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幽かな記憶を手に刻んで  作者: 青鷺 長閑
7/8

Episode 4: December, 25th, 2013.

 ゼミで発表を担当していた泥沼の英語論文も何とか年内は切り抜け、年始で無難に締めくくるべく冬休みでスパートをかけようかという折、俺はクリスマスデートといういささかの小休止を挟むことになった。


 大学近辺には実に多くの飲食店が軒を連ねている。居酒屋に始まり、ラーメン屋、中華料理店、最近の流行を受けてか牛丼屋などのファストフード店まで見えるようになった。

 特に俺の大学周辺には数十年前から由緒正しくも残り続けているカツ丼屋があって、大多数の在学生に今なお人気を集めている。


 大学こそ違ったが、そこのオムライス定食をアイツがどうしても食べたいということで二年終わりのクリスマス、夕方から食べに行く予定が立っていたのだ。

 その日は俺が珍しく日中のシフトだったから、アイツと会ったのは夕飯時もギリギリという時間帯だった。俺がバイトでカウンターにいた時ちょうど煙草を買いに来た同い年の元バイト仲間が、

「お前今日これから――ちゃんとデートすんだろ。くっそ羨ましいぜ」

 とか何とか言ってきたのを憶えているが、奴は果たして俺がある程度の覚悟を決めた上で約束を取り付けたということを分かっていたのだろうか。

 いや、きっといつものように遊びに歩くだけで、それが偶然クリスマスだったとしか思ってなかったことだろう。実際俺も、今日そうする機会がなければきっと一生そういう運命には恵まれなくて、ただ普通にアイツと一日を過ごしていたという可能性も、その時点では三割くらいは、あった。だが逆に言えば七割は今日限りで八年間の関係を壊し新たな道に脚を賭すつもりだった。

 大学まではアイツの車で行ったが、念のため親には電車で行くと言ってあったから駅で待ち合わせることにした。五時半に集まる予定だったのでそれまでには俺は駅の待合室にいたはずだが、アイツは来なかった。時間にシビアなアイツじゃないのは割と前から分かっていたから別に驚きも怒りもしなかった。というかそんな余裕もなかった。今日の予定でいけば、その時を迎えるのはきっと車の中だろうという予測をただアイツが来るまでの三十分で立てていた。


 定食屋に行くまでの道中何を話していたかは記憶にない。ただ、ホームページの情報によれば懸案のオムライス定食というのがクリスマス直前までの限定メニューということだったから、聖夜当日に行って作ってくれるのかどうかという心配は二人でしていた。

 出発前にサイトで定食屋のバイトにコンタクトを取っていたし、また幸いにもその日は店主がいたため特別にオムライスを作ってくれた。当然アイツはそれを食べた。俺は、別にオムライス自体が嫌いなわけではないが、その店に入ってとんかつを食べないのは申し訳ない気がしたし、そもそもバイト上がりでガッツリ食べたいという感じがあったからいつものチーズとんかつ定食を頼んだ。大体どこへ食べに行っても数種類のメニューの中からしか選ぼうとしないのは俺の悪い癖と思うが、そんなこと言ったらイタリア人なんかみんなそうなんだという理屈を心の糧にしている。ちなみにそう言ったのはイタリア語の先生だ。


 新しいメニューを何にするかという店主とバイトの極めて切実な会話を聞きながら、四十分くらいかけて食べ終わった。


 その後何をするかは全く決まっていなかった。俺はもちろんどこかに行くつもりだったし、ずっとチャンスを窺っていた。クリスマスに出歩いているということで満更ではなかったんだろう、アイツも家に帰るとは言わなかった。



******



 どちらが何をきっかけにどう言い出したのかも具体的には憶えていないが、俺とアイツ二人でいたら、何となくカラオケに行くという雰囲気になって、地元の駅前まで引き返すことにした。道中の会話? 憶えてるわけねぇっつの。

 雰囲気、とは言ったが、実際アイツと二人でカラオケに行ったことなんかないような気がする。


 片恋相手と人生初の二人カラオケ。普段の俺ならば緊張もしていようものだが、その時ばかりは別段何とも思っちゃいなかった。


 そして人生初の告白を目前にしても、何故か平静は維持できていた。帰りの二十分、助手席に座りながらその覚悟を過去との決別に変えていたのかも知れない。



「あのさ」



 アイツがエンジンを完全に切ったことを確認して、静寂に包まれたなか、駐車場で俺は切り出した。



「なに?」



「こんなタイミングで言うのもどうかと思うんだけどさ――」



 長かった。




 感情を覚悟に変えるまでが。




 覚悟を決意に変えるまでが。




 そして、決意を言葉に変えるまでが。




「俺……お前のこと、ずっと好きだったんだ」




 八年間の片恋は、終わりを告げた。




 これで、もう友達という関係には戻れない。数秒前の関係は修復できない。


 全てを分かった上で、俺は伝えたんだ。



「え……ちょっと待って……」


 一瞬だけ、アイツの表情から笑顔が消えた、気がした。暗がりで見えなかったというのは建て前で、恐らく、俺は怖くてアイツのことを見ていなかった。紺色のネックウォーマーに口元まで沈めて、しかしはっきりと十数センチ先のアイツに届くように、俺は伝えた。



「ねぇ……冗談、でしょ……?」


「……冗談でこんなこと言うかよ」


「本気で言ってんの……」


「あぁ、本気だよ」



 ここまでは即答していた。投げられたボールをただただ打ち返すように。気持ちがなかったわけじゃない。俺にとってはあまりにも当たり前のこと過ぎて、そこに再考の余地なんてなかった。したら、そこできっと終わりだと思った。


