南国の オレンジ
帰国から数年後
私は 中学の教諭として働き
音楽教師への道を 歩み始め
そして結婚し
後々に 子供も産まれ
家族に恵まれ
1度体調を崩し
病院へ入りましたが
どうされるか分からないので
病院へは入院せずに
自宅療養に 移りました
家族に看病して貰ったり
食事が出来るまでに回復
後に脳梗塞になり
危篤状態にまでなりました
私は まだ元気だった頃
妹に子供がいて
その子供が北海道にて
結婚式をする事になり出掛けました
もうお腹には 赤子が宿っている事を知り
その赤子に 名前を付けました
暗く辛かった時代から
明るい日本へと変わっていき
私達一族の同じ遺伝子を持つ
歴史を ついで欲しいという
願いを込め 名付けました
その子供には どうやら
平成の頃 先に亡くなった
従兄弟と 私の 想いが伝わった様で
妹へ いつか渡した 家系図を頼りに
今の時代の便利なもので
先祖たちの歴史を調べたりしたようで
この子なら大丈夫だろうと
想いを託しました
その子供が 調べた知識で
文面を打つようになりました
歴史を残して欲しいという思いがあり
数週間 夜になると 起こして
文面を便利な機械にて書かせ
妹へ当て送るまでに
時間は かかりましたが
その文面を見て 妹は驚いたようで
その手紙が 届いた頃に
私は 危篤状態から 復活したのでした。