第3話 少女
「おなかがすいた」 少女は小さく呟いた。
施設を抜け出し、荒野に飛び出してから何日が経ったのか分からない。追っ手を警戒して街道を外れて進んでいるため、食料の確保もままならない。すでに顔色は青白く、足取りも覚束ない。
「早く……魔術師の人を見つけなきゃ」
誰かに助けてもらわなければ、きっと自分はもう長くない。そう思いながら、それでも少女は一歩一歩、乾いた地面を踏みしめて進む。
ピンク色の鮮やかな髪が風に揺れた。
ふと、脳裏に浮かぶ顔がある。 ――ツヴェルフ。 自分よりも先に施設から逃げ出した初老の男。あの人は、今どこで何をしているのだろう。
「また、会いたいな……」
生き延びさえすれば、きっとまた会える。そう信じて、少女は微かな予感に導かれるまま、足を進め続けた。
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陽が傾き始めた頃、DDはようやく視界の先に街道の案内板を見つけた。
『キャンパス←38→ブローケン』
「……38番街道か」
港町キャンパスを出発して、もう二週間が過ぎていた。 本来であればとっくにブローケンを越え、その先の街に着いているはずだった。しかし砂嵐に進路を妨げられ、結果的に大きく遠回りをする羽目になった。
DDは杖の先に灯りを灯し、宵闇の中を歩き出す。
夜の帳が降りる前に辿り着いたのは、街道の駅――『ホワイトブランク』。 石造りの門を守る門番に身分証を見せ、無言のまま中へと進む。
小さな宿屋、酒場、雑貨屋、そして裏手には馬屋。 何台かの馬車が停まり、夜を待っていた。
「さて……王都行きはあるか」
DDは馬車停留所の黒板に視線をやる。
『荷馬車。王都経由、シルベア行き。早朝出発。荷台に空きあり』
思わず息をつく。運が悪ければ何日も足止めを食らうこともあるのだ。
ベンチに腰を下ろし、水筒の水を喉へ流し込む。久々の水に、全身が蘇るような感覚が走った。
"……生きている、か"
死ぬことはない。 だがそれは、果たして“生きている”と言えるのだろうか。
そんな思考の渦に沈みながら、いつしか瞼が重くなる。
「……あんた、王都まで乗るのか?」
揺すぶられて目を覚ました時、馭者の男が立っていた。
「ああ、そうだ」 「それなら俺の馬車だ。銀貨3枚のところ、護衛込みなら銀貨1枚でどうだ?」
馭者は煙草のような細い葉巻を咥えながら、肩をすくめる。
「護衛か。盗賊でも出るのか?」
「ああ。峠の向こうでな。最近出没してるらしくてな、あんたみたいな魔術師が乗ってくれりゃ心強い」
「……ちょうど小銭が欲しかったところだ。引き受けよう」
馭者は笑みを浮かべ、馬車を指差す。
「夜明けと同時に出る。寝坊すんなよ、相棒」
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旅は順調に始まった。
一日目、街道の駅モースウィンで一泊。 二日目、農業都市リバースブローケンに到着。
実りの季節で、町中には小麦や果物を満載した荷車が行き交う。
「こりゃ盗賊も寄ってくるわけだ」 DDは街の雑踏を眺めながら呟いた。
王都行きの荷を追加で積み込み、出発したのは四日目の早朝。 その日の夕方、峠の麓にある街道の駅――クロスリームに到着。
そこで食糧と水、野営の備品を補充した。
「これからが峠越えだ」
馭者の男がDDの隣でつぶやいた。
「二日かけて登り、また二日で下る。その間に盗賊が出る。そろそろ護衛の本領発揮といこうぜ」
「無駄に働くことのないよう祈っておけ」
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峠越え初日は霧もなく順調に進み、夜は静かに明けた。
二日目の頂上には小さな街道の駅があり、数人の兵士たちが焚き火を囲んでいた。 彼らに酒を振る舞われながら、DDは夜空を見上げた。
“天命”が尽きるその日まで、自分はこうして旅を続けるのだろうか。
彼の横で、焚き火の赤が揺れていた。
そして、三日目の朝。
霧。
あたり一面が、白い濃霧に覆われていた。 まるで世界そのものが、何かを隠そうとしているかのように。
「……いやな予感がする」
DDは杖を強く握りしめ、霧の中を見据えた。