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喪失


 夢を見ていた。


 不思議な夢。


 それは私が殺される夢。


 場面はどれも断片的で、まるでアルバム写真を捲っている様。


 緑の大地が炎で炙られ、生き物は逃げ惑う。

 大地が悲鳴をあげる。

 何故奪おうとするのかと。

 答えはただ一つ。

 権力を誇示する為だ、と誰かが言い放つ。

 彼を狙う剣が光り、彼を守ろうとその身を呈して盾になる。

 痛い。

 斬られたそこに心臓が移ってしまったみたいに。

 とても美しい人が私を抱き抱えて叫び泣く姿。

 朦朧とした意識の中でそれを見ている私。

 泣かないで。と言いたいのに伝わらず、代わりに零れ落ちる涙。

 彼の雄叫びの様な泣き声を聞きながら、そこで意識が途切れる。

 

 ***


「……」


 柔らかいベッドの上。


 瞼を開けると見慣れた天井が情報の一つとして飛び込んでくる。


「……」


 イザベラは小さく左右に首を振った。


「イザベラ?」


 視界の隅に彼の姿を捉え、左手を握られていた事に気付く。

「あぱ……る、さま」

 喉の奥から出てくる声は掠れ、握られていた手に彼の力が込められるのを感じる。

 いったい何があったかしら、と、イザベラは記憶を手繰り寄せる。


 シャーロット様とのお茶会があった。

 お茶を飲んで。

 おしゃべりして。

 手を繋いで、わたしの見ている世界を共有した。


 特に特筆すべき事は何もない。

 それだけ。


「身体は大丈夫?」

「……はい」

 真っ直ぐ表情を探ってくるアパルの顔に、イザベラの胸は高鳴る。

「よかった」

 そう掠れ声で呟く彼は今にも泣き出してしまいそうで、イザベラは「大丈夫ですよ」と同じ言葉を繰り返す。

 彼は前婚約者カロスを数年前に亡くしている。

 これがきっかけで、その時の辛い感情を思い出させてしまったら申し訳ない。

 イザベラがゆっくり上半身を起こそうともぞもぞ身動ぐと、アパルが背中を支えてくれた。

「ご心配をお掛けして申し訳ありません。私ならもう大丈夫ですので、御公務の方へお戻り下さいませ」

 アパルの身分は王太子だ。

 次の国王になる者。

 忙しくない訳がない。

 イザベラが城に来てからも、二人で過ごす時間は一日三十分あるかどうか。

 彼女はそれ以外の時間を妃教育の復習だったり、読書をしたりして過ごしている。

 ここでしっかり休んでいます。

 だから一人でも大丈夫です。そう言おうと口をゆっくり開いた途端、彼の言葉の方がそれよりも早く彼女の耳に届く。


「イザベラ」


 名を呼ばれ反射的に返事をする。

「俺の仕事は弟が代わりにやってくれている。だから、側にいても?」

 切に懇願する声に、その願いを拒否する事は出来ない。ひとつ首を縦に動かすと、アパルは安心した顔をイザベラに向けた。


「嬉しいです」


 イザベラは素直に感情を放った。

 新しく王太子と婚約者になった。

 そう両親に伝えられてから、二人で交流を深める時間が少なすぎた。

 毎日三十分間、その日あった事を伝え合い、ただ言葉を交わすだけの日々は、互いの事を知る為に設けられた時間ではなかった。


「今日はどうだった?」

「何か面白い事でもあった?」

「困っていることはないか?」

 まるで業務連絡の様な言葉が続いていた。


 だから、素直に嬉しい。


 イザベラはシェリールと婚約していた時、アパルが同じく婚約者のカロスを大切にしていたのを見ていた。

 まだ公務をする年齢には達せず、勉学や武術に励んでいた年の頃。彼らが頻繁に逢瀬を重ね、互いに気持ちを添わせていっている姿は見ていてとても微笑ましかった。

 一方、イザベラとシェリールも彼らと同じように日々を重ねていた筈だった。

 自分も彼らの様になると信じていた。

 シェリールの事が好きだったから。

 だからあの日。気持ちが通じ合えたと感じたのも束の間。彼の方から「この話はなかったことに」と破談を申し込まれた。

 不運が重なったとはこういうことなのか、と。

 その時も今のように突然倒れてしまった日。

 記憶を失う前まではとても幸せで覚えている。

 というのに、目覚めた時には全て無くしていた。

 起きた時に飛び込んで来たのは、城ではなく、生まれた屋敷にある自分の部屋の天井と、三日間目覚めるのを待ち続けていた両親の顔。

 いくら見回してもシェリールの姿はなかった。


 あの日、心を通わせたと思えた一瞬。


 貴方は私から離れていってしまった。

 触れようとしていた唇は離れ、私を突き放す。

 本人から直接理由も聞けず、イザベラの心に芽生えた気持ちは宙ぶらりんのまま、連絡は途絶えた。


 その後、登城する事がなくなったイザベラは、アパルの婚約者、カロスの逝去を父親によって知らされた。

 彼らに一体何があったのか。

 聞きたくても既にイザベラとシェリールとの繋がりが切れてしまったので、知る事は出来なかった。


 そうして年月が経過し、シェリールが新たな婚約者を迎えたと知り、イザベラの胸に消化不良のまま燻っていた恋の炎は、完璧に消えてしまった。

 その一年後。

 イザベラに再び声が掛かった。


 今度はアパル王太子の婚約者として。




 イザベラはアパルに無理矢理横にさせられ、寝ながら倒れた時の状況を聞いていた。

 倒れたのが、シャーロットのお茶会だった為、()()盛られたのではないかという話が持ち上がってしまったらしい。

 しかし、それは違うとアパルとシェリール、宮廷医師が完全否定してくれたので、噂は大きくなることなく鎮火されたという。

