第1話 はじめてでは無い、おつかい
善良な住人ならとうに眠りに落ちているであろう、真夜中。
町中の明かりが落とされた大通りを、1つの小さな影が横切った。
「急がないと。もうすぐ入れなくなっちゃう……」
ほんの少し足早に、けれど抱えているカゴを落とさない様に、影の主は酒場と宿屋の間の小道へスルリと入る。
その先は地元の人間なら誰もが知っている行き止まり……。そんな所へ入って行くという事は、少なくともこの人物が町の住人では無い事を示していた。
何故なら普段からゴミや野良猫の溜まり場となっているこの場所を、住人はことごとく視界に入れない様にしているからだ。
「止まれ」
「!」
この場所の本当の意味を知らない者であれば、暗闇から人が浮き出てきたと思い腰を抜かすだろう。知っていてもちょっとビックリする。
昼間は行く手を阻んでいる筈の石壁には大きな穴が開いており、中から蝋燭を持った大柄な男が――音も無く現れたのだ。
「アンタは亡霊か? それとも死神か?」
男の言葉に、問われた人物は言い得て妙だなと思った。
町中が寝静まるこの時間にうろつくのは、確かに亡霊か死神くらいのものだ。
男と対峙する状況は決して和やかな雰囲気では無いのだが、そう考えたら不思議と笑みがこぼれた。
「お生憎さま。どっちも違うわ」
砕けた口調でそう答えながら、荷物を抱えた来訪者は被っていたフードを脱いだ。
16、7だろうか。淡い蝋燭に照らされて輝く銀の髪を持つ娘は、恐怖など微塵も感じていない様子でニッコリと笑う。
「私は訳アリなの」
「……よし、入れ」
決まった時刻にしか開かれない秘密の入り口を通ろうと言うのだから、まさしく訳アリだ。
男が返答に頷いたのを確認し、娘は慣れた足取りで壁に開いた穴をくぐる。それに続いて男も中へ入ると、穴はまた闇に紛れて見えなくなった。
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「いつも思うけど、あの合言葉って必要?」
「いるっつーの。ハズしたらあの世行きだぞ、フェリ」
先程の男を先頭にして、フェリと呼ばれた娘は薄暗い階段を降りていく。出迎えた時と打って変わって、男の口調も軽い。
入口の合言葉さえ済ませてしまえば、このスキンヘッドの厳つい男も気の許せる顔見知りなのだ。
因みに合言葉を間違えたり勝手に入ったりすると、設置された鈴が鳴って『中の人達』に総攻撃を喰らう事になる。
「ハードルドに凄まれても、いまいちピンとこないのよね。いつも見張りさせられてるし。……もしかしてイジメられてる?」
「どこの世界にこんな筋骨隆々の大男をイジメるヤツがいんだよ。そんなこと言うのはおめーくらいだ」
「そうとは限らないでしょ。少なくともコッチの世界ではね」
話しているうちに最下段まで降りたフェリ達は、そのまま開いていた扉に入った。
室内はごく普通の酒場になっていて、いくつものテーブルにチラホラと人が座っている。
普通と違うのは、とても人がいるとは思えないほど静かという点ともう1つ――ここが『物騒な人達専用』の酒場であるという点だ。
「まさか地下に闇ギルドがあるなんて、この町の人達は思ってもいないでしょうね」
闇ギルド――それは、暗殺や裏情報の取引など『穏やかではない』仕事を生業とする闇の商会の総称だ。
一般市民が気軽に入れる正規ギルドと違い、公に顔を出せない訳アリ達がウヨウヨいる。
ちなみに正規ギルドとは、簡単に言えば一般市民のなんでも相談窓口であり、通行証の発行や仕事の斡旋を行う健全な商会のことだ。
世界ギルド連盟の管理下のもと、草むしりや探し物など、国を動かすほどではない『市民の暮らしに密着した雑事』を一手に担っている。
――要するに、闇ギルドとは正規ギルドと相反する組織であり、普通ではない者達の巣窟という事だ。
「ね? この人達なら、ハードルドをイジメるくらい楽勝よ」
「ま、ココの奴らにとっちゃあガタイの良さなんて、『的が大きい』って事にしかならねーしなぁ。……だが」
何に使ったかわからない刃物を拭き上げたり怪しげな密談をしている彼等を見たハードルドは、フェリの意見に概ね同意した。
殺しのスペシャリストである彼等に、見た目の怖さなんてものは通用しない。だがそれにしても、ハードルドはフェリの言い草が引っかかった。
「お前、俺のココでの立ち位置を一体なんだと思ってんだ?」
「大丈夫。聞かないでいてあげる」
「そんな優しさいらねぇよ。どうせ下っ端の使いっパシリだと思ってんだろ。俺はなぁ」
「あ、そんなことより仕事を済ませないと」
「俺の話は無視か! 一応聞けよ!?」
フェリはハードルドのツッコミを黙殺し、仕事を済ませる為に酒場の奥へ向かう。
こんな場所で『仕事』と言うと後ろ暗い内容に聞こえるが、フェリにとっては至って健全、普通の頼まれごとである。
カウンターへ向かう為に酒場内を横切ると、そこかしこのテーブルからからかう様な笑いが上がった。
「お、フェリちゃんじゃねぇか。いつもお使い、偉いでちゅね~」
「相変わらずべっぴんだなぁ。俺が家まで送ってやるよ。へへへ」
「はぁ……」
またか、という様にフェリは溜息を吐いた。ここへ来ると、いつもこんな下卑た会話の相手をさせられるのだ。
