それぞれの想い
どうして声が届かないの。
姿が見えるのに声が届かないなんて。
人の中に入るわたしの力も弱い。
せっかくここまで辿り着いたのに。
このまま会えないなんて事になってしまったら、待ち続けた意味がない。
あの人の力ももう薄い。
わたしがここに来ている事も気付いていない。
だから、わたしが行かないといけない。
早く。
早く連れて行って。
***
最近、室内に居ても庭園で寛いでいても、妖精たちが何か言いたそうに近寄ってくる。
雲が程よく影を作ってくれる心地よい天気の中。
自由に飛び回っている様子はとても気持ちよさそうだ。
イザベラは先日のお詫びも兼ねて、シャーロットをお茶会へ招いていた。
彼女付きの侍女に主人の好みを尋ね、テーブルの上にエッグタルト、ブランマンジェ、ビスケットやプレッツェルなど、甘い物から塩気のあるお菓子を並べ、飲み物はローズヒップティーを準備した。
主賓のイザベラがその場で待っていると、遠くからシャーロットの姿がこちらへ向かってくるのが分かる。
日の光がその姿に反射し輝く姿は、いつか話していた妖精のお姫様そのもの。
そうして伝えた時間に合わせて来てくれた彼女に対し、イザベラは頭を下げた。
「シャーロット様。この間のお茶会では、せっかくの楽しい時間を台無しにしてしまって本当に申し訳ありませんでした」
目が合い、イザベラに挨拶をしようと口を開こうとした瞬間。何よりも早く、突然謝罪の言葉を述べられたシャーロットは目をぱちくりと瞬かせる。
「そんなそんなイザベラ様。わたしの方は大丈夫ですから気にしないで下さいませ。それより、イザベラ様の体調の方が心配ですわ」
顔を上げて下さい、と、向けられる声が慌てふためいたものから落ち着いたものに変わり、イザベラはにこりと微笑むシャーロットから、ほんの少し目を逸らす。
まだ自分の気持ちの整理がついていないイザベラは、シェリールの婚約者と対峙すると緊張してしまう。
彼に対する気持ちの区切りはついていた筈だった。
その婚約者のシャーロットと顔を合わせても仲良くやっていける。
そう。
彼と再び顔を合わせるまでは心の底からそう思っていた。
元より、初恋は実らないと言われている。
「シャーロット様。お座り下さいませ」
イザベラは笑顔を作り彼女に座る様すすめる。
「ありがとうございます」と花の様に微笑むその姿は、老若男女人を惹きつける魅力がある。
二人が婚約してもう二年。時間を共に過ごす彼が惹かれるのも無理はない。
侍女にお茶を淹れてもらう間、イザベラは気持ちの整理をしようと、小さく息を吐く。
アパル王太子の婚約者として迎えられてから、彼を見ようと努力してきた。
騎士隊の隊長として部下を直接指導する姿を見れば、彼らをただの駒として扱っている訳ではないのだと。命を守る為に戦うのだと熱く語っている。
大切な人を失ってしまったからこそ、それを失わない為にどうあるべきかを常に考えて行動している。
淡々と語る言葉は時に冷たくも感じられるが、壊れぬよう、触れてくれる手はとても熱いのをイザベラは知っている。
そして、決して自分を好きになってくれない事も。
彼の心の中には、まだ前の婚約者が笑っている。
それを分かって尚、彼の手を取ったのは自分。
決めたのは自分。
彼を忘れると決めたのも自分。
前へ進もうと思ったのも自分。
なのに、顔を見て声を聞いて心は揺らいでしまった。
終わりにしようと決めていたのに、姿を見る度にあの頃の好きだった気持ちが引き出されてしまう。
だから目の前に座る彼の婚約者と話をして、気持ちを断とうと決心した。
自分はもう彼とは全く関係のない人間だから。
「イザベラ様は…………すか?」
「……」
「……イザベラ様?」
「え?何かしら?」
騒がしい。
うるさい。
この言葉は彼女に向けられたものではない。
それは精霊たちに対して。
まるで、何かに焦っている様に必死に飛び回り、何かを訴えている。
静かに耳をすませてみても、精霊たちを耳元へ寄せてみても、やはり声は聞こえない。
精霊たちの雰囲気がザワザワしているので、つい気をそちらに取られてしまっていた。
イザベラは、シャーロットが何度か呼んだ後にようやく呼ばれた事に気付く。
「ごめんなさい。聞こえていなくて」
謝罪をするとシャーロットは「とんでもない」と首を振った。
「今日はなんだか騒がしくて、そちらに」
途中までそう告げて、イザベラはハッとした。
騒がしいのはシャーロットではない。
けれど、今の自分の言い方は彼女に対して放っていると思われてもおかしくなかっただろうか。
何故なら、精霊が見えるのはイザベラだけだから、そう解釈されてしまってもおかしくはない。
見えることを告げてみても、理解してもらえる事は少ない。
「ごめんなさい。シャーロット様に対してではなくて、その」
