Interlude: Surely
疎遠になっていた高校時代でさえ片時もアイツのことを忘れたことはなかった、と言えば、それは嘘になる。俺という男は醜いもので、アイツが俺のことを好きだったらいいのに、そう強く思う一方でもしこのままずっと一歩先に進めず関係が終わってしまうのなら、という恐れも捨てきれなかった。
だからというのはおかしいけれど、高校には高校で多少気になる女子がいた。
特に一年の頃は選択音楽の関係や合唱部の助っ人をやっていたこともあり、それなりの女友達はいた。その何人かについて、俺の持つそいつに対する感情は恋愛絡みのそれではないのかと考えたことがあった。
だが、そういうことを考える度に、どうしてもアイツのことが頭に浮かんできた。それがアイツに対する気持ちから来るものなのか、それとも何か罪悪感があったからなのか、その理由はかつての俺にも今の俺にも分からない。結局、俺は誰と特に何というイベントも起こさないまま平穏に高校生活を終えた。いや、終えたから今こうしているんだけどさ。
アイツの通っている地元の高校の文化祭にも足を運びその顔を拝んだこともあったが、そうこうしているうちに最初の二年間があっという間に過ぎて、気付けばもう大学受験のシーズンに差し掛かっていた。
最初のうちは早稲田とか慶応とか北大とか、そんな夢のまた夢みたいな大学に目を向けていた時期もあった。だが当然の帰結というか何というか、最終的には地元Fランの国公立に落ち着いた。ちょっと卑下し過ぎだろうか。いやいや、どこへ行っても頭の出来の悪い連中しかいる気配がしないのだからそれくらい底に落としても問題あるまい。
とにかく三年の受験期ばかりは逢えない相手の事を幾ら想っていたところで成績には結びつきそうにもないので、忘れ去って勉強に集中しようと努力した。その努力が実ったのかどうかは結果だけ見ても定かでないが、少なくともそれから成績を落とすことはなかった。伸ばすこともなかった。
アイツも地元に残るという話は風の噂か何かで耳にしていたから、受験が落ち着いたらきっと会って話す機会も増えるだろうと思っていた。実際そうはなったが、そのあまりの予定調和に俺は完全に流されてしまっていた。チャンスが生まれたからと言って気持ちが伝わるわけじゃない。心の距離が縮まるわけじゃない。
会えて嬉しい。話せて幸せ。その状況に満足して次を求めようとしない油断が、妥協が、俺達の関係を「友達」で留めてきた。俺が何もしない所為で、アイツは他の男の元にばかり行っていた。俺とアイツの距離はその度に遠のいて行く一方だった。
大学には色々な人がいる。それは俺が一年で知り合った友人のことを考えてもそうだし、だから今まで関わったことのないような異性とも、何か運命的な出逢いがあるのかな、と、考えはした。それは別に期待ではなかったし、現実にもならなかった。ただ殺伐と「色んな」人がいるんだと知るばかりで、やっぱりアイツだけが俺にとって唯一無二のかけがえのない大切な存在なのだと知るばかりだった。
俺はただアイツが欲しかった。誰かに取られるなんてよりもまず自分の気持ちを伝えようと思った。だが機会を逃し、勇気も失くし、俺の与り知らない誰かと幸せになっているのを目にし耳にして、いつしかそんな欲望も消えかけていた。アイツという存在は俺が好きな相手。片恋している相手。それを脳裏に刻んだまま、実際には何もしてこなかった。
アイツの幸せが自分の幸せだなんていうのは所詮言い訳に過ぎない。男ならば意中の女はどんな手を使っても他から奪うべきだと思うし、どんな最悪の結末を迎えようとも、あるいはそれが分かっていようとも思い立ったその時には自分の想いを打ち明けるべきだと思う。そう思っているのに俺はそうしなかった。何故か。決まっている。そうする勇気がなかったからだ。
伝える勇気も、友達から一線超える「勇気」も、俺は持っていなかった。だったらせめて、という一心で、アイツとは友達関係であり続けた。不満足だったかと言われればそれはそうだし、そうでもなかった。もどかしい関係ではあったが、それでもその微妙な距離感を八年間は楽しんでいた。アイツが俺を見限らず一緒にいてくれたことだけが、ただ唯一の救いだった。
ならばどうしてそこまで一緒にいてくれるのか、それすら考えたことがあった。アイツにとって俺とは一体何なんだろうか。
俺からの「何か」を待ち侘びてでもいるのか。それとも友達は友達に過ぎなくて、それ以上の関係になるつもりはないと心の中できっぱりそう決めているのか。
アイツの内心について、何故かその二つの選択肢しか考えようとしなかった。当然前者を期待した。だが現実を考えれば後者であることはまず間違いだろうと思った。恋愛自体にさほど興味を持たない俺にとっては、「自分の気持ちを伝えることで状況を変える」というのは、物語の中の出来事に過ぎないとしか思えなかった。自分の気持ちも向こうの気持ちも、その何もかもが天から与えられた所与のものだとしか思えなかった。
だがそれは違う。自分のことを考えてみれば分かる。この気持ちはずっと変わらず揺らぎないものだったかと言われれば決してそんなことはない。揺らいだというと語弊があるが、アイツと会えば会うほど、そして会わない時間が長ければ長いほど、アイツをこの手にしたいという気持ちは強まった。それはつまり俺が誰にも動かされない頑なな気持ちを持っていたのではなく、アイツという要素によって常に気持ちが動かされ続けてきたということだった。
少し考えれば分かるのに、俺はそんなことまで気付かずに、ただただアイツの気持ちを悲観的に決めつけてきた。
しかしそれでもなお俺がアイツのことを諦めなかったのは、決して消去法的な意味ではなく、やはり俺にはアイツしかいないと強く感じ、実際そう確信するくらいには人間関係が進んでいたからなのだろう。