【第一球】2
【2】
東京都北区青羽――かつて赤羽と呼ばれたこの街はある男の計画により、10年前にあっさり赤から青にカラーチェンジされた。
埼玉県から東京都へ向かう玄関口として、青羽駅は多くの人々が利用する。
ただし、若者がここを目当てに降りることは滅多にない。
なぜなら、都会の代名詞である池袋が三駅先にあるのだ。
池袋と違い、映画館に大型商業施設、劇場も有名大学もない。
つまり、「飛び抜けた魅力がない街、青羽」ともいえる。
進みゆく少子化と、「青羽は埼玉の一部」というレッテルを打破すべく、ある男は青羽を改革することを決めた。
その改革とは青羽を東京一、いや日本一、いいや、
《SEKAI NO AOBANE》にすることだ!
そのため、子育て世帯のために古くなった団地を改修し、区と都の補助金をつぎ込ませて分譲マンションを建てまくり、若者の支持率を上げるべく、青羽駅東口にあるルンルン商店街に都立高を併設した。
この学校こそ、中島大輔が通う都立青羽高校である。
青羽高校の校訓は自由だ。校則で好きな髪型と髪染め、女生徒のメイクとピアスも認めており、バイトも免許も担任教諭に申請さえすればOKだ。
しかし、自由を手に入れるためには犠牲が必要で、出席とテストがかなり厳しく、赤点者の救済措置もない。そのため、毎年留年者が二桁を超える。
退学者と中退者も同程度出るので、毎期で編入者と転学者を募集している。
今年度も二三学年から通う生徒も多々おり、その一人が中島だ。
――都立青羽高校 二年E組――
教室に着いた中島は、青アフロや緑モヒカンといった個性を爆発させる男子生徒には目もくれず、窓際の真ん中の自席にバックを下す。
彼の姿を見るや否や、アフロと話していた坊主頭の山寺太陽が机の間を華麗なステップですり抜け、彼に話しかけた。
「グッモーニン、中ジマ! さぁ、昨日の答えを聞かせてくれ! 野球部に入るという、坊主になる決断を、さぁ!」
山寺は少々熱い性格で、星でも埋め込んだ瞳と、直射日光を跳ね返すツルピカ頭は今日も虫メガネで照らすよう、ジ~っと中島の顔面を燃やす。
「アツ!」眉毛が焦げた。「――昨日も断っただろう。だいたい、俺は中『ジ』マじゃなくて、中『シ』マだから!」
イラつく相手にもお構いはない。
「俺の目は節穴じゃないぜ、中ジマ」
「『ジ』じゃない。『シ』だから! 茨城を、茨『ギ』と――」
聞く耳を持たない猿のような山寺はさっと彼の右手を握る。
「このタコは野球少年が流した汗と涙の勲章のはず。他の連中は騙せても、野球をダラダラやってきた俺の目はごまかせねえって!」
「こ、こーいう右手なだけだって。俺じゃなく、他の奴を誘えって」
「ヤダね。社会をディスる不良オーラは、野球が上手い奴の特徴だろ?」
「どんなオーラだよ! 俺はただのメガネキャラ、社畜候補生だから!」
「そー、キレんなって。某国民的キャラらしく空き地で野球しようぜ。おっさん家の窓ガラス割っても弁償してやらねーけどさ、中ジマ」
「あいつは中『ジ』マ。だけど、俺は中『シ』マ」
「そう怒るなって、中ジマ。今日から俺と野球しようぜ!」
これだけ強調しても、『ジ』のままだ。どうやら人をイラつかせる特殊能力を神から授かっているらしく、他の同級生は彼の熱心な勧誘を笑っている。
「だから、俺は家が貧乏でバイトしなきゃ――」
そのとき、一人の女生徒が大きく息を吸い込んだ。
「――中ジマ君、気にすんナアアアアアアアアッッッッ!」
バカが付くほど叫んだのは北風ユズ、野球部のマネージャーだ。
子牛のようなパッチリたれ目で、赤茶髪のツインテールとたわわな胸元が揺れている。ユズもまた中ジマ派だ。
「うっせぇんだよ! お前も毎日毎日、中ジマ中ジマ中ジマ……」
彼の沸点が超えた怒りなのか、呪いの呪文なのか、ブツブツ口から溢れ出ている。机にうずくまる彼を心配した山寺も、
「だからよ、中ジマ。気にすんナアアアアアアッッッッ!」
と叫ぶので、「うっせ! バカッ!」
と、彼はすっかりグレた。
「おいおい、人がせっかく励ましてんだぞ?」
「そーだよ、中ジマ君。空気は読もう。社会のテストに出るよ」
