スタートダッシュ、ダブルミーニング。
いつからそうだったか、もう覚えていない。
かつて記憶だったそれは、一体いつから夢となったのか。
はたまた夢であったが見ているうちに記憶と間違えていたか。
何度見ても同じ内容で決まった終わり方と来るならば、夢なんて曖昧なものと言っていいのかいささか疑問である。
少年は、その日も夢を見た。
子供が、砂場に一人。
スコップで穴を掘りすぐそれを埋める。
つまらなそうな顔をしてただそれを繰り返していた。
その子供を見つめる誰かが近づいて俯く子供に目線が合うようしゃがみ、こう言うのだ。
『君、いつも一人ね』
子供は話しかけられても無視し、何かに取り憑かれたように顔色一つ変えずまた掘って埋めるを繰り返す。
掘って埋めて掘って埋めて。
酷く無駄で、機械的に。
そんな態度に構わず誰かは立ち去ることはない。
それどころか、子供の隣に腰を下ろし同じように手で穴を掘りそれを埋め始めたのだ。
奇妙な行動に出た誰か。これには流石に子供が反応した。
『なに、してるの』
恐る恐る子供が尋ねると、
『いや、ずっとやってるから楽しいのかなって』
そう誰かが答えた。
子供はつぶやく。
『…楽しくなんかないでしょ』
『ええ、つまらない』
つまらなそうな顔で誰かは正直に答えた。
『とってもつまらない。でも君は楽しいんでしょ?』
子供は動かしていた手を止めて首を横に振る。
笑顔であふれた公園で、砂場の二人だけがつまらなそうにしている。
『ここは広いから走り回れるし、ボール遊びだってできる。遊具もある。
他の子供だってたくさんいる、楽しそうね。
なのにどうして、君は一人でこんなつまらないことしてるの。』
『そんなの…』
子供は言葉が詰まってしまう。
子供はそう、独りだった。
空気に溶け込み、背景に徹し、ただ聳え立つ木のように。
透関わることを拒絶され続け、諦めた。
子供は、幽霊だった。
ーーーー誰かは宥めるわけでもなく、子供が口を開くのをじっと待っていた。
やがて、震えた声を絞り出して子供は言う。
『…お友達、いない。…ぼくはいつも一人だか、ら』
『作んないの、友達』
『だって…僕はみんなと違うから、おかしいおかしいって…』
『ふーん』
ついに泣き出す子供。雫は落ち、砂が濡れる。
『男の子がそんな簡単に泣くなって』
背をさすられて宥められようが、子供は泣き喚くばかりだ。
その大声でやっと周囲が子供の存在感に気づき、視線が集まった。
誰かは少し考えて、ある提案をした。
『よし、じゃあこうしよう!』
『私が、君の友達になってあげよう!ね?だから泣き止もう!』
『ふぇ…』
誰かの提案に、子供は少し落ち着きを取り戻した。
『お友達、なってくれるの?』
『ええ、もちろん』
『…僕、おかしいって』
『言わないわそんなこと。いい?友達よ、友達』
子供の声に次第と気力が戻ってきた。
『ほんとにほんと?』
『ええ』
『ほんとのほんと?』
『ええ』
『ほんとにほんとにほんとにほんとのほんとの』
『しつこい!本当よ、本当!』
ついさっきまで泣いていた姿はどこへいったのか。
子供は立ち上がって飛び跳ね、いっぱいの笑顔で誰かを見た。
『ほら、遊ぶわよ!』
『うんっ!』
ーーーーーーそして、少年は夢から目覚める。
決まってここで夢は終わった。
これが誰の物語なのか。
それが分からないまま、今日も彼は目覚めるのだった。
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ppppppppppppp------
ppppppppppppppppppppppppp----
「っるせぇよ起きてるよ起きてる起きてる鳴くな目覚まし時計泣きたいのはこっちですぅ!」
朝っぱらから目覚まし時計に負けず劣らずで喚くこの男、それには明らかに不適切であろう拳でスイッチを殴った。
堅物を殴ったのだから当然振った拳には痛みが走る。
「っっってぇ…」
音どころか針も静止しばらばらになった残骸。やってしまったと反省するところだが、今だけは別の感情がそれを勝った。
「ああ、たく…イライラする…」
朝起きる度に破壊行為に勤しんでいるわけではない。
そこまで気性が荒く、すぐ手が出るような男ではない。
この男、宇ノ 廻。今日は特段落ち着きがなかった。
その原因は、彼が見る夢にある。
夢とは、廻にとって悩みの種である。
思春期男子たるもの、もっと悩むようなことはありそうなものだが、彼の人生にとって何年もの間不燃かつ一番の課題であった。
