求婚
「イザベラ。見つけた」
シェリールは彼女が隠れている木の後ろから回り込み、向日葵色をしたイザベラを正面から抱き締めた。
足りないパーツを拾いながらのかくれんぼは、彼が自らの呪いに気付いてから、ずっと見えないように隠していた感情と向き合う為にあったのだと、今更ながらに気付く。
「イザベラ?」
力強く抱き締めても反応がない事に不安を覚えたシェリールは、一旦彼女を自分の胸から離した。
「よく探し当てられたわね」
「?」
彼女らしからぬ言葉遣いにシェリールは後ずさる。
「リダ?」
「あたり」
面白そうに言う彼女を見て、シェリールは脱力する。
ゴールにはイザベラ本人がいるものじゃないか?
「ごめんなさいね。彼女じゃなくて」
まるで心を読まれていたかの如く言葉が返ってきたので、シェリールは身体を強張らせる。
「大丈夫。約束通りテーレが全て戻してくれるわ」
向けられたリダの視線の先には、精霊王が立っていて、そのまま辺りを見渡せば、初めて彼と対面した森の神殿のある空間に居た。
「テーレ?見ていたでしょう?」
相変わらず不機嫌そうな顔の精霊王は、大事そうに誰かを抱き抱えた状態で姿を現した。
「やっぱり」
訳知り顔のリダは、彼の元へ寄る。
「わたしももう力が弱い。一度魂の抜け落ちたこの身体も長くは保たない。だから、健康なその器ごとリダを再び愛せると思っていたのに」
淡々と述べる言葉に力はなく、残念そうに聞こえる。
「テーレ。でも約束は約束よ。彼はイザベラ自身を探し当てる事が出来た。初めに呪いを解いてあげて。そうしないとこの身体もわたしが出てしまったら耐えきれずに死んでしまう」
イザベラがシェリールの想いを受けてまで生きてこられたのは、リダの力があったからだと初めにも言っていた。
隠すのが下手な彼の感情は、上手くコントロール出来ずに、今でもイザベラを苦しませている。
しかも、このかくれんぼで気持ちを自覚してしまってからは余計に呪いの力が強くかかるのを、リダはその身で感じていた。
「分かった」
テーレは素直に頷き、地面にそっとリダの身体を置く。
「シェリール」
名を呼ばれた彼は、素直に精霊王に向き直る。
「苦しませて悪かった」
『穢れなき水よ』
地の底から這い上がる声に反応した何かがシェリールたちの周りを取り囲む。
見えはしないのに水の流れを感じた彼は、その中心で神の様に振る舞う精霊王から目が離せない。
『世世に繋がる咒文の鎖を今ここに断ち切らん
これより永劫 我らの加護を常に』
「……」
ゆっくりと放たれる言葉が彼の身体全体を包み込み、弾け飛んだ。
身体が軽くなったとか、何かが変わったと実感出来る感覚は何もなくて、ただ、呆然とする。
本当に終わったのか。と。
ただそれだけの感覚しかなく、シェリールはテーレとリダの二人を交互に見たが、彼からの反応は何もなく、言いたい事も言えずに終わってしまう。
「さて。次はそっちの番だな」
精霊王は淡々と自らの為すべき事をこなしていこうとしている。
その仕草は初めの頃の様に敵対する空気もなく、テーレに会う前にシェリールが想像していた威厳のある精霊王の姿。
呼ばれたリダはテーレの側に静かに近付いていく。
「おい。ちょっと」
シェリールは二人の顔が次第に近くなる事に言葉を挟む。
「何しようとしてるんだ」
怒気を帯びた声に、二人は一旦身を離した。
目を見開いて人間を見る様子は、何故そう言われなければならないのか分からないといったところだろうか。
「何って、イザベラの身体からリダの魂を抜き取るのだが」
「抜き取るって、どうやって」
嫌な予感で胸が騒ぐシェリールはその方法を問う。
「吸い取る」
「何処から」
「唇に決まってるだろう」
押し寄せる質問に「面倒くさい」という感情を隠す事なくテオは答える。
「イザベラにキスするのか」
「イザベラではない。器だ」
「身体は彼女のものだ」
「だから、そこに入り込んだリダの魂を吸い取ると言っているだろうが」
シェリールの怒りに触発された精霊王が、話の分からない相手に怒りを募らせていく。