 アイツの次の言葉を待った。実際は一瞬だったに違いないが、俺にはその時間が永遠より長く感じられた。




「とりあえず……さ、カラオケ、行こう?」




******



 時間を与えた、と言えば聞こえはいいが、要するにはぐらかされてしまった。だがそんなことで逃げ道を与えるわけにはいかなかった。俺に対する感情の有無についてそれなりの心積もりを期待していたから、何としても今日中に結論を聞き出したかった。それも伝えた。


 カラオケには行ったが、何を歌っていたかは全く憶えていなかった。それなりに音域が合ってかっこいい歌は全部入れていた気がする。最後の悪あがきというか、人海戦術である。今更意味はないのかも知れないけど、もし万が一、億が一にでもそれで運命が変えられるのなら変えてやろうと思った。

 アイツもカラオケは好きだったから、それなりに楽しんでいるようには見えた。しかしアイツ自身も頭の中は空っぽだったようだ。いつも隣どうしにいた俺とアイツだが、その日だけはちょっと距離を置いていた。それでも手を伸ばせば届くくらいなのに、どうしてかずっと遠くの存在のように思えた。


 言いたいことは全部言ったんだ、と感じた。どう考えてもアイツとの未来に繋がるような返事は貰えそうにないけど、それでも俺は女としてのアイツにケリをつけて、ある意味で新しい道を進むことができるようになったんだと思った。そう思わなければ気持ちの整理がつけられなかった。


 俺は、カラオケ終わったら返事聞くから、とだけアイツに言っていた。



******



 市内の一部では二十四時間営業をしている店舗もあるらしいが、地元の寂れた田舎町にあるそこは完徹をしても翌朝五時には退室しなければならなかった。周辺に家のない人は追い出されたらどうすればいいんだという話になるが、そこは始発に乗って帰れとでも言いたいのだろうか。

 まぁ家に帰るとは言っても五時ではやや億劫な感じがするので、俺も無休にすればいいのにと常々思ってはいたが、この日ばかりは退室時刻が決まっていて助かったと思った。そうでなければ返答をいつまでも先延ばしにされて、有耶無耶になってしまいそうだったからだ。それだけは嫌だった。そうされるくらいなら振られる方がよほどマシだった。


 部屋を出てほぼ一言も喋らず精算を済ませ、車に乗った。無論覚悟はしていたがやはり気まずい空気が漂った。数時間空いてやってきたその雰囲気に押し流されそうになったが、ここで何も言わなければ俺はこれから先誰を好きになったとしても一生告白なんてできないと思った。


 車が自宅付近で止まった時、俺はもう一度、口を開いた。


「……返事、決まったのか」


「……考えてなかった」


 嘘だ、と思った。


 かれこれ何人目の男からの告白で、数えるのも面倒になるような出来事をいちいち気にするような慈悲もなかったのか。一瞬だけそんなことを考えたが、そんなことあり得るはずがなかった。いくら何人の男に感情を揺り動かされてきたからといって俺の気持ちを無下にするような奴なんかじゃないと信じていた。そして実際、この一言だけが、この一日の中でたった一度きりの「嘘」だった。


「どうして私なの……?」


「どうしてって……理由なんか、ねぇよ。俺は、ずっとお前が好きだった」


「だって今まで見てきたでしょ、私がずっと付き合ったり別れたり繰り返してたの。アンタが……アンタが一番分かってるはずでしょ? 私こんな人間なんだよ? もう一度考え直してよ」


「考えたよ。何度も何度も。それでも、何度考えても変わらなかった」


「そんな……」



 あんなに弱いアイツを見るのは初めてだった。怒ったり悲しんだりしているわけではなかった。戸惑いを隠せない表情、というのはきっとあんな顔のことを言うのだろう。


 車一台通らない明け方の一本道で、そんな会話をどれくらいしていたことだろうか。少なくとも五分はしていたような気がするが、実際は二、三分の出来事だったかも知れないし、もっと長かったかも知れない。


 四六時中インターネットを使っているような人間なのにどうしてそういう時に限って口説き文句の一つも用意してこなかったかと言われれば、それは一つの失態と言えるだろうが、正直俺はそんなもの要らないと思っていた。心にもない綺麗事ならアイツにはきっと見透かされるだろうし、それで上手くいったとしてもいかなかったとしても、きっと後悔することになると思った。なら多少言葉足らずでも想い続けてきたことをそのまま全部伝えて、気持ちを晴らしたかった。



「返事、くれないのか」



「……ちょっとだけ、時間、ちょうだい。考えさせてよ……」


 ただの男友達だと思ってた奴から突然そんなことをそんなタイミングで言われたら、すぐに結論なんか出せない、と考えるのは至極当然のことと言える。だが、俺はそんなこと微塵も考えなかった。アイツの中では俺が友達止まりなのかそれともその先まで進んでもいい、それを許された男なのかが決まっていると思い込んでいた。別に計算尽くで告白したわけじゃないが、そんな返答は、計算外だった。


 でも、アイツがそう言った以上は、俺に残された手段は待つしかないのだと思った。


「……分かった」


 いつまでに返事が欲しい、なんて言わなかったが、永遠に待ち続けるのは嫌だった。それはきっとアイツにも伝わっていた。


「考えて、ちゃんと返事、するから」



 その時はただ、その言葉を信じるしかなかった。


 いつまで待たされるのだろう、と途方に暮れた。でもアイツがそう言ったのだから、焦る気持ちも少しは抑えて、待とうと努力した。それが一週間なのか、一ヶ月なのか、半年なのか、それ以上なのか。女が考えるための時間がどれくらいかなんて考えても俺には分かるはずなかった。



「それじゃあね。今日はありがとう」



 それだけを言って、俺は車を降りた。


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