知らない子供と知らない少女の夢。
それだけ聞けば大したことはないだろう。
が、しかし、
「もう、忘れてえよ…」
夢は何度も現れる。
内容が悪夢だとか、そういうわけではない。
なんとなく彼の中で引っかかるところがあるのだ。
廻の記憶にはその夢の内容の体験はない。
そもそも自分にそんな関係の人間はできたことがないと。
それ以前に自分の話なのかすら怪しい。
だったら時間が解決してくれるのか。忘れてしまえばと考えたことはある。
しかし、夢はそれを許してはくれない。
忘れるころには、再び同じ夢をみた。
忘れないでといわんばかりの頻度とタイミング。当の本人は忘れたい気持ちが山々だ。
なんとも不気味な話である。
得体の知れない夢にもやっとする気持ちとそれから逃れようとする気持ち。
今日のように、彼の一日は葛藤から始まるのである。
落ち着きがないのも仕方のないことなのだ。
「廻、起きてるなら降りてきなさい!」
「あいよー」
イライラもあったが、一階から聴こえる母の声に、廻は少し冷静になった。
今に帰ったような感覚だ。
「よし、切り替えてこ!あい!」
自らを鼓舞しまだ重い身体を起こして、両頬をぱちんと叩く。
朝から一人ごとが多いのは、彼にとって夢以外に特別なことがあるときだ。
テンションが高いとき。
「待ってろ高校!青春万歳!」
部屋の窓から見える桜に廻は胸を躍らせる。
出会いと始まりの季節、春。
「早く降りてきなさい!」
「あっはい」
しわ一つない制服の袖は、まだ硬い。
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今日は登校初日。
言葉に出来ないわくわくと一緒に、俺は自転車に乗って家を出た。
風を切っていく感覚は素晴らしい。
いつもならこんなことは考えないが、高校デビューの風って思うと、特別な気がしてくる。
今の俺ならどんなことでも特別に感じられるかもしれない。
傾斜に差し掛かると、俺の自転車は加速していく。
「ふぉおおおおおおおお」
帰りにはこの傾斜を上らなければならないが、今はそんなことどうでもいい。
ただ、なすがままよ。鳥になった気分。
飛んではないけど。
しかし。
数秒後には、本当に宙を舞うことになる。
「ん?」
遮るものなんてなにもない、誰も俺を止められない。
そう思っていたのに。
横断歩道真ん中で立つ少女と目が合った。否、見つめられている。
何か驚いた表情をしているが、心当たりがない。
寝ぐせでもあっただろうか。
(全力で自転車漕いだら髪ぐらい乱れるだろ)
違う、そんなことはどうでもいい。
もっと重要なのは、横断歩道の真ん中で少女が突っ立っていたことだ。
そこは危険ですよ。車が通りますよ。轢かれますよ。
誰か教えてやればいいのに、なんでだれも教えてやらないのか。
これだから日本人は。なんでもすぐ遠慮しやがる。
速度の出た自転車を急いで止めて横断歩道の前へ。
誰もやらんというのなら俺がやるしかないないだろう。
やるときはやる男だぞ、俺は。
「あの!あんた!そこ危ないですよ!」
叫んでみたが、少女の動く気配はない。
あんぐりと口を開けて俺を見るばかりだ。ひょっとしたら俺じゃなくて後ろの人かもしれないが。
「おい聞いてるのか!」
返事はない。
道路の真ん中に居続けるのは明らかに迷惑だし、どうにかして少女をどかさないとな。
そう考えているうちに、信号の色が変わった。
歩道前で静止していたトラックからエンジンの音が。
「おい嘘だろ……」
目の前に人がいるってのに発進しようってのか。
トラックの車窓からは見えていないのか。そんなはずはない。
どうして誰も何もしようとしないんだ。
いくら遠慮ったって、この状況まで無視するのかよ。
……どいつもこいつも。
「おかしいだろうが!」
トラックの発進を見て、反射的に走り出していた。引いていた自転車を倒し、全力で少女の元へ向かい。
「危ない!」
押し倒してでも、少女をその場から動かそうとした。
少女の体を突飛ばそうと手を伸ばすと。
「!?」
やっと運転手が人がいることに気づいたらしいが、こんな際では間に合わない。
そしてまた俺も間に合わなかった。
少女に届く前に、重量と速度が、鈍い衝撃が体を襲う。
一点も見つめていた視界はぶれて、自分がどんなことになっているのかよく分からないうちに暗転した。
だがその前に、疑うべき事実だけを捉えて。
(透け……た?)
