0-1.『M t O Ⅱ』発売
序章第1話
「この日を何年待ちわびたことか……!」
手に入れた初回限定版のゲームソフトが入っている紙袋を、美晴は紅潮した頬をゆるゆると緩ませ、しかし腕には力を込めて抱きしめた。
2019年2月11日、実に10年ぶりに、『Magic the Origin』シリーズの最新作となる『Magic the Origin Ⅱ』が大手ゲーム会社・トラベラーズから発売された。
トラベラーズの大人気RPGシリーズ『ロストファンタジー』通称『LF』で現在ディレクターを務めるゲームクリエイター・笠井映治が、自身が夢に見た世界を題材に、初めてディレクターを務め、キャラクターデザインからシナリオまで手がけたRPGシリーズ『Magic the Origin』。公式では『M t O』と略されているが、ファンからは『オリジン』と親しみを込めて呼ばれている。ちなみに、美晴は『オリジン』派だ。
ゲーム好きな兄からもともと影響を受けていたとはいえ、美晴を、仕事と食事に求められる以外の時間と給料のすべてをゲームに注ぐほどの立派なゲーム廃人に育てたきっかけとなったのはこの『M t O』シリーズであり、ゲーム廃人・小森美晴の文字通り『オリジン』といっても過言ではない。
シリーズの1作目『Magic the Origin』は2007年7月、美晴12歳の夏に発売された。
タイトルの通り、「魔法の起源」の時代が舞台となっており、魔法を研究する学者・ウリエルが、不吉な青い月の夜に現れた魔物・アンセーフの調査を王に命じられ、弟子のフィンと仔ドラゴン・ジェイドとオーシェント大陸を巡るのだ。魔法が未発達な時代のため、新たな魔法を生み出す合成システムや、学者という主人公の職業から「敵の分析」という行動があるなど、非常にやり込み要素の多いゲームである。
次いで2009年3月に発売された『Magic the Origin 神々の兵器』通称『ドール』は、『M t O』シリーズの外伝的作品であり、オーシェントに語り継がれる古の戦争を体験するといった内容のものだった。ムービーが多く、操作キャラクターもウリエルではないことやバトルシステムなどもまったく異なることから、ファンからの評価が分かれた作品であった。
『ドール』発売以降、『M t O』シリーズの開発情報はなく、シリーズは完結したと思われていた。
どちらも何十周とクリアし、やり込み要素をやり込み抜き、すべての隠しイベント・隠れキャラクターを解放し、毎回エンドロールで号泣するほどの大ファンである美晴は、いつか続編が出るのではないかと願いを込め、実に執念深く、約7年間トラベラーズ公式ホームページのチェックを欠かさなかった。
そんな中、忘れもしない2017年5月。
トラベラーズの公式ホームページに美晴は見つけたのだ。
『 【最新情報】Magic the Origin Ⅱの開発決定 』の文字を。
(コロンビア!!!!!!!!!!!!!)
美晴は天を仰ぎ、拳を突き上げた。同僚に変な目で見られようと、髪が薄くなってきた上司に残業を押し付けられようと、どうでもいいほどに美晴は舞いあがったのだった。
開発発表後に発売されたゲーム雑誌で、ディレクターである笠井のインタビュー記事を熟読した美晴は、笠井の「久々にあの夢を見て、フィンに会って、まだ続きがあったのかと思ったら開発を進めざるを得なかった」という言葉に、「ナイスレム睡眠!」と拍手を送り、「もうシリーズが続くことはないと思っている」という言葉には枕を濡らすほど落ち込んだ。
だが、発売日前日となればその憂鬱な気持ちなど容易に吹っ飛び、寒い夜の風も気に入らないほど、周囲から見てもわかりやすく美晴は浮かれていた。
日付が変わると同時に『M t O Ⅱ』を受け取り、自転車をかっ飛ばして帰宅してから12時間後。
食事は効率を重視して10秒飯を吸い込むだけで、トイレに立つ以外は椅子と運命共同体だった腰が悲鳴をあげる。しかしその訴えを無視して、美晴はエンドロールを前に号泣していた。
「無印の隠しイベは伏線だったんか…確かに意味深だったけど、わからんて………あのBGMは反則じゃない? ラスボス戦号泣して操作ミスって一回死んだわ…謀ったな、笠井ィ……」
『M t O』シリーズには理不尽なほどに発生条件の難しい隠しイベントが複数存在する。そのうちのひとつが、『M t O』第3章のイベントクエスト《母の子守歌》である。
