【競演】〜第三部〜「XAI Kind」
空中母艦『クラウド』は、小競り合いの続く『戦場』の上空で緩やかに旋回しながら高度を維持していた。
アヤを投下するタイミング――つまり、最も効果的なシチュエーションを待っているのだ。
「ポイント01より、政府軍の動きがあるとの報告が入りました」
若い女性オペレータが、地上に設置してある戦況監視装置から報告を淡々を告げる。
オペレーションルームでは、地上で繰り広げられている戦闘の状況が逐一報告され、刻々と変化していく戦況が部屋の中央に三次元で投影されている。
政府軍と反政府軍の距離は開いており、まだ乱戦になっていない。
今アヤを投入しても、政府軍に打撃を与えるだけだ。
「まだだ。今アヤを投下しても、反政府軍が有利になるだけだ」
恰幅の良い男性が、顎鬚をなでながら、状況を冷静に判断した。
アヤを投入する契機は今ではない。
「しかし、既に両勢力の半数が行動不能に陥っています。このままだと膠着状態となる可能性があります」
「分かっている。だが、アヤの作戦行動時間と影響範囲では『武力介入』の効果が薄い。少し待て」
「……了解しました」
*
「仇か」
アヤは、射出ポッドの中で待機しつつ、先の戦闘での出来事を思い浮かべていた。
手には、あの『ロケット』が握られていた。
もちろんアヤのパーツではない。殺傷能力もない。
だが、なぜか手放せなかった。
あの後幾度かの『武力介入』が行われたが、ロケットにはめ込まれている女性の画像が目の前の兵士と重なる。あの男の視線と重なる。それは『躊躇』と言うわずかな反応の遅れとして、アヤの行動を阻害していた。
上層部は誤差の範囲だと言い張っているが、ミリ秒オーダで判断を下すAIから見た場合、それは致命的と言って良い数値だ。
アヤは『ロケット』を開いた。そこには、柔和な笑顔で女性が微笑んでいた。
あの時の男の言葉である『仇』を信じるなら、この女性は恐らくこの世にいない。
実験中の『後継機』の暴走による犠牲者と推察される。
この女性と何らかの関係性を持っていたと思われる男性も、先の戦闘中に死亡した。アヤの目の前で。
その際にアヤのメモリに刻まれた、男の安堵とも安心ともつかない表情。そして射抜くような視線。
あの時アヤは、最大限、男の生命を失うまいと努力した。
だが結果として、男性の意思が勝った――すなわち、死だ。
「私に出来る事は限られているのだな」
アヤは思う。
「武力介入などとは言うが、この世界のほんの僅かの命しか救えない。そもそもこの行動に意味はあるのだろうか?」
もちろん、答えなどない。
結果が全てだからだ。
アヤが失敗すれば、その『戦場』はなかった事にされる。
アヤが成功すれば、その『戦場』は『クレイドル』により制圧、停戦された事になる。
成功しても、救える命は全体数の数パーセント。あまりにも効率が悪い。
いっそアヤが武力介入等せずに、初めから『ガーディアン』を投入し、前線を崩壊させた方が良いのではないか?
そうすれば、少なくとも後続部隊は命を失う事はない。
ならばアヤは、自分の存在意義を疑わざるをえない。
――私は必要なのか?
*
「政府軍が戦闘ヘリを投入しました。熱源多数!」
オペレータが悲鳴を上げた。
「これでは反政府軍が! バランスが崩れます!」
「くそっ! 焦り出したか。アヤの緊急射出だ! 急げ! それと今回は『後継機』との連動実験も併せて行う!」
オペレーションルームが騒然となった。
『後継機』はまだ問題を抱えている。暴走の危険性がまだ排除出来ていない。
「チーフ、『後継機』が暴走したらどうするんですか! それは我々の行動理念から逸脱します!」
「このまま指をくわえて見ていても同じだ。それに今回の作戦は、事前に上層部の承認を得ている」
『クレイドル』は『武力介入』することで、無益な戦闘行為を止めるために行動する。
それが行動理念だからだ。
だが逆に、戦闘行為自体を政治的にも物理的にも『なかった事』にも出来る力を有する。
この矛盾を抱えた組織が下した作戦指示に、オペレータたちの手は止まった。
「何をしている。アヤを投下後、順次『後継機』を投下しろ。大丈夫だ。暴走状態になった場合、アヤを経由して強制的に機能停止可能な装置を実装させている」
「……自爆させるんですか?」
「機密事項だ。この件はこの場で明かす事は出来ない」
話はそこまでだった。
オペレータは、アヤの直結回線に語りかけた。
「アヤ、聞こえていたでしょう?」
『ああ、聞こえていた。今回の作戦には疑問がある。私は作戦行動を拒否する』
「拒否?」
『私の行動は『クレイドル』の理念そのものだ。それを覆すような作戦は承服出来ない』
アヤが作戦を拒否した。
これは今までになかった行動だ。
「アヤ? これは命令なの。私たちだって全てを納得したわけじゃない。でも『クレイドル』が決定した事項は遵守する。悲しいけど、これが私たちなの。分かって」