トラックがめり込んだはずの少女の体はその車体に半身を埋めていた。
衝撃を受けた様子もなく、ただめり込んでいた。
トラックを、透けようとしていた。
そして、近くで見る少女の体は薄っすらと透けていて。
目の前の現象に何とか説明と理解を求めようとしたところで。
意識h------------
※※※※※※※※※
「ということがありましてですね」
時刻は昼前、朝礼より3時間の遅れだ。
俺が参加できなかった始業式から早4日。
俺にとっての始業は今日であり、学校から頂いた言葉は新しい門出を歓迎するものではなく、こうなった経緯の説明だった。
当然学校には連絡がいっていると思うが、本人の口から聞きたいらしい。
面倒だがしょうがない。停学とかにならないだけマシ。義務みたいなものだしな。
あの後はもう色々と大変だった。
幸い、痛みなどは残っていない。
トラックが発進直後だったこともあって、気絶する程度の事故で済んだらしい。
気絶した俺を、運転手がすぐに救急車を呼んで対応してくれたらしい。
らしいじゃないだろ俺は。当事者だろ。
仕事を抜け出して病院に駆けつけてくれた母さん。今回のことが大事にならないよう色々手を回してくれた。
叱ってくれて、その言葉の裏では誰よりも俺を心配してくれた。
感謝しかない。
運転手さんもそうだ。飛び出した俺に責任を追及する気はないらしい。優しい人だ。
たくさんの人に迷惑をかけて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
こんなんで大丈夫なんだろうか。そう思うほどあっけなく終わったこの一件で、俺の中で何となく淀みが出来ていた。
大丈夫だと言われたがやはりやってしまったことには責任を感じてしまうし。
そしてもう一つ。
目覚めてからすぐにあの少女の安否を確認したのだが、
「か、母さん!あの子は!?」
「あの子?何のこと?」
そう首を傾げた母さん。
「廻、まだ落ち着かないのね」
「ああ、そう、かも……」
それから、そんなはずはないと警察の人にも聞いてみたが、事故当日にいた人にした事情聴取では、そんな話はひとつも上がっていないらしい。
言うには、何もないところに俺が突然飛び出してきてそのまま轢かれただけだと。
そんなことはないはず、あの時確かにいたんだ。
しかし、それを主張するのは俺一人だろう。ほかの誰も、あの少女の姿は見えていないのだから。
そしてあの不思議な光景を見たのも、ただ一人。
訳が分からない。
妄言にしか聞こえないだろう。
だから、それ以上何も言わなかった。
せっかく纏まろうとしていたこの一件を、俺の訳の分からないことで無茶苦茶にしたくないし。
ともかく。
宇ノ 廻。
高校生活、始まりました。
間違いだらけのスタートだけど、また、やり直していけると思います。
友達100人、それか100人に匹敵する大親友。
どちらも作れるのが理想。
嗚呼待っていろ、青春の日々。
後日、彼は頭のイカれたやつとして、一躍有名人となった。
あだ名は、とびお。
色々と、とんだのだ。
春は、別れの季節でもある。
しわ一つなかった袖は、一日でぼろぼろになった。