第9話 【き・お・く】
荒脛巾皇国の大皇視点です。
2600年前。
記憶も結構曖昧だ。あれはいつのことだったか……。
しかし、今日亡命してきた郡山という青年は、あの日、対峙した青年に酷似していた。
彼は、『皆で仲良くやろう』という意味である、『和』という概念を唱えた。『王は民のために、民は王のために』だと?!あの時は、青二才の描く絵空事だと嗤い、歯牙にもかけなかった。
彼は、吾を兄の仇だと、己の方がこの地の正当な継承者であると宣言した。正義の敵は、もう一つの正義である。
彼は、烏に導かれ、吾を東へ東へと追ってきた。その手にした剣で、草を薙ぎながら。その執念には、敬意を表さねばなるまい。
彼は、吾に対峙した時、吾に投降することを勧めてきた。それは、恰も、勇者と魔王が対峙したようだった。両者の台詞が逆であることを除けば。
答えは否だった。吾は、差し出された手を振り払い、館に火を放ち、崖から飛び降りた。骸は見つからなかった。吾は生きていたからだ。吾は地下に身を潜め、時を待った。
吾は、独りで最期を迎えた。吾こそがこの地の正当な継承者だと呪詛を唱えながら。勝者は孤独なのだ。頂点に立つ者は孤独なのだ。吾は、この地に転生した。
正義が勝つのではなく、勝った方が正義なのだ。吾は、史上初の朝敵と呼ばれているらしい。だが、戦ったのは、大和朝廷が成立する以前の話だ。彼は、吾が滅びていないとでも思ったのだろうか。
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転生後も、吾は、表の世界を覗くのをやめない。
中華思想からすれば、東西南北は、東夷、西戎、南蛮、北狄といった野蛮人なのだろうか。相変わらず、大陸の民共からは、『和』→『倭』、『姫巫女』→『卑弥呼』、『大和大国』→『邪馬台国』等と汚い当て字で揶揄されていた。
約1500年前。彼の直系が途絶えた。
約1200年前。最後の純血の荒脛巾の民も滅びた。史実では、蝦夷の阿弖流為辺りが、その可能性が高い。
約820年前。八岐大蛇討伐時のドロップ品である、草薙剣が壇ノ浦に沈み、喪われた。大和民族は、神器の管理すらまともに出来なかったのだろうか。
しかも、ヒヒイロカネの製法も失伝させおって。
他にも、政治の腐敗が四大怨霊を生んだりしたのもこれらの頃辺りか。
約730年前。神風が吹いたらしい。この頃、異国の商人の小僧が、『黄金の国ジパング』等と呼んだ所為で、この国は未だに、異人共から、正式名称の『日本』ではなく、『邪藩』等と呼ばれ、世界のATM等と揶揄され、金づるとして、搾取されているのではないか?
約120年前。英語公用語化論なるものが浮上する。大和民族は、自らの誇りや矜恃さえ、棄て去ろうとしているのかと危惧した。
抑も、何故、「名前・名字」の順なのだ?態々、異国の慣習に合わせてしまったから、寧ろ、異人共の方が、日本人の氏名の順序が「そういうもの」だと認識してしまったではないか!
数字を3桁毎に読点で区切るのも異国の慣習ではないか。この国は、万進法なのだから、4桁毎に区切らないと理に適わないではないか!
生まれ持った黒い髪を何故茶色や金色に染める?黒は何物にも染まらぬ、究極にして完璧なる孤高の色だというのに。
最近は、片仮名英語なるものが跳梁跋扈している。技術革新の進歩の速度に追いつけないから、和訳せずにそのまま使うだと?!
明治維新の頃、必死に翻訳してくれていた先哲の御蔭で、高度な学問を母国語で学ぶことが出来るのではないかね?
その頃に翻訳した漢語を中国は逆輸入して使ったというが、今は、中国はIT用語を自前で訳している。何故日本はそれが出来ない?怠けているのではないかね?
舶来かぶれも結構だが、これは明治維新の先哲の顔に泥を塗る行為ではないか!けしからんよ!
自分達の国の言葉さえ、他国の言語の文化的侵略に抗えない。この国は堕ちるところまで堕ちてしまったようだ……。
だが、あの日の宿敵の面影を残すあの青年との邂逅は、吾を熱く燃え上がらせた。このままではいけない。こうなったら、吾が直々に指導してやろう……。
き:今日
お:怒った
く:悔しい
この【き・お・く】は、古の記憶を永遠に、永久に刻むだろう……。
古代人から見た現代は、許容できる範疇を超え、怒りの臨界点を突破するだろうなぁ…。