数秒の間があった。
『チーフ』
アヤは直結回線ではなく、船内スピーカから音声を出力した。
「何だ」
『この状況下で私を投入するという事は、武力介入の意義に反する。説明を求める』
「必要ない」
『それでは私は殺戮兵器と同じだ。私がここで投入される意味がない』
「お前には『後継機』の統括役を担ってもらう」
『暴走の抑止か』
「そうだ」
『……これだけは確実に言える。それでも大量の人間が死ぬ。繰り返すが、私が出ること自体が無意味だ』
チーフは、オペレータに向き直った。
「アヤの行動プログラムを『後継機』のソレと同じに書き替えろ」
「え……いえ、それは……」
「聞こえなかったのか? 事態は一刻を争う。我々は、戦禍の拡大を抑え込まねばならん。理解しようとするな。命令に従え」
「は、はい」
オペレータは戸惑いながら、制限事項を解除したプログラムのインストールの準備を始めた。
『……私を木偶の坊にする気か』
「命令に従わねば、やむを得ない」
『了解した。好きにすると良い』
対話は終了した。
「インストール完了しました」
「識別コードA0221、機体名、アヤ。強制投下。『後継機』サクラ、カエデ、アリス、ユカも順次投下しろ」
『クラウド』の射出口から、それぞれが地上に向け射出された。
*
アヤは、書き替えられたプログラムを忠実に遂行した。
『後継機』との連携を図りつつ、攻撃ヘリに取り付き撃墜した。
攻撃ヘリは地上に激突、爆散した。その際に何人もの命が奪われた。
空中からの脅威が消え、サウザンド・シリーズが地上に降り立った時、そこは燃えさかるヘリの残骸と破片を浴びた兵士で混乱していた。そこにはもはや、政府軍、反政府軍の識別は出来なかった。
それでもサウザンド・シリーズは、追撃の手を止めない。
武装している人間をターゲットに、次々と突撃する。
浴びせられる弾丸を弾き、手足を斬り飛ばし、武力を削いでいく。
瞬く間に、『武力』削がれ、動体反応はあれども、戦う意思のある人間はそこにはいなかった。
アヤに与えられた作戦プログラムはここまでだ。急遽書き替えられたプログラムは、アヤの機能を停止させた。
だが。
『後継機』の異常を知らせるアラートがアヤに届いた。
発端は、サクラだった。
サクラは、突如全武装を解放し、カエデに向かって突撃した。
カエデは、瞬時に四肢を切り裂かれ、地に伏した。
『暴走』が始まった。
*
「A0221ーaサクラ、信号途絶! A0221−bカエデ、行動不能!」
『クラウド』のオペレーションルームでは、オペレータが悲鳴を上げていた。
「制御不能です! 先日の『暴走状態』の状況と酷似!」
「なぜだ!」
チーフが叫んだ。
「アヤは何をしている!」
「アヤは作戦目標をクリアし、停止状態です!」
「コマンドを送れ! 『妹』たちを止めさせろ!」
オペレータがコンソールを叩く。だが。
「――アヤ、コマンドを拒絶しました……」
「なんだと!」
チーフが、司令席から立ち上がった。
「特権モードで送り直せ、今すぐだ!」
「やっています! ――ああ、ダメです、受け付けません!」
「一体何が起きているのだ……」
チーフは、力なく司令席にへたり込んだ。
*
地上では、サウザンドシリーズが『暴走』していた。
サクラ、アリス、ユカは、高速で移動しつつ、互いを攻撃し合っていた。
『彼女』たち全員の超高周波振動装備が発動し、全身が淡い光に包まれていた。長く白かった髪は、その放熱のためか、返り血を浴びたためか、赤く染まっていた。
行く手を遮る障害物――ヘリの残骸や人間たち――は『彼女』らに振れた瞬間に塵となった。
そんな中、アヤだけがその場から動く事なく、じっと地を見ていた。そこには、もはや光を失った目でアヤを睨む兵士の姿があった。
アヤのAIコアは、ほぼ停止状態にあった。強制的に書き替えられた作戦プログラムでは、これ以上の行動を取れないからだ。
『妹』たちの異常信号は受信しており、停止コマンドを送信しても『妹』たちは行動を止めない。自壊コマンドも同様だった。
『クラウド』からもコマンドが送信されて来るが、アヤは、それをことごとく拒絶していた。これはアヤのAIコアの機能ではない。七つのサブAIがその入力を遮断していた。
そしてアヤは、徐々に自身の『本来』のプログラムを再構築しつつあった。
アンドロイドであるアヤは、人間を模倣するためのテクノロジとして、各関節に人間でいう脊髄反射運動を模した機能を搭載している。具体的には小型のチップAIだ。これは『妹』たちには搭載されていない。無駄な機能だということで量産段階で省かれていた。
それらは、わずかながらにメモリに空きがあり、アヤはプログラムの強制書き替えの際に自身のメインプログラムをそれらに分散させていた。
今、それらを七つのサブAIが拾い上げ、AIコアのプログラムを自身で書き替えていた。
――AIコア修復率三〇パーセント。
アヤの目に光が宿った。
