第37話 無力な疾走
「全部の闇がここに集まる!」
「違う」
「えーとや、闇が全部こっちに集まる!?」
「違う。いい加減にしろルーク」
闇ギルドの入り口まで来たは良いが、一行は中に入れずにいた。
常連である筈のルークが、番人への合言葉を覚えていなかったのだ。
本来なら一度間違っただけで殺されてもおかしく無いのだが、番人はイライラと立っているだけで仲間を呼ぼうとはしない。
顔見知りのよしみか、そもそも来訪者として数えていないのか……恐らく後者だろう。
「じゃあ入らなくていいから先輩呼んでくれよ! 深淵の魔手! デュオ・ゾディアス!」
「え……!?」
「アホ。お前如きがあの人を呼び出そうってのか?」
ルークと門番のやり取りを聞いていたマリアーナが、小さく声を上げた。マリクルの隣で、衝撃を受けた様に目を見開いている。
深淵の魔手の名前はもちろん知っていたが、今まで共に旅をして来た補欠要員と同一人物だとは、思ってもみなかったのだろう。
「急いでるんだって!」
「そんな理由でいちいち通せるかよ」
「待て」
一向に進展のないルークの様子に、レミリアが進み出た。
腕に覚えのありそうな剣士の姿に、番人が少しだけ警戒を滲ませる。
彼の経験上、こんな昼間に闇ギルドに来る者など魔物か、奇襲に来た刺客くらいだ。
「……アンタ、魔剣士レミリアだな。なんだ? いくら有名人でも、合言葉のわからないヤツは通れないぜ?」
「通る必要は無い。呼べ」
「そんな筋合いはねーよ」
「いいのか? 深淵の魔手の女に何かあったら、貴様もただでは済まないかもしれんぞ?」
「!? 深淵の魔手の女……」
レミリアの言葉に、番人の男の顔がサッと青くなる。
取り次ぎなどと言う使いパシリの様な真似は、よほどのことが無い限りしない。しないが……
(マジで深淵の魔手に関わる事だってのか……?)
ルークが深淵の魔手の追っかけをしている事は有名なので、今回もその延長かと思っていた。
しかし、最近噂になっている深淵の魔手の女が関わっているとなれば……話は別かもしれない。
「……チッ、少し待ってろ」
「おお! やった!」
素早く縦穴の中へ消えた番人を見て、ルークがガッツポーズをした。
レミリアはやれやれと溜息を吐きながら、後ろで待っているマリクルとマリアーナを振り返る。
深淵の魔手に女が出来たというくだらない噂は耳にしていたが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「ん? どうしたマリアーナ、顔色が悪いぞ」
「い、いえ……なんでもありませんわ」
「心配なのはわかるが、諦めろ。あの谷に落ちて助かった者はいない。……にしても無駄足だったな。深淵の魔手だと? バカバカしい」
急いでいるようなので闇ギルドに案内したが、レミリアはまさかルークが、あの伝説級の暗殺者を呼びに来たのだとは思わなかった。
本当にいるのかすら疑わしい――だいぶ名が通る様になった自分ですら会った事が無い者を、アテにしていたとは。
「深淵の……魔手……」
誰にも聞こえない、小さな呟き。
1人の少女が拳をギュッと握りしめた事に、気づく者はいなかった。
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「きゃあ!!」
薄暗い谷底で、フェリは上へ向かって地道に足場をよじ登っていた。
今回の修行で会得した結界と攻撃魔術を駆使する要領で、丁度いい高さに土を隆起させて作った足場だ。
しかし地道に10メートルほど登った所で小規模な落石があり、いくつかの岩が身を屈めるフェリの背中に直撃する。
「いっ、痛ぅ……まだまだ……!」
フェリは弱々しく手を伸ばしながら、怪我をした部分に治癒術をかけた。
岩壁に縋る様に寄り掛かりながら、フェリはぼんやりと遥か上空を眺める。
頼りにしていた白い線が少しずつ薄くなっている……もうすぐ日が沈むのだろう。
「登り始めて随分と時間が経ったけど……成果は殆ど無いわね」
実のところ、全力で風の魔術なりを放てば崖の上まで一気に飛び上がる事は出来る。
しかしそれをすれば、崖から突き出た見えない岩にぶつかって即死する可能性があった。
出来るだけ無難な手段を選んだつもりだが、底なしと有名な渓谷だけあってゴールは途方もなく遠い。