「出ねぇよ! どんなテストだ! いきなり人の名前をへーきで間違うバカに出会ったら、どう答えれば正解なんだよ」
「知るかよ」
「そこは『気にすんな』だろ! それが正解だろ! 出題者が答えわかんねぇって、もはやテストじゃねーよ! ただのアホだよ!」
「おいおい、出題者は中ジマじゃん。――ったく、心の闇が深けぇ」
「まったくだね。ロクな大人にならないよ」
「なんなんだよ、こいつら……」
二人は幼馴染で、一年も同じクラスで、去年文化祭で披露した演劇でのセリフ絶叫の虜となった。転学して一週間、中島は二人の餌だ。ツッコみという肉を二人はむさぼりつくす。そう、ツッコみキャラが大好物なのだ。
山寺がミュージカル風に問う。
「親か? 学校か? 社会か? お前を怒らせているのは一体なんだ?」
「お前らだよ!」
「は? 俺たちは何もしてないぞ」
「してんだろ!」と、中島は眉間に皺を寄せる。
「いいか、俺は入部を断った。だから、お前らが誘い続けるのはルール違反なんだよ。ストーカーなんだよ。俺なんかほっといて朝練しろ! 昨日も一昨日も言ったが、この手のタコはたこ焼き屋のバイトでできた――」
「――んなタコあるかーいっ!」
シュルルル、ボゴオッ! 「ばぼぶぶぶぶっっっっ!」
ユズの強烈なハートブレイクショットが中島にヒットしたのだ。
床にうずくまる不良少年に、少女は大きな胸を張って告げる。
「君はたこクルで青春を謳歌するのか? クルクルは天パだけにしやがれ!」
子犬のよう目が潤む彼に、山寺が優しく手を差し出した。
「今年から転学してきて、一年に混ざって、二年から入部するのは恥ずかしいかもしれねぇよ。だけど、お前……暇だろ? 暇すぎて何すべきかわからない病だろ? だったら、一緒に野球しようぜ、中ジマ。野球はな、楽しいぜ」
「そう! 野球はね、外野の芝生で寝るスポーツなの♪」
いつからか、三人は青春舞台のキャラになっていた。おおむね、中島が演じるダメな同級生を野球で改心させるストーリーだろう。
なんなんだ、なんなんだ、この学校は……。
目から涙がこぼれ落ちたそのとき、ガラガラガラ――。
「北風に山寺! ま~た中島をいじめやがって。俺の首を飛ばしたいのか?」
と、予鈴五分前に担任の白川清澄が現れた。
「監督、俺たちは野球部のためにやっているんです!」
「そーです! このままだと春大一回戦負けです! 即戦力が必要なんです!」
反論する二人に白川は黒表紙を開け、ペラペラと成績を見始めた。
「だったら山寺。今すぐダイ・ジョブス博士の手術を受けてこい。もっとも、野球で活躍しても英語の成績がこのままなら留年まっしぐらだが」
「アハハ……。監督、フラグ立てないでくださいよ。アハハ……」
担任の圧力に苦笑いを浮かべる。目は笑っていない。
「タイヨーは留年しないためにも坂ダッシュ100本ね」
「はぁ? ダッシュと英語は関係ねぇし。つーか、また誰か肉離れすっぞ」
「たった100本で口答えすんな! お前らはテイオーに勝ち、私を美人マネージャーとしてYouTuberデビューさせる義務があんだよ!」
「恐ろしく不純な動機だな、この腹黒マネ!」
「ハゲ坊主に口答えする権利はないんじゃ、ボケェ!」
「ハゲじゃねーし! 坊主の究極進化系、HGだわ!」
あきれ果てた監督はビシッと告げる。
「朝から痴話げんかはやめぃ! 彼女がいない俺への当てつけか?」
「付き合ってない!」と、自然と声が重なる部員二人に、
「とりあえず野球部監督として、お前らの成績はよ~くチェックしとく。部の名誉のためにも見本となる成績を頼む、な?」
その言葉で二人はカチカチに凍りつくも、クラスは春風に似た心地よい笑い声に包まれた。もちろん、冷や汗まみれの中島の表情も緩んだ。
「起立、礼、ありがとうございました」
HRが終わり、生徒が一斉に教室を出て行く。
「中ジマ、野球しようぜ!」
「HEY、NAKAZIMA! グラウンドへレッツゴー♪」
にこやかな顔で誘ってくる山寺と北風に、
「バカバカバカバカバカバカ!」
と、彼は罵声を飛ばして駆け足で学校から去っていく。
