隣の芝に別れを告げる Ⅲ
「ねぇ、おねえちゃん」
「なに」
この短期間で随分と懐かれてしまった。あたしが廻の立場だったら、毎日幽霊に憑きまとわれるなんてとても耐えられないだろう。あまりの恐怖に泣いて逃げ出す。
廻には名前を教えてもらったが、あたしは自分の名前を教えることはなかった。子供の今ではないだろうが、廻がもう少し歳を重ねてあたしの名前を覚えていたとして、興味本位な墓参りでもされたら困る。そこまでの関わりを持つ気なんて無いからだ。これはただの暇つぶしにすぎないのだと。
もちろん、あたしに興味津々な廻は何度も尋ねてくる。その都度適当にぼかしているから、なんて呼べばいいのか定まらない。そこで妥当なおねえちゃん呼びが定着しているわけだ。
公園の隅で遊んでいる廻のぼっちっぷりは相変わらずだが。
…悪い気はしなかった。年齢の壁はあるが、生前、実の弟の面倒をみている時に戻ったような気がして、浮かれているだけなのかもしれない。
壁に向かってサッカーボールを蹴る廻の姿が思い出の日々と重なった。
「おねえちゃん?どうしたの?」
「何でもないわよ、それより、何か話したいんじゃない?」
「どうして僕と友達になってくれたの」
素朴な疑問だ。実際、あたし自身もなんでそうしたか動機ははっきりと分かっていない。
「そうね・・・あんた、浜辺で跳ねてる魚がいたらどうする?」
しばらくボールを蹴りながら考え込み、
「うーん、お水に戻してあげる!」
「そういうことよ」
えーどういうこと?とあざとく首を傾げる廻。生憎、これ以上納得のいきそうな答えをあたしはもちあわせていない。
自分から関わっておいてなんだが、魚は水辺に帰してやるべきだ。道徳的に考えて。
「そんなこと気にしてないで、向こうのお友達と遊んできなさいな」
なんてけしかけてみるが、
「いいもん、友達ならおねえちゃんがいるし」
何度言ったってこの一点張りだ。なかなかあたしから離れようとしない。
友達になるという提案は恐らく間違いだったわけだ。
「あんたね、友達が少ないと色々と後悔するわよ。
自分の葬式に誰も来てくれないとか」
「それっておねえちゃんのこと?」
「やかましい」
「いてっ」
生意気なガキの額に軽くチョップした。
「えへへ」
不気味、というには少し違うか。
痛みに涙ぐんでいるももの、その様子は何故か嬉しそうに見えた。
Mかこの子は。変態を目覚めさせたのだろうか。
「あのね、女に痛い目に遭わされて喜ぶなんて、ろくな大人にならないわよ」
「ぼくね、おねえちゃんみたく叱ってくれる人が欲しかったんだ」
いよいよ廻の変態説が現実味を帯びてきた。
いや、この子の顔を見るに、そういうことではないのだと直感した。
「ほら、僕っていつも一人でしょ。
だから、ほかの子が誰かに怒られてるのが凄く羨ましかったんだ」
その言葉に、あたしは口を閉ざしてしまった。
こんな幼い少年に、孤独というのはあまりに重過ぎる。
周りのあたりまえに、この子だけは外側にいたのだ。
自ら望んでそうしているわけではない。それを選んだあたしとは違う、それしかなかったんだ。
同じ穴の狢だと思っていたが、廻はもっと深いところにいるのだろうか。
大人らしく助けてやろうなんて、あたしのそれはあまりに傲慢な。
「おねえちゃんに会えて、本当に良かった。」
純粋な感謝が、あたしの胸を抉った。
思えば、あたしは罪の意識から逃れようとしていたのかもしれない。間違いだらけの歩みから抜け出そうと廻に手を差し伸べ救うことで、少しでも胸の重しを外したかったのかもしれない。それが何の償いにもならないと知っているくせに。
馬鹿、救いを求めていたのはどっちだ。他でもないあたしだ。
孤独を嫌っていたのは誰だ、輪に入りたかったのは誰だ。
「おねえちゃん?」
---所詮あたしは、廻という光に集る哀れな蟲に過ぎなかったわけだ。
好き勝手飛び回った責任は、最後まで果たさなければならない。
「さ、パス、出しなさいよ」
「え?なに?」
「ボールよ、ボール。遊んであげるわ」
あたしがこの子の心を埋められると言うのなら。
「いいの?でもいつも嫌そうに」
「いいのよ、そういう気分なの。リフティングの極意を教えてあげる」
「やった!おねえちゃんが遊んでくれる!」
たとえ、あたしが救われていたとしても。
廻が自分で歩けるように、って違うか。
お一人様同士、仲良くいこうじゃないか。
---この時が一番幸せだっただろう。
ここで終われば、ハッピーエンドで締めくくれそうだ。
しかし、現実は非常。思い通りにいくことなんてないと、あたしたちは思い知らされる。
幸せな夢は決まって、肝心なところで覚める。
それか、悪夢に転じるものである、と。
長らく更新できず、申し訳ございませんでした。
色々と忙しい時期もそろそろ終わりそうなので、またそう遠くないうちに会えることでしょう。
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