界。

 ただでさえ王太子の婚約者という肩書きを得てしまったイザベラは壁の花になりたくとも立場的なものが邪魔をし、誰も離れていってくれない。

 時間が経つ程に人が増え、初めての社交場故に、休みたいと言い出すタイミングを失い、もう何曲踊ったかも分からぬ程になっていた。


 シェリールと婚約していた頃は、まだデビューする年齢ではなかったので、参加せずに済んでいた。

 それから婚約破棄を申し出され、それなりの年頃を迎えても、両親も社交界へ参加する事を強要しなかった為、それに甘えて参加してこなかった。

 よって、イザベラが人前に顔を出すのは今日が初めてだ。


 アパル王太子の腕に引かれ、煌びやかな世界に足を踏み入れた時には、その眩しさに立ちくらみがしてしまいそうだった。

「私の隣に着いていてくれればいいから」

 と、笑顔で言ってくれたアパルは、共にダンスを踊り、招待客に一通り紹介された後、フル国のシュトラール王子と歓談している。

 元来明るい性格のシャーロットは、エメラルドグリーン色のドレスをひらりと翻し、移り気な蝶が花から花へ舞う様に、優雅に会場中を飛び回っている。


 招待客の名前は全て頭に叩き込んでから臨んだ。

 挨拶を交わし、自分に近付く人たちの名前と顔を一致させながら、少しでも粗相のない様に振る舞っていく。

 中には素晴らしいダンスに二曲目を、と所望する男性も居たが、それについてはしっかりお断りをさせてもらう。

 誘う方も誘う方ではあるのだが。


 曲が終わり、エスコートしてくれた男性に挨拶をし、再び曲が始まってしまう前に休憩を……と、極力人の目の少なそうな方へ向かって歩くも、いつも誰かに捕まってしまう。


 喉がカラカラ。

 足も疲れた。

 休みたい。


 しかし、この国の時期王妃になる自分が弱音を吐いてはいけない。

 視界の隅にシャーロットの姿を見つけ、笑顔で会話をしている場面を見つけてしまうと、まだダンスの相手しか出来ていない自分が嫌になる。


 イザベラは周りから向けられる視線から逃れようと、磨かれた床に視線を落とす。


「っっ」

 