「い・ら・な・い・わ。1人で帰った方が安全だもの」
「お! わかってるじゃねーか! はははは!!」
実はこの、普通の娘なら震え上がるであろう彼等流の冗談に、フェリはもうすっかり慣れてしまっていた。
ここに通い慣れていなかった頃は、すぐにでも襲い掛かりそうな凶悪顔の彼らに身の危険を感じていたものだが……。
本気ならとっくに危害を加えられていると思い至ってからは、こうして適当にあしらえる様になった。
というかそもそも、『ある人物』の使いで来ている自分に手を出せば彼らも無事では済まないのだから、危害を加えられる筈もないのだが。
「なんなら俺達の部屋に泊まってけよ~。帰る頃には足腰立たなくなってるかもしれねぇけどな?」
「お前その言い方、素人さんにゃあ刺激が強すぎんだろ~」
「残念ね。私を立てなくする前に、電気流し込んでアンタを一生立てなくしてやるから」
「ひっで~なぁフェリちゃん!」
「バカ、そういうプレイだろ。フェリちゃんはサディストであらせられる」
「ウッソ!? フェリちゃんてば女王様!!」
「アンタ達はぁ……」
少しずつエスカレートする男達の台詞に、フェリの眉がピクピクと痙攣し始めた。
1つ補足しておくと、「彼等の冗談に慣れている」というのは……必ずしも「怒りを感じない」と言う事では無い。
「いい加減にしなさいよ!!」
怒りに満ちた声音と共に、フェリが男達に向かって手を突き出す。
その直後、フェリの手の平から小さな雷の様な光が現れ――パチッと小さな音を立てて、消えた。
「…………」
「……ぷっ」
一瞬の沈黙の後、酒場中に笑い声が響いた。
男達は、ある者は腹を抱え、ある者はテーブルを叩いて喜んでいる。
「うわーはっはっはっはっは!! そりゃねぇぜフェリちゃん!」
「静電気!? ねぇ今の静電気なの!? ぶふっ」
「『パチ』だってよ、『パチ』~~」
「ばっ、バカにしてんじゃないわよ! こうなったら……」
「げ!?」
自分の首元に手を伸ばすフェリを見た男達は、さすが暗殺者と言わんばかりの速度で壁際に後退した。テーブルを盾にする者もいる。
そんな中、ローブを結んでいる紐を解こうとしたフェリの腕を、ハードルドが必死に押し止めた。
「やめとけフェリ! また酒場をボロボロにする気か! てめぇらもからかい過ぎだ!」
「わかったわかった! もう言わないって!」
「……わかれば、いいけど」
紐から手を放すフェリを見て、酒場中の人間がホッとした様に息を吐く。
ここまでかなりの時間をかけて歩いて来たフェリとしても、これ以上余計な体力を消耗して疲れたくは無い。
(それに、また酒場の修理費を払うなんてことになったら……)
あり得る苦難を想像して一気に頭が冷えたところで、フェリはさっさと用件を済ませることにした。
いつもの様にカウンターへ向かい、グラスを磨くバーテンダーに話し掛ける。
「こんばんは。頼まれた薬を持ってきたんだけど、ディックさんは来てる?」
「ディックなら今夜は来てないよ」
「えっ? でも今日渡す約束だって師匠が……」
ディックが依頼に来た時に自分も聞いていたので、確かだ。
そもそもあの魔術と依頼だけは完璧な師が、受け渡し日を間違えるなどあり得ない。
(こんなこと初めてだけど、どうしよう……あれ?)
初の予想外な状況に考え込んでいると、腕の辺りでふわりと空気が動いたのを感じた。
そして反射的にそちらへ目を向け、すぐ横に立つ人物を認めた瞬間――フェリはギュッと胃の縮まる様な感覚を覚える。
「俺様の依頼、なんか来てる?」
「特に聞いてないが……親方がアンタを探してたから、何かあるんじゃないか?」
「ふ~ん。わかった」
いつの間にかすぐ隣に立っていた男は、フェリの存在に気付く様子も無くバーテンダーと話している。
そして話が済むと、そのまま奥の部屋へ入って行ってしまった。
フェリは酒場より奥へ入ったことは無いが、恐らくそこに親方――この闇ギルドの責任者がいるのだろう。
「び……びっくりしたぁ……」
心臓に悪いとばかりに、フェリはカウンターの椅子にもたれ掛かった。
その様子を見て、ハードルドが呆れたように笑う。
「お前なぁ……ビビり過ぎだろ」
「だってあの『深淵の魔手』よ!? 子供だったら気絶してるわよ!」
言っているのは強気の抗議だが、その声は殆ど聞こえない程に小さい。
深淵の魔手、デュオ・ゾディアス――大陸最強と恐れられる暗殺者との接触に、フェリはぶるりと震えた。
「何度見ても、あの人だけは慣れないわ……」
闇ギルドに通っている間、何度も見かけたことはある。だが絶対に話し掛けたり近づいたりはしなかった。
黒装束に黒いハチマキといった、暗殺者としてはありがちな服装なのに、月並みな言い方をすれば『オーラが違う』のだ。
事実、決して表舞台に出ない裏稼業の人間の中でも彼だけは、その名を聞いただけで子供が泣きだすほど有名だった。
「ねえハードルド。ディックさんに、師匠の家まで薬を取りに来るよう、伝えといてもらえる?」
「それは構わねぇが……なんだ、もう帰るのか?」
「疲れたのよ。精神的にね。またねハードルド」
なんとなく居心地の悪さを感じたフェリは言伝を頼むと、物言いたげなハードルドの横をすり抜け足早に酒場を後にした。