「お前はただ形だけの口付けにそこまでうるさく口を出すのか。気持ちがこもっていれば別の話かもしれぬが。身体が触れ合う事は太古より不思議な力が込められる。なんだ。お前は心のない口付け一つで気持ちが揺らぐのか。お前がイザベラに会っていない間に、もしかしたらこの器は違う人間に唇を奪われているという可能性を考えもしないのか。わたしには興味ない人間だが、お前がこうも執着する人間なのだから、魅力的な個体なんだろう。なら、触れ合う事を済ませていても何ら不思議ではないと思うが。それに、今ここでわたしが口付けをしたとて、この器はそれを知らぬ。お前が目を瞑れば良い事ではないのか」
一気に捲し立てられた事で、シェリールは項垂れた。
好きだから、誰にも触れられたくないと思うのは当然で、けれど一度手を離してしまった自分にそういう感情を向ける権利はあるのだろうか。
「まぁ、何をごちゃごちゃ面倒くさい事を考えているのかは知りたくなどないが、さっさと済ませるぞ」
シェリールの目の前で、精霊王がイザベラに唇を寄せていく。
互いに少し開かれた口元が妙に蠱惑的で、目を背けたいのに何かがそれを許してくれない。
リダがイザベラの瞳を閉じているという事を、頭では分かるのに、彼女の身体でされてしまうと、二人がそういう関係なのだと勘違いしてしまいそうになる。
互いの息が感じられる距離にまで寄った二人はそのまま触れ合った。
「……」
瞬間。
音が消え、鼓動が止まった。様に感じた。
息を止めていたのだと気付いた時には、イザベラの身体は力を失っていて、そのまま地面に倒れてしまいそうになる所だった。
すんでのところで受け止められたのは、あまり気が乗らないながらも騎士隊の訓練に参加していた成果だろうか。
視界の隅では、横たえたリダの身体に口付けをしているテーレの姿。
「受け止めるのはお前の役目だろう。油断していたそっちが悪い」
という視線を彼から感じ、シェリールは一瞬睨み返す。
イザベラは、彼の腕の中で抱き止められたまま目覚めない。
シェリールは自分に全てを委ねる彼女にそっと触れた。
もう気持ちを止める事はしなくていい。と。
温もりに触れてからそれを実感し、シェリールは彼女の唇にそっと自分を近付ける。
「……」
寝込みを襲ってしまったと、我に返った時にはもうそれを抑えきれなくなっていて、再び口付けをしようと顔を近付けた時。
彼の唇には先程触れた柔らかさとは違う、イザベラの掌が押さえつけられていた。
「な……にを」
「イザベラ?」
「はい」
何でしょうか。と聞く前に圧迫感が彼女を襲う。
それが抱き締められていると気付けたとしても彼女の頭の中は大混乱。
馬に乗ってシルワの街でショコラを預け一泊した所までは覚えている。
あとの記憶はふわふわと曖昧で、宿を出てからが夢か現実か定かでない。
しかしここはベッドの中とは違っているし、違う場所で寝ていたシェリールが女性の許可を得ずに部屋に侵入する筈もない。
彼の強すぎる力を感じながら、イザベラは状況把握しようと努めてはみたが、分かるのはここは森の中かな、という事だけ。
「……」
流石に息苦しくなりシェリールの背中をパンパンと叩いて、離してほしいと伝える。
「……」
訴えても力を緩めてくれるだけで解放してくれようとしない。
「離してください」
今度は言葉で知らせると、ようやく少しだけ離れてくれた。
だが、膝を付き、イザベラを受け止めた体勢のままなのは変わりなく、身じろいで逃れようとしても、腰に回された腕は離してくれない。
「シェリール様?どうなさったのですか?」
「ひとまず終わった」
「え?」
「全部終わったんだ」
シェリールはイザベラの死角で自分たちを揶揄いたそうに見ているリダとテーレの事はまだ話題に出さずに続ける。
「だから結婚しよ」
「え?」
突拍子もない提案にイザベラはつい無言になってしまう。
しかし、ただ一つ言えた言葉があった。
「無理です」
何も知らないイザベラは、シェリールからのプロポーズにそう答えを返した。
 