 瞬間、何かにつまずきバランスを崩す。

 高いヒールを履く彼女は転びそうになり、体勢を整えようと踏ん張るも、接地面積の少ない細いヒールは

踊り疲れた足と重いドレスを纏うイザベラを庇うのに適していなかった。


「……大丈夫ですか?」


 倒れる。


 感覚的にはスローモーションの中、目を瞑ってしまった彼女の身体を抱き止めてくれた紳士は、コルセットで限界まで引き締められた細腰を抱え、力強く受け止めてくれた。

「あ……」

 喉もカラカラで足も棒になっている。

 視線を上げなければ、と、見上げた瞳が捉えた人物は、シェリール王子だった。


「助けて下さりありがとうございます」


 足を曲げてカーツィしたくとも、何度踊ったか分からないダンスが足の力を奪い、バランスを崩しそうになってしまう。

「お礼なんていいから休めよ」

「え?」

「誘われたからって一体何曲踊ってるの。断りなよ。それだけ疲れてるんだから」

 早口でまくしたてられ、若干怒っている口調の彼は、抱き止めた腰に腕を回したまま、離してはくれない。

「あの……手を」

 怒ってる?とは聞けない雰囲気。

 彼から逃れようと身じろいでみるも、彼は腕に力を込めイザベラを更に自身の方へ寄せる。

「このまま僕といた方がいいと思うよ。兄上はまだ当分一人になれなさそうだし。今一人になったら、また確実に踊りに誘われる」

 休みたい。とずっと思っていたイザベラは抵抗を止め、大人しくシェリールの言う通りに従う。


「ほら。飲んで」


 少し休む部屋はあるが、主催側の王家の人間が会場を後にする訳にはいかない。

 人目につかない場所を知っているシェリールは、予想通り誰もいないそのソファにイザベラを腰掛けさせる。

 イザベラは差し出されたグラスを取り、一口含むと、こくん、と嚥下した。

「おいしい」

 今日着ているドレスと同じ色をした飲み物は、とても甘く、疲れた身体を癒してくれる。

 もう一口飲むと、水分が全身に行き渡り、まるで生き返ったみたいに感じる。

「そんなに一気に飲むものじゃあ……ない」

「だって、甘くて美味しいから」

 隣には座らず、立ったまま彼女を見下ろすシェリールは、普段より砕けているイザベラのグラスがあと一口で空になるのを認め、彼女を背に立ち去る。



 シェリールはイザベラから離れ、ようやく大きく息を吐いた。

 深い深い紅色のドレスで身体を覆い、差し出される男の手を取っては踊る彼女の姿は、可憐な蝶というより、妖艶に咲く薔薇の花。

 今までデビューの年を過ぎても社交界に顔を出す事のなかった件の婚約者は、噂好きな人間たちにとって格好の的となっていた事を彼は知っていた。


 弟から兄に鞍替えした女。

 人前に顔を出さないのは、醜いからに違いない。

 どんな手を使って王家に取り入ったのか。

 幼い頃を知る人間は、イザベラは見えないものが見える変人だ。などと吹聴していた。


 みな、噂ばかりでイザベラの本当を知らない。


 それが今はどうだ。


 どうにか彼女にお近付きになりたいと、そわそわ周りを牽制しながら我先にと花に群がる。


 シェリールだって自分の役割に一区切りつき、やっとの事でイザベラに声を掛けることが出来たのだ。

 周りを威嚇すれば幾らでも近寄れたが、おそらく人の目を気にする彼女はそれを良しとしない。

 何故ならシェリールは彼女の()婚約者だから。

 ただでさえ好奇の目に晒されているのに、自ら噂を作り出すような事はさせたくない。

 王太子の婚約者になったのに、再び弟に粉をまくのか、と。やっかまれてしまう。


 だから、ひたすらタイミングを待った。


 常に彼女を視界へ入れ、困っていることはないか、と。彼女の一挙手一投足を見守った。

 こういう場に慣れていない彼女はすぐに音を上げるだろうと思っていた。


 だが蓋を開ければどうだろう。

 笑顔でエスコートの手を取り、会場中の視線を集める花に変身する。

 一体誰が彼女を咲かせたのか。


 アパル王太子は招待客の相手を。

 シャーロットは話好きな人たちとの交流を。

 そしてそれが苦手なイザベラは、招待客の踊りの相手を。


 ダンスしている間は、余計な会話をしなくて済むから。

 彼女は社交場でそう判断し、自らの役割を見つけたのだろう。

 交流を苦手とする彼女のその選択は間違っていない。


 普段は図書室で本に触れ、その世界に没頭するイザベラが、今や人の目に触れ花開く。

 誰もが彼女から目が離せなくなっているのが分かってしまう。


 彼女は元々僕の婚約者だったのに。

 けれど失うのが恐くなって自ら手放した。


 自分が惹かれた女性だ。

 今まで人目に触れずにいられたことがおかしかったのだ。


 ふらふらと。

 足下がおぼつかずにダンスのパートナーから離れたイザベラに視線とエスコートの手が集まる。

 演奏が終わった瞬間。

 どの男たちよりも早く隣に立たなければ、と、気ばかりが焦る。

 そして、声を掛けようとした途端。

 疲労でバランスを崩したイザベラが運良く胸に飛び込んできてくれた。

 彼女にとっては不可抗力だったに違いない。

 けれどシェリールにとってチャンスだった。



『私はアパル様を好きになります』



 あの時真っ直ぐに突き付けられた一言が、見たことのない自分の祖先が妖精王にかけられた呪いの様に常に頭を巡る。

 


 あの日。

 手を離さなければ側にいられたのか。

 けれど、あのまま側にいたら呪いで彼女を失ってしまう。

 

