第38話 闇で待つ
時折夢に出て来る少女は、いつも闇の中にいる。
そこが少女のいるべき場所で、その必要がある事を少女自身も理解していた。
だからいつも、少女は膝を抱えて待っていた――あの人が来てくれるのを。
(誰も……いない……)
闇が怖いと、思った事は無い。
そこにいるのは慣れていたし、いつかは誰かが扉を開けてくれると知っていたから。
だが時折ふと、不安になる事はあった――もしこのまま誰も来なかったら、どうなるのだろうかと。
(そうだ……あの人はもう来ないんだ……)
伸ばした手を振り払われた時、それを悟った。
そしてもう誰も扉を開けてくれないと気付き、初めて悲しいと思った。
責めているのではない。その人がどれだけあの状況に苦しんでいたかは、自分が一番よく知っていたから――それでも。
「……ない、で……私も……一緒に……」
無意識に、闇の中を彷徨う手――その手を、誰かが掴む。
(え……?)
振り払われたのでは無く、掴まれた。
そのリアルな感触に、朦朧としていたフェリの意識が覚醒していく。
開かれた瞳に映ったのは、あの時と同じ――赤い髪。
「いいよ。連れてってあげる」
「……デュ……オ……?」
その瞬間、フェリの目の奥が熱くなった。
払われると思っていた手を、掴まれたからだろうか。
それとも、彼が記憶に見たのと同じ、赤い髪をしていたからだだろうか――違う。
「……遅い」
「ごめんね」
扉を開けて、光の下へ連れて行ってくれる人はもういない。
だがフェリはあの日を境に、心のどこかでずっと待っていた。
扉の向こうからでは無く、闇の中からこそ現れる……彼を。
「フェリ、また泣いてる?」
「! な、泣いてない!」
以前涙を舐め取られたことを思い出し、フェリは咄嗟に顔を背ける。
少しだけ笑った気配がした後、デュオはフェリを引き寄せながらふわりと立ち上がった。
腰に回された腕で軽々と持ち上げられ、フェリは足に力を込める必要すらない。
「え? な、なにして……」
「ごめんね。お姫様抱っこしてあげたいけど、片手は空けとかないとナイフ投げれないからさ~。足りるといいけど」
「ナイフ? ってわぁ!?」
急に体が浮上し、フェリは咄嗟にデュオの服にしがみ付く。
吹き付ける風と、微かな金属音――フェリは恐る恐る目を開けた。
(は、速い……!)
暗くてほとんど何も見えないが、自分が物凄い勢いで上昇しているのがわかる。
金属音に合わせて壁沿いに小さな火花が散るのが見え、フェリは理解した――デュオが岩壁にナイフを投げているのだと。
「フェリ、話さない方がいいよ? 舌噛むから」
(は、話せるかーー!!)
高速で繰り出されるナイフを足場に、デュオが自分を抱えて跳んでいる。
その状況に驚きつつも、フェリは振り落とされないようしがみ付き続けるしかなかった。
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「すげぇぇええ! 流石先輩! 半端ねぇッス!」
「本当に、よく無事で……もうダメかと思ったよ」
谷の上に生還したフェリ達を迎えたのは、ずっと谷を覗き込んでいたアイトと、闇ギルドへ行っていたルーク達だった。
番人に深淵の魔手の不在を聞かされ、意気消沈しながらここへ来た所、アイトからデュオが既に飛び込んだ事を聞いたのだ。
ルークは感激し、マリクルがフェリを労る。レミリアとマリアーナも、遠巻きに立ちつつもホッとしている様子だ。
「フェリ。無事で良かった……」
「ごめんね。心配かけて」
アイトの言葉に、フェリは疲れつつも笑みを浮かべる。
最近はお互い修行で殆ど会っていなかったが、彼もこうして駆け付けてくれたのが嬉しかった。
「あれ? フェリさん、その手に持っているのは……」
「え? ああ……そう言えば持ってきちゃっ」
「ああーっ!! ベルイット鉱石だぁぁああ!!」
「へ?」
フェリの手には、意識を失う前に拾った緑色の石が握られていた。
それを食い入るように見つめながら、マリクルが目の色を変えてフェリに迫る。
「そ、そ、それ! 譲って頂けませんか! ギルドでずっと依頼を出していたんですが手に入らなくて……!」
「は、はい。どうぞ」
「やったぁぁああ! これがあのベルイット鉱石かぁ~……あ、依頼の完了報告は出しておきますんで!」
「えーと……どうも……?」
受け取った緑色の鉱石を、マリクルはうっとりと見つめている。
フェリが呆気にとられていると、アイトがフェリ達の前に進み出た。
「とにかく、怪我もしているから町へ戻ろう。フェリ、私の背に……」
「あ、平気よ。大丈、夫……あれ?」
そう言えば、いつまでデュオにしがみ付いていたのだろう――そう思って離れようとしたフェリだったが……。
(手、手が離れない!?)