「それでも……諦めたら、終わりよ……!」
何度も何度も、足場を作ってはよじ登り、落石で怪我をすれば治癒し、また登る……それを繰り返していた。
自分を立たせる足や大怪我以外は治癒術をかける時間も惜しいと、体中に擦り傷や打ち身が残っている。
「みんなどうしてるかしら……痛!?」
またパラパラと落ちて来た石の1つが、運悪くフェリの肩に当たる。
足場に落ちたので何となく拾い上げて見てみると、透き通るような緑色の石だった。
「鉱石? それとも魔法石かしら……どっちにしてももう……疲れ、た……」
石を持ったまま、フェリは倒れる様に体を横たえた。
魔力は無駄に残っているが、体力と気力が削がれているせいで魔術の精度も徐々に落ちてしまっている。
旅を始めてから今まで、これほど命の危険を感じた事があっただろうか……そんな事を考えながら、フェリはふと気づく。
(そう言えばこういう時って、いつもデュオが近くにいた気がする……)
ヴェルヘルムへ転移してしまった時も、初めての野営で魔物に襲われた時も、闇ギルドでルークに絡まれた時も……助けてくれたのはデュオだ。
――だが今、彼はいない。
(最近会ってない、な……)
旅に出る前は毎日の様に現れていたし、旅の間も、神出鬼没ではあるがしょっちゅう顔を見せていた。
だが最近は、ほとんど会っていない。最初はあれだけ結婚結婚としつこかったのに、それもあまり言わなくなった気がする。
そもそもこの前闇ギルドで会った時だって、2週間振りだと言うのに向こうは全然平気そうだったではないか。
(もしかして、惚れ薬の効果が切れたのかも……)
元々毒は効かないと言っていたので、早く切れた可能性はある。
それはつまり、フェリとデュオには何の接点も無くなったことを意味する。
(って、なんで気にしてるんだろ。良いこと、なのに……)
フェリの方から進んで、一緒にいた訳では無い。
結婚話はキッパリ断っていたし、デュオにその気が無くなったのならもう関係が無い。
だが――だからこそ、フェリは悲しかった。
「また……他人なんだ……」
デュオも、ラキアも、かつての両親も……自分以外の誰も知り得ない気持ちを、フェリはずっと抱いていた。
疲労から少しずつ瞼が重くなり、フェリの意識が、深い記憶の底に沈む様に遠のいていく。
記憶の彼方に見えたのは、焔の様に揺れる赤い髪だった。
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「フェリが落ちた? ここに……?」
ベルイットバレーに辿り着いたアイトは、途方もなく深い谷間を前に膝をついていた。
その脇にはフェリの持っていた神器のナイフが転がっている。
どの辺りで落ちたか聞いていない事に気付き、がむしゃらに谷沿いを疾走している内に運良くこのナイフを見つけたのだ。
しかし――
「くっ、どうすれば良いんだ……!」
夢中で駆け付けたものの、どうすれば良いかわからなかった。
下に向かって垂直に延びている崖は、到底降りることなど出来ない。
辺りはもう谷の境目すら見えなくなりそうなほど暗くなっていて、風も強さを増すばかりだ。
フェリが下で魔術を繰り返している事に、アイトが気付く術など無かった。
(どの道、降りられたとしても……いや、諦めるな!)
アイトは頭を掠めそうになる『死』という文字を必死で振り払う。
きっと生きている――その言葉を何度も自分に言い聞かせながらも、アイトはただ谷底を見つめるしか出来ない。
(何が……勇者だ……)
助けたいのに、助けられない。
自分は仲間や人々を危険から守るために、強くなろうとしていた筈なのに。
得ようとしていた力は今、何の役にも立たないではないか――そんな考えに脳内が支配されていく。
アイトが自分の無力さに押し潰されそうになっていると、背後で誰かが土を踏みしめる音が聞こえた。
「……何しに来た」
「…………」
振り向かなくても、誰なのかは何となくわかった。
すぐそばに落ちていたナイフを、拾う気配がしたからだ。
「助けたかったが、無理だ……彼女はもう……」
「……いや、いる」
「何……? あ、おい!!」
アイトの驚愕する声を、背に受けて。
黒い装束をなびかせながら、神器を手にしたデュオが谷へと飛び込んだ。