 だから、直接兄に宣言したのだ。

 呪いを解きに向かうと。

 イザベラの言葉通りに兄を好きになられては困る。



 シェリールは給仕からドリンクを受け取り、イザベラの元へ足を運んだ。

 踊り疲れ休んでいる彼女から離れたのは、彼女の口に合ったドリンクをもう一杯届ける為に。


 視線を彼女に戻すと、既にその蜜を味見すべく虫たちが花に群がっている。


「失礼」


 シェリールはその背後から声を掛け、若干意識がどこかへ飛んでしまっているような雰囲気のイザベラに歩み寄った。

 国の王子である彼が声を掛けたので、みな後ろ髪を引かれながらも散り散りにイザベラの元を去っていく。


「イザベラ。グラス空になってるよ。同じの持ってきたから」


 虫が集っていたというのにそれに気付かず、無防備に目を瞑り、軽くソファにもたれかかる彼女に声を掛ける。

 両手で空になったグラスを握りしめ、シェリールが話し掛けても気付かない。

 緊張と疲れがでているところに、アルコールを入れてしまったので、眠ってしまったのだろうか。

 

「イザベラ?危ないよ」

 彼女の持つグラスを預かろうと、その細い指先に触れた刹那。


『触るな』


 触れた手をぴしゃりと叩くその行動は、明らかに自分に対する拒絶であり、動いたと同時に手にしたグラスがカシャンと音をたてて割れる。


「イザベラ。だいじょ……」


『ふれないで』


 強い言葉でシェリールは踏み出そうとした足を止める。

「……」

 その言葉はイザベラの口から発せられている筈なのに、まるで違う人間が話しているように聞こえてしまう。


『触るな。人間』


 それでも尚、自分の身体に近付こうとするシェリールを軽蔑の目で捉え、再び拒む。


『血で汚れたその手で触れるな。わたしに触れていいのはテーレだけ』


「イザベラ?何言って……」


 突然人が変わった様に話し始める彼女と対面し、シェリールは混乱する。

『イザベラ?』

 自分に向けて呼ばれた名に疑問符を浮かべたイザベラは、その名を口にする。

『ああ。この器の名前ね』

 手を広げ指を動かし、視線を身体に落とすと、その手で自身の身体の形を確認してしていく。

『ずっと永い間この中にいた。この身体が呪いによって弱っていくのを感じながら何も出来ずにいた。この身体の命を徐々に削っているのは』

 一人で話すイザベラの周りには、割れたガラスの音に反応した人が何事かと集まってくる。だが、彼女が何を話しているのか分かるほどまで側には近寄れず、遠巻きに見ることしかできない。


『貴方ね』

 視線は自分の一番近くに立つシェリールを捉える。


 例え聞こえる範囲に居たとしても、何を意図しているか分かるのはごくごく僅かな人間しかいない。

 シェリールは彼女に何が起きているか分からないまま、何も出来ずにイザベラのしたい通りにさせる。


『貴方の血は……王家のもの』

 顔の前に指を突き付けられたシェリールは、身体を固くしてひとつだけ頷いた。

『わたしの居なくなった後。テーレが何をしたのかは知らない。けれど、貴方の血には明らかにあの人の力を感じる。弱まっているけれど』


 イザベラは突然立ち上がり、シェリールに掴みかかった。

 

『今は器が気を失ったから出て来れた。でもそろそろ目覚める頃。わたしが言った事を忘れないで。テーレの所へ。この地を奪った人間の血を継ぐ者なら居場所を知っているでしょう。連れて行って。精霊王の元へ……』


 そう言い残したイザベラは、力なくソファに倒れ込んだ。


「イザベラ」


 シェリールはバランスを崩し、倒れてしまう前にその身体を抱き止める。


 一体何が起こったのか。

 彼女に何が起きたのか観察しようと顔を覗き込む。


 蒸気して赤らんだ頬。

 それが首筋にまで広がり、小さく上下する胸。


 アルコールに酔ってしまったのか。

 アルコールによって、引き起こされた行動か。


 考えても分からない。


 だが、ひとつだけはっきりしたことがある。



 それは、妖精王の元へ……。


 シェリールは力なく自分にもたれかかるイザベラを抱き抱え、騒がしい会場を後にした。



 

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