南国の オレンジ
そして 占領から数年後に
昭和20年 ルソンにアメリカが再上陸
マニラから撤退し 山岳地帯へと
終戦を迎え 米軍の 捕虜収容所に入り
アメリカ陸軍の指示にて
歩兵隊所属のチャペルにて
掃除や手伝いをし 後に
オルガンを弾くことになり
それから 1年後
マニラから 日本海軍の巡洋艦にて
日本に帰ってきました。
資料として手元にありますが
書かれた詳細検索すると
部隊へと召集された経緯等
調べることが出来るようで
あの日の戦いの映像の中に
当時の私も 若しかすると
写っているやも知れません
山岳へ 撤退して行ったり
米軍が 攻撃してきて
こちらは隠れたり 応戦したり
食べる物も乏しくなって行き
餓死していく者 大多数でした
米軍の呼びかけに
日本は負けた事を知り
私は なんとか生きてはいるが
日本に住む 家族の無事を案じました
収容所に入ってから
日本に帰国する迄の間に
オルガニストとして
そこで作曲をしたり
食事もしましたが
餓死していった者たちは
食べる事すら出来ずにいたのに
私は 食べ物を食べて良いのか
手を伸ばす事が 出来ませんでした
最初に手にしたのが
オレンジでした
このオレンジを手にし
故郷で 蜜柑畑を営んでいる
家族 親戚を思い出し
生きる勇気へと 変わっていきました
そして 同じ空の太陽の下に住む
家族の元へ 帰ってきた時
暖かく迎えられ
先祖の墓への 帰って来れた報告をしました。