『M t O』シリーズのキャラクターには「CHA」という魅力のステータスがあり、フィールドでの行動において重要な役割を担う。「CHA」が高ければ酒場の美女(NPC)のみぞが知る情報を入手できたり、主人に忠実な衛兵(NPC)を説得して退かすことができるなど、NPCに対して絶大な効果を発揮するステータスなのだ。
《母の子守歌》発生には、操作キャラクターのウリエルの「CHA」の数値が装備なしで230を超えている必要がある。デフォルトから「CHA」の高いフィンとは違い、ウリエルの「CHA」をあげるのはなかなかに時間がかかるため、1、2周目でこの隠しイベントに気づくことはまずないだろう。美晴も攻略サイトを見て、この隠しイベントを知ったのだ。
イベントの内容は、事情があり街にいることができなくなった母子を、ウリエルとフィンが母親の故郷まで護衛するというものである。このイベントには他の隠しイベントとは違い、女性が歌う子守歌が専用BGMになっているという特徴がある。
イベントではその母子の事情が語られることはなかったが、『M t O』のラスボスが離れ離れになった家族と再会したいと願った故に魔力が暴走し、アンセーフを生み出す魔物と成り果ててしまった大罪人であったこと、そして『M t O Ⅱ』のラスボスでアンセーフを統率していた魔王との戦闘BGMが《母の子守歌》と同様だったことから、Ⅰのラスボスがあの母親の夫であり、2人の赤ん坊がⅡのラスボスなのだということに、美晴はすぐに気がつき号泣したのだ。
しかも、魔王はフィンたちとの戦いに敗れると、
「母の子守歌を忘れてしまわないように」
と、命が潰える前に、最後の力を振り絞り、父が息を引きとった場所に自らを封印してしまうのだ。
フィンはそんな魔王の最後の願いを叶えるため、止めを刺すことなく、その場を去ることを選択する。その行動が美晴の涙腺に止めを刺した。
エンドロールが終わり、「Fin」の文字が中央に浮かびあがる。
美晴は垂れた鼻水をティッシュでかむと、壁にかかっている時計を振り返った。14時を示す短針を見て、腹がぐぅっと音を鳴らす。
効率を重視した食事では充分に腹は満たされない。美晴は食料を調達するため、財布を手にとった。
コンビニに向かう間も、美晴の頭の中は『M t O Ⅱ』のことでいっぱいだ。
(隠しイベとキャラの伏線はメモしておいたけど、絶対もっとあるよね。あとは装備コンプと、全ルート見なきゃ! ああ、あと宝箱も探さないと)
やり込んでこその『M t O』だ、と美晴はにやにやした口元を隠さずにスマホを操作する。
(さすがに発売日ってこともあって、攻略サイトにはまだメインキャラの情報くらいしかないな。なるべく見ないで、全イベ解放したい!)
私はやればできる子だ!と脳内で自分を鼓舞していた美晴は、待望の『M t O Ⅱ』を一周したことに浮かれていた。
横断歩道で立ち止まり、スマホから目をあげなかった美晴は、今回はどんな隠しイベントが待っているのか、と期待に胸を膨らませ、浮かれていた。
端的に言えば浮かれ野郎でしかない美晴は、不自然な動きをする車に気がつかなかった。
これまで感じたことのない強い衝撃
一瞬ののち、美晴は車に弾き飛ばされ、血だまりに倒れていた。
周りから悲鳴とざわめきが聞こえてくる。美晴の傍らに屈み込み、呼びかけてくる声も聞こえるような気がするが、正直美晴はそれどころではなかった。
(え? 私死ぬ? 私死ぬこれ? ホワッツ???)
これが走馬灯なのだろうか、両親と兄の顔が美晴に微笑みかけてくる―のを押しのけて、『M t O Ⅱ』のパッケージが鮮烈に浮かびあがり、その奥から開発者の笠井が顔を出す。
(おいおい、待て待て待て。まだ1周よ? この日のために同僚に『海外旅行行ってきますキャピ☆』とか言って有休までとったのに、まだ1周しかしてないとか何事??)
美晴がこの世で最も尊敬する銀縁メガネのおじさんが、無言でピースしてくる。
(ふざけんな! やりこんでこその『オリジン』だろ! こんなところで死にたくないわ、あと100周はして攻略サイトで全国の『オリジン』ファンと有意義かつ建設的なお話させろや!!)
『M t O Ⅱ』をやり込むまで死ねるか!!!!と起きあがろうとするも、ベチャ、という不快な音をたてて、美晴は意識を失った。
その日、テレビでは居眠り運転による事故で、24歳女性会社員が死亡したというニュースが報道された。