自分の状況をいち早く理解したフェリの顔が、茹で上がる様に熱くなった。
今更になって恐怖が湧いて来たのかと、疲れも相まってフェリの頭が混乱し始める。
「どうしたんだ? フェリ」
「え!? いや、ええっと……」
とにかく、周囲に今の自分の顔を見られたくない――フェリは思わずデュオの装束に顔を隠した。
――しかし、顔を埋めながらふと気づく。
(あ、あれ? これって……)
月明りだけの薄暗い状況下では、フェリがデュオに抱き着いた様にしか見えない。
どうしようかと必死に思考を巡らせていると、ふいに自分の体が抱え上げられた。
「怪我してるみたいだし、宿まで連れてくね」
「は!? え……だだ大丈夫よ! 重いでしょ!」
「へーきへーき。よくターゲットの後始末で背負うし」
「って私は死体かーー!!」
フェリの叫びは、素早く木へ飛び移るデュオの背と共に遠ざかって行った。
そんな2人を、一行はそれぞれの思いを抱きながら見送る。
「うおおおお!! さすが深淵の魔手! カッケーー!!」
「ベルイット鉱石! これがあれば……ふふふ」
「あれがフェリ、と……深淵の魔手か」
デュオ達の背が見えなくなった後、レミリアは崖際から谷を見下ろした。
その目にはルークの様な尊敬の念では無く、ただただ悔しさが滲んでいる。
(私には……助けられなかった……)
そんなレミリアを見つめながら、アイトもまた拳を握りしめる。
レミリアも自分と同じことを考えているに違いない――あのくらい出来なくて、何が強さだと。
「アイト! マリアーナ! 明日からより厳しい修行に入る! 後れを取るなよ!」
「はい!」
「え? あ……わかりましたわ!」
決意を新たに振り向いたレミリアに、2人は力強く返事を返す。
ただ全員が今回の救出劇に沸く中で、マリアーナだけはデュオ達が消えた木々の隙間にチラリと目を向けた。
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「……なんで、助けに来てくれたの?」
「ん?」
しがみついていた手はとうに解けていたが、フェリはデュオに抱えられたまま大人しく運ばれていた。
岩、崖、木と、地面より高い所ばかり疾走している為、降りたくても降りられないのだ。
デュオはフェリをチラリと見た後、すぐに視線を前方に戻した。
彼にとってこの状況は、さして恥ずかしいことでは無いらしい……フェリと違って。
「いつも言ってるじゃん。フェリは俺様のお嫁さんになる人だからね~」
「まだそんなこと言ってたの? ……なら、薬の効果が切れた訳じゃ無いのね」
「薬って惚れ薬? あれ? 効いてないって言わなかったっけ?」
「効いて無きゃ、助けになんて来ないわよ」
「信用無いなぁ~」
そうは言いつつも、デュオは特に気にしている様子は無い。
もしかすると彼に大した理由は無く、単なる気まぐれなのかもしれないとすら思えてくる。
(でも、理由が無いならどうして……?)
深淵の魔手が、理由も無く人助けをするお人好しとも思えない。
考えられるのは、やはり惚れ薬の効果が残っているという事しか無いが……それでも、また助けられた事に変わりはない。
「どっちにしても、助かったわ。……ありがと」
「どーいたしまして」
陽の沈んだ周囲はすっかり暗くなっており、昇り始めたばかりの月明かりは急斜面や木の影を進む自分達には届かない。
それでも、フェリにはデュオがいつもの調子で笑っているのがわかった。
何を考えているかはわからないが、普段通りの彼の様子にホッとしている自分に気付く。
(……本当に、全然変わらないのね)
谷底に現れた時も、全く焦った様子は無かった。
今もフェリを丁寧に抱えてくれてはいるが、適当な態度には変わりない。
だがそんなデュオを見ていて、フェリは思う――彼にはやはり、闇が似合うのだと。
「ちょっとカッコいいとか思っちゃったじゃない……ばか」
「ん? 何か言った?」
「言ってない。黙って運ぶ!」
「は~い」
ほんの少しだけ変化した、自分の気持ちに気付かれない様に。
フェリは風を避けるような素振りで、デュオの胸に頬を寄せた。




