背中
見つけようと思ってもなかなか見つからない揚羽蝶ですが、不意に現れる揚羽蝶を思い出し書きました。
暇つぶしにどうぞ。
「私のこと忘れないでいてくれる?」
答えが分かっているのか女の表情に不安はない。開け放たれた窓から入り込んでいる深い夜は部屋の温度を下げている。二人は確かめ合うようにきつく抱きあっている。
もう一人の女は答える。この女の腰のあたりには揚羽蝶の刺青が施されそれを狙うかのように背中には蜘蛛がまたがっている。
「当たり前じゃない」
裸体の二人は絵画のように完璧で美しく、この世の終わりのように綺麗だった。
「そうよね」と質問をして女は答え天井の方に体を向ける。女の視界に入り込んだのは冷たくぶら下がった電灯を中心に広がった白い世界だった。一点の曇りも汚れもないそれらが嫌みに思えて目を背ける。
隣にいる女は窮屈そうに身をよじり、天井から目を逸らす女に枝垂れかかる。手から伝わってくる彼女の体温は夜とは正反対に温かく脈打っていた。
「でもそれって悲しいことじゃない?」そう言った女の背中の蜘蛛がじれったそうに体をよじる。
「なんでよ」意外な質問に驚いたのか今度は女の顔には不安が窺える。
「だってあなたが永遠になってしまうじゃない」
「いいじゃない、それで」
二人はきつく抱きあう。その間には子供の一人も入れないほどきつく、儚く抱きあっている。最後に言葉を発した女の目は潤んでいる。
「嫌よ、そんなの。それこそあなたが死んでしまったみたいで嫌よ」
相手の手の平に包まれた揚羽蝶を逃がすように女は言葉を発しながら震えている。
「なんでよ。あなたの中に私が生きているのならば、この世界から私がいなくなっても私は生きているわ。誰もが私という存在を忘れたとしてもあなたが私の最後をずっと忘れないでいてくれたら、私は生きているわ」
一息に放たれた彼女の言葉は最後の方になっていくにつれて弱々しく天井に吸い込まれていった。抱きつく背中の蜘蛛をつぶすように女を抱く手に力が入る。
秋の夜長に飽きた夜風が退屈そうに部屋に吹き込む。
「確かにあなたはそれでいいのかもしれない。けど私は絶対に嫌。年老いて変わっていくあなたを見ながら私って生きているんだなと思いたい。そんなあなたが永遠になってしまったら私が永遠になるほかないじゃない。私はあなたと生きていたい。そうすれば絶対に忘れない」
さっきの女と違い、一度背中の蜘蛛を膨らませ言葉を繋いだ女の言葉はまっすぐ飛んでいく。
「なによそれ。意味わかんない」女は蜘蛛を自由にして、そっぽを向く。
自分の言葉が思いのほか彼女を穿ったことに驚いた女は慌てて背中から抱きしめる。手に包まれる乳房は悲しくなるほどに柔らかく、滑らかだ。
哀愁を放つ彼女の項に惹かれ、女は軽く口付けをする。甘く、魅惑てきな香りが口の中の広がり、思考が止まる。嫌がる女を無理やりこちらに向かせ、強引に唇を引き寄せる。
違和感なく入り込んだ舌が絡まりあい、さっきよりも官能的な味が味覚を刺激する。
一方的な二人は、逃げる揚羽蝶と追う蜘蛛のように自分の為に生きている。