「後ほどお詫びをしに伺います」

「身体の様子をみながらで大丈夫だから。今度はイザベラがお茶会に招待してくれるだけで、彼女は喜ぶと思う。だから、今は休んで。今度は元気な顔をみせてくれると嬉しい」

 アパルはそう言ってイザベラのおでこにキスを落とすと、彼女の部屋から出て行ってしまった。


 ***


「シェリール」


 アパルは閉まった扉を再び開こうとする弟の手を取った。

 彼は部屋の外で、彼女の目が覚めるのをひたすらに待っていた。

 無事だったと知り、婚約者よりも先に部屋に入ってしまいそうになるのを、兄が制したのだ。

「会うなよ」

 訳知り顔で言うものの、アパル自身も人の事を言えた義理ではない。


 二人は共犯者だから。


「分かってる」

「ならいい」

 アパルはあの日から人に深入りするのをやめた。

 失う位なら大切なものを作らなければいい。

 感情を閉ざした彼は、後のことを医師に任せてその場を去る。


 一方、シェリールはその場にへたり込んでしまった。


 無事でよかった。

 

 目が合って。

 

 姿を見て。


 声を聞いて。


 奥深くに仕舞っていた感情が再びザワザワと動き始めるのを感じた。


 傍からみたら馬鹿に思える兄の提案に乗ったのは紛れもなく自分。

 もうあの頃と同じ自分じゃない。

 成長した。

 だから、自分の気持ちくらい自分で律することができると。


 そう思っていたのに。


 このままいたら、俺は君を失ってしまう。


 シェリールは膝を抱え、自分でもどうにも操れない感情に戸惑っていた。


 ***


「久しぶりの本の山ぁ」


 医師から「動いていい」とお墨付きのでたイザベラの足は気付いたら図書室に向かっていた。

 お妃教育の基本は出来ているので、当分の間休んでもいいと教師陣からも言われている。


「イザベラ様」

「身体の具合はいかがですか?」

「また何かお探しでしたらお手伝いさせて下さい」

「フフ。ありがとう。でも今日は大丈夫よ」

 

 本の山と司書たちに迎えられたイザベラは、背表紙の言葉を目で追いつつ、適当な本を選んで手に取った。




 あの日、イザベラが倒れてしまった日以降、彼女たちは互いに自分の婚約者に会う時間が途端に減ってしまっていた。

 体調もすっかり良くなり、アパルに言われた様にお茶会にシャーロットを招くと、迷惑を掛けた謝罪より先に、身体の心配をされた。


 姉のカロスを亡くしているので、目の前で倒れてしまい、心に負担をかけさせてしまったかもしれない。


 彼女に頭を下げたイザベラは、目に涙を浮かべながら喜ぶシャーロットを見て、婚約者よりも、シェリールよりも、誰よりもその気持ちを表に表してくれてとても嬉しく感じてしまった。

 

 侍女が淹れてくれたメリッサのお茶は、一口含んだだけで、二人の心に安らぎを与え、さらに二人の距離を縮めてくれる。




 イザベラは数日前のお茶会に向けていた意識を、元へ戻す。

 図書室へ足を踏み入れたのは、ただの口実だった。

 彼の姿を見る為の口実。

 何かと理由をつけて顔を合わせるのを拒む彼らの姿。

 この場所ならタイミングが合えば盗み見る事ができるから。


 王太子という肩書きをその身に纏い、それでも尚その肩に何を背負おうとしているのか。

 一心不乱に剣を振るその姿は、頭の中で何を振り払おうとしているのか。

 日差しが暖かく降り注ぎ、訓練をしている騎士たちも休憩に入るところだったらしい。鋭い目つきから一転、彼らと楽しそうに笑い合う姿は、部下にも慕われるいい上司、と言ったところだろうか。

 イザベラは無意識で探していた姿を見つけられず、本へ視線を落とす。

「しばらくベッドの生活が続いたから体力が落ちてしまったかしら」

 いつもならすぐ入り込めるその世界に集中することが出来ず、イザベラは小さく呟いた。


 静かな空間。

 暖かな日の光。


 お昼寝するのに最適な環境である。


 イザベラは瞼が重みで下がっていくのに抗いもせずに、暗闇に誘われる。

 日の力が天然のブランケットに包まれているようで心地よい。


「……」


 心を揺らしてはいけない。


 その足音の鳴り方は彼女は良く知っていた。


 大きくなっても変わらない。


 イザベラは近付く足音に気付き、耳を傾けながら寝たふりを続ける。


 足音は一定の距離で止まり、動かない。


 姿は消すのに、わたしが見ていないと分かると傍に来てくれるのね。


 イザベラは零れそうになる涙を堪え、彼の呼吸に身を潜める。


 彼は決して触れられない距離に。


 会いに来るならどうして離れて行ったの?


 イザベラは放ちたい言葉を飲み込み、ただひたすらに眠りを貪る。


 もしかしたら彼も()()に気付いてここに居るのかもしれない。




 頭の中に言いたいことばかりがぐるぐる回り、気が付いたら「また体調崩してしまいますよ」とサクノの優しい声。


「……あら。……さっきまで誰かいたかしら」


 司書の姿を確認し、イザベラは姿勢を正すと彼女に聞いた。

「いいえ。どなたも」

「そう」

 窓の外に視線を落とすと、休憩を挟んだ騎士たちが今度は体術に励んでいる。

「ありがとう」

 彼女の目を見ずに放った一言で、一礼をしたサクノはその場を去って行く。


 夢なら夢のままで。


 イザベラは閉じた本の上に座り自分を見上げる一人の精霊に微笑むと、再び瞼を閉じた。



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