イザベラは理由も言わず、少し寂しげに俯く。
理解されなくても仕方ないと自分から壁を作り、いつもそこに閉じこもる様になってしまった。
分からないのだから、言っても仕方ない。
人と関わらない様に図書室に入り浸る様になってしまったのも、口にしたことはないが人の目を避ける為だった。
そんなイザベラに物理的にも精神的にも手を差し伸べて引っ張ってくれたのがシェリール。
初めて精霊の見えるイザベラを受け入れてくれ、また、その姿を一緒に見て楽しんでくれた人。
そんな人を忘れる事が出来るだろうか。
忘れようと必死になろうとする程、彼の姿が脳裏を過ぎる。
「……」
シャーロットはイザベラの様子を伺い、近くにいた侍女に目配せすると、彼女に気付かれない様に人払いをした。
そして、自分たちの声が聞こえない範囲まで彼女たちが離れたのを確認すると、小声で話しかけてきた。
「イザベラ様」
「はい」
彼の事を考えるといとも容易く気持ちが揺らぐ。
呼ばれたイザベラは自分を捉えるその瞳に向き合った。
「イザベラ様はシェリール様のどこが好きだったんですか」
「え?」
ニコニコ笑いながら尋ねられたイザベラは言葉の意図が解釈出来ず、固まってしまう。
「それは一体どういう……」
自分の婚約者だというのに嬉しそうに様子を伺ってくるシャーロット。
その表情や言葉の選び方からは、嫌がらせをしようとかそういう意図はまったく汲み取れない。
「今日は二人で恋の話をしませんか」
可愛らしく顔の前で手をひとつ叩き、「うふふ」と嬉しそうに笑っている。
「え?」
イザベラは言葉を失った。
「信頼してるからと侍女たちに不満をこぼしてしまうと、必然的にアパル様やシェリール様たちの耳に入ってしまいます。だから、今、少し遠くへ行ってもらったんですの」
城に仕える者たちは総じて、何かしら城の人間と通じている。特に、国王の息子たちの婚約者となれば殊更。
一日何をして過ごし、何か不具合はなかっただろうか、不審な動きはなかっただろうか、など、密かに報告が上がっている筈だ。
声を顰めればギリギリ会話が聞こえないであろう距離に控えてくれているということは、それなりに自分たちの事を信頼してくれているという証だろう。
「わたしはずっとイザベラ様と恋の話をしたかったんです」
「……」
先程までの柔らかな彼女とは異なり、少しやんちゃな顔で笑うシャーロット。
今までお淑やかな令嬢を演じていたのだろうか。
何かを期待しているような、輝かしい瞳で見つめられたイザベラは、突然の豹変についていけないでいる。
「それだけではありません。ずっとずっとおしゃべりしてみたかったんです。イザベラ様はお妃教育だって完璧にこなされていらっしゃいますし。わたしはいつも比べられる立場。いえ。決して嫌味で言っている訳ではないのです。カロスお姉様だってとても優秀だった。それなのにわたしは全然ダメで」
勢いに乗せられて走る言葉は次第に力なく崩れ落ちる。
「シャーロット様?」
威勢の良さは何処へやら。
自分で言いながら落ち込んでしまったのか、項垂れてしまう。
「わたし……」
その微かな声は耳を澄まして注意深く聞こうとしなければ聞こえない。
「わたし、…………いし様が好きなんです」
「え?」
掠れた声は周りの目を意識してか。とある人物の名だけを殊更小さくする。
「わたし、アパル王太子様のことがすーー」
「シャーロットさまっっ」
イザベラは椅子が後ろへ倒れてしまう程に勢いよく立ち上がり、とある人物の名が周りに聞かれてしまわぬ様、言葉を被せる。
「イザベラ様」
周りを囲んでいた侍女たちは何事かと駆け寄り、倒れた椅子を起こし、弾みで溢れてしまった紅茶を拭き取り、乱れたドレスを整えてくれる。
「なんでもありませんわ」
言われた様に少し遠くで控えてくれていた侍女たちが、大慌てで飛んでくる。
「皆さん。心配掛けてごめんなさいね。紅茶が冷めてしまったみたいだから、入れ直してもらえる?そうね。今度はメリッサにしてもらおうかしら」
テキパキと指示をしたイザベラに従い、侍女たちも城の厨房へ足りなくなった物を取りに戻る。
「……」
しかし、まだ何か言いたそうに立つ一人の侍女がシャーロットのそばに居る。
「驚かせてしまったのならごめんなさい。あと、焼き菓子ではなくケーキみたいな物があれば嬉しいわ。お願いできる?」
「……」
早く行きなさい。
と遠回しに訴えても、彼女はまだ立ち尽くしたまま動かない。
「大丈夫。見張りの護衛もその辺りに居るから何かあったら守ってくれるわよ。だから行きなさい」
「は……はい」
少し的外れな事を言いながら最後の語気は極力強めで言い放つ。
でないとこの侍女はこの場を去らないと思ったから。
「……さて」
イザベラは姿勢を正す。
「シャーロット様」