中休み、昼休み、はたまた小休憩もしつこく勧誘してくるので、二人をプロのストーカーと認識しているのだ。
どんどん小さくなる背中に、ユズが甘えた声で担任にいう。
「監督ぅ、彼を部に入れましょーよぉ。ドラ1即戦力ルーキーですよぉ」
ギクッ! 白川は背筋がピンと張るも、諭すように返した。
「あのな、あの子は家庭の事情で、週五でバイトしているんだよ。部活やる余裕もお金もないんだ。その辺は察してやろうぜ」
「監督ぅ、でもでもですよぉ。高二からガムシャラに働いて、サビ残を強いられて売れ残った商品を給料から天引きされ、ブラックな大人と社会を知って、ある日、『もう働かねぇ、俺はニートになる!』って宣言したら、どうするんですかぁ? 担任である監督の重大な責任問題になりますよぉ? 次の人事で小笠原行きですよぉ?」
東京の南東には小笠原諸島、つまり、都立校教諭の転勤先候補がある。
「……怖いこと言うなよ。ちっと想像しちゃったじゃねぇか」
相方の太陽も同感のようで、「あいつはちょいグレてるし、このままではサイコパス化します。教師として、それでいいのですかぁ?」
「始業式はフツーのメガネ男子でデビューできたのに、たった一週間でグレさせたのはどこの誰ですかねぇ?」
「監督のせいでしょ?」
「ちげーよ、なんで俺だ! まったく、俺が神経使いまくってるつーのに、アホなお前らときたら……」
――なんか、四十万だって気付いてね??????
新たな脅威と遭遇し、三〇代男の白髪が増えていく。
なんなんだ、なんなんだよ、あいつらは!
正門を抜け、商店街から駅へ向かう人波に交じり、中島は頭を抱えていた。
正体がバレそうなのだ。転学して一週間しか経っていないのに……。
過去に起きたことが知られると、彼の第二の人生は終わってしまう。
だから、絶対に隠す必要がある。しかし、なぜか二人は気付きそうだ。
まさか……正体は異能力者? 秘密組織と戦っている?
だが、その予想は外れている。二人はアホだ。アホだからこそ、初期ステータスを直感力に全振りし、一か八かの一撃に賭ける勇者のような二人なのだ。
その一撃がまさかのまさか、中島に直撃したのだ。
――あの担任、『俺に任せとけば、だいじょ~ヴイ』ってなんだよ。
いきなりボス登場じゃねぇか!
あ~、クソぉぉ……この先どうなるんだよ……。
クルクルな天パ同様に脳内が渦巻いていると、商店街を抜けていた。
商業ビルが建ち並ぶ青羽駅東口バス停の、人通りの多いロータリーに着く。
そこから右側、駅そばのワイワイ商店街に入ってすぐ、細い横道に入る。
狭い道を挟んだ、小さな飲食店が連なる飲み屋街だ。
建物に染み付いた酒の臭いが鼻奥を刺激するも、ベテランやきとり店主の熟練の業で焼かれる鶏肉の香ばしさに、じゅるりと唾液が溢れてくる。
「お、中島君! 堀のおっちゃんの話し相手になってや!」
飲み屋の間に彼のバイト先、たばたこ屋がある。可愛いタコ柄シャツを着る店主、多古孝夫は四〇歳で癖のある関西弁を話す。
「はい! すぐに!」と、彼もまたタコシャツを着る。
たばたこ屋は居酒屋風たこ焼き屋だ。とはいえ、カウンター九席のみで酒は出さない。なぜなら、多古は酒がまったく飲めないのだ。
人気メニューはピザタコ焼き。具をたこ焼きに代えただけの逸品でも、キンキンに冷えたコーラと合い、売り上げの大半を占める。値段は八八八円。
「一〇時過ぎたで。中島君、また来週頼むで。ほな!」
バイトが終わると、彼は制服に着替え直し、日夜酔っ払いが叫ぶルンルン商店街を素通り、まっすぐ自宅へ向かう。
家に帰ると、すぐさま風呂のスイッチを入れる。温度は四十二度だ。
ベランダの洗濯物をハンガーのまま部屋にかけ、布団を敷き、その上で賄いにもらった大量のたこ焼きを食べつつ、ネット番組でアニメを見る。
食べ終わり、湯船で疲れた身体を浸らせ、フ~っと息を吐く。
ジュースで酔っ払ったおじさんの相手は高校生をひどく疲弊させる。
接客業は大変だ。指と腕には火傷痕ができ、クルクルしすぎて手首が痛い。
――ここで挫けちゃダメだ。俺は一人で生きていくんだから。
湯の中で小さく拳を丸める。心に刻んだ戒めを奥歯と共に強く噛み締めた。