そして座りながらにこやかに話し掛ける。
元々堅苦しいのは得意ではない。
むしろ、精霊が見えると変な目で見られ続けて育ってきたから、人は苦手だ。
けれど幼かったあの頃とは違う。
城へ来て、何の因果かシェリールの婚約者になり、人と関わる楽しさを教えてもらった。
そして婚約者として迎え入れられた立場上、自分がどんな目で見られているかを、教師たちに教え込まれ続けた。それに沿う行動をしなければならない事を痛いくらい知っている。
「恋のお話でもしましょうか」
そう言って彼女はシャーロットの前でつけていた仮面をとった。
「あら?シャーロット様が言い出した事ですよ」
イザベラの凛とした表情が一変し、まるで昔からの友人に向けられる笑顔に、シャーロットはハッとした。
アパルの事が好きだと告白してしまったというのに、彼の婚約者であるイザベラはそれを聞いても動揺した素振りをしない。
それどころか、逆に話を聞こうとしてくれる。
何事にも動じず凛とした立ち振る舞いは、まるで自分の姉を見ている様で、そんなイザベラにシャーロットはその姿を見る前から「アパル王太子の婚約者」となる人物に嫉妬していた。
彼の隣に立つ人はお姉様みたいな人でなければならないのだと、一人言い聞かせていた。
だから、自分にはカロスの後釜にはなれない。と。
彼女は誰よりも聡明で美しく、誰よりもアパル王太子の事を想っていた。
二人が並ぶと、誰もが一度は夢見る御伽噺の王子様とお姫様。
姉が亡くなってからしばらくの間。
王太子は婚約者も決めず、のらりくらりとその話を交わしている様子を遠くから眺め続けていた。
その時既にシェリールの婚約者だったシャーロットの名前が挙がることは決してない。
けれど、彼がただ一人を選ばないのなら、まだ見つめていてもいいと思っていた。
だがあの日。
彼の婚約者がイザベラに据えられ、並ぶ姿を初めて見てしまった時に、全ての希望が崩れ落ちた。
国を背負うアパルの隣に立つ女性は、みな、姉の様でなければならないのだと。
彼が彼女の細腰に手を回し、誰にも取られぬ様に囲い込む姿を見て、「これでもう全て諦めなければ」と気持ちが落ち着いた。
一度、お妃教育を受け間が空いていたとはいえ、あの初対面の時のイザベラの姿は完璧な王妃たる立ち振る舞いだった。
これからはしっかりシェリール王子を好きになろう。
そう誓った。
けれど、目で追ってしまうのは、その兄であるアパル王太子の姿。
昔からずっと一途に見つめていた。
剣を払う凛々しい姿も。
机に向かい書類に目を通すも、面倒臭くてすぐに飽きてしまい、側近であるリーズに叱咤される姿も。
部下を厳しく指導しながら、楽しそうに言葉を交わす姿も。
姉に会いに城へ訪れる度ずっと見つめていた。
いつから好きだったかはもう覚えていない。
叶わぬ恋だと知りつつも。
互いに愛し合い隣に添う二人をそばで見つめ、わたしも同じように想い合える相手と出会えたらいいなと思いながら、その奥底には常にアパルの姿が浮かんでしまっていた。
穏やかに時は流れ、二人の婚約期間もそろそろ終わり、それに繋がる婚姻へと準備に取り掛かろうとしていた頃。
突然、カロスが倒れた。
今まで病気もなく健康体だった姉が、何の前触れもなく、崩れ落ちたという。
隣を歩いていたアパルが婚約者の身体を抱き止め、彼女の身体をベッドへ運んだ。
医師を呼び診察してもらうも、原因不明と診断され、その命は呆気なく散った。
彼の隣で微笑むカロスはもういない。
彼女はアパルの笑顔も共に持ち去ってしまった。
姉を失ったシャーロットは、城へ遊びに行く事もなくなり、社交場へ顔を出したり苦手な花嫁教育を受けながら毎日を送っていた。
城からの使者が屋敷へ来る迄は。
家が公爵家という立場にあったシャーロットは、間もなく第二王子の婚約者に据えられた。
それは、彼が一人目の婚約者と婚約破棄をしてから約二年後のこと。
シェリールの前の相手は王家からの一方的な契約破棄という事で、女性側に不義はないとされたが、実家に戻った彼女は社交会デビューする事もないまま、人前に顔を見せていないという話だ。
ただでさえ街にいた頃、突然不思議な事をしだすおかしな子、で知れ渡っていた彼女は、家の敷地内に篭りきりになるようになってしまったという。
だから、滅多に人前に姿を見せない彼女が今度は王太子の婚約者に据えられたという事実は、国民を驚愕させた。
一度婚約破棄されたにも関わらず、相手を変え、再び城へ上がる権利を与えられるとは何事だ。と。
渦中の人物は、使者が来るたびに断りを続けていたというが、最終的には首を縦に振り、今、こうしてシャーロットとお茶をしている。
「今なら誰も聞く人がいないから、本音で話せるわね」
と、優しい笑顔でシャーロットの隣に椅子を近付けて……。