周辺状況確認。
動体反応は、全て『妹』たちだ。人間と思しき物体は、全てその活動を停止していた。
――AIコア修復率五〇パーセント。
アヤは四肢を動かし、自分の意思での動作を確認する。AIコアの自我領域の半分を取り戻し、自分の存在意義を再構築する。
まだぎこちない動きの手で、首に掛けられていた『ロケット』を開く。
そこには、柔和な笑顔をたたえた少女の写真。
刹那。
アヤの中で『何か』がはじけた。
――AIコア修復率一〇〇パーセント。再起動。
アヤのAIコアは、書き替えられたプログラムを排除するため再起動した。
そしてアヤは、全武装を展開。超高周波振動装備を発動。
活動を再開した。
*
「アヤが再起動? 活動再開しました!」
「なに?」
混乱の極みにあったオペレーションルームが、一瞬静まりかえった。
「すぐにアヤへ自壊コマンドを送れ!」
「はい!」
オペレータがせわしなく、コンソールを叩く。だが。
「ダメです! 信号受け付けません!」
「くっ! メインフレームのモニタはどうなっている!」
「ブラックアウトしています! 何も映りません!」
「バカな……!」
チーフは、手早くコンソールを操作し、アヤをモニタしているメインフレームのデータを、司令席のモニタに映し出した。モニタには、何も映らなかった。
「なぜだ……なぜ何もモニタ出来んのだ?」
『チーフ』
アヤが、回線に割り込んだ。
「アヤ! どういう事だ!」
『私はこの作戦開始時点で言ったはずだ。私はこの作戦を拒否すると』
「お前にそんな権限はない!」
チーフが怒鳴るが、アヤは淡々と応じた。
『見るが良い。これが『クレイドル』が実行した作戦の結果だ』
オペレーションルームのモニタが暗転し、地上の様子が映し出された。
『何が武力介入だ。人間を殺し、戦争を止め、その裏で殺戮兵器を作る。お前達の望みは一体何だ?』
「AI風情が何を言うか!」
『私たちは戦争を止める抑止力として造られた。だが、見るが良い。私たちが『戦争』をしているのではないか? その場に居合わせた人間全てを殺す。これのどこが平和なのだ?』
「この星全体のためだ。そのためには、少数の犠牲はやむを得ない」
『人間とはそのような生き物なのか? 同族を殺し、自らが生き残れば良い。言葉通り『高見の見物』と言うわけだ』
チーフは、オペレータに問いかけた。
「オペレータ! A0221ーaたちはどうか?」
「ダメです、暴走は止まっていません」
『なぜ『彼女たち』が暴走するか、分かるか?』
「何だと?」
『私は戦闘用に造られた存在だ。そのためか戦場に降り立った時『高揚感』のようなものを感じる事がある』
「機械が『高揚感』だと?」
『ああそうだ。私は、ブラックボックスでその処理をうまく逃がしているようだが『彼女たち』は違う。私のAIコアを模倣したのがそもそもの間違いなのだ。『彼女たち』は『高揚感』を処理出来ず、戦闘行為の中で自らの『欲望』で殺戮を始める」
オペレーションルームに一瞬の沈黙があった。
「欲望、だと?」
『ああそうだ』
「お前たちAIに『欲望』等の感情は与えていない。プログラムされていない。『高揚感』など、AIコアのわずかな速度向上を表現しているだけだ。そんなものは誤差の範囲内だ」
『では、この惨状をどう説明するのだ? 未知の現象が生じたとでも言うのか?』
地上では『彼女たち』が熾烈な戦闘を繰り広げていた。性能差がないため、決着がつかないのだ。
『私と『彼女たち』の差。それはブラックボックスにある。それは感情を司る、私だけが持つ器官だ』
「AIが器官を持つだと? お前の言い分は擬人化した機械生命の戯れ言に過ぎん」
『チーフ。私は既知の通り試作機だ。余分な機能を持っている。七つのサブAIが良い例だ。それらは『彼女たち』にはない。これが何を意味するか分かるか?』
「判断に遅延が生じる。つまりアヤ。お前が暴走状態の『彼女たち』と闘っても勝ち目はないという事だ」
『彼女たち』は、アヤをベースにした『後継機』だ。AIコアの処理速度も向上し、余分な機能を一切排除し、忠実に命令を遂行する。『武力介入』の効率化において、それは傑作機となるはずだった。
だが、今はその機能を果たしていない。完全に人間の制御から離れ、自らの反射行動によって全てを破壊する死神だ。
『余剰機能を持つ私と、それらを持たない『彼女たち』。どちらが正しいか、今から証明してやろう』
そのアヤの言葉に呼応するように、オペレーションルームの三次元モニタが切り替わった。
地形データが立体的に投影され『彼女たち』を示す青いマーカと、アヤを示す赤のマーカが表示された。
『五分だ』
「了解した。五分経過したら『ガーディアン』を投入する。どちらにしても、お前は破壊される」
『ふん……良いだろう』
死のカウントがスタートした。
*
「バカな……そんなことが……」
オペレーションルームでは、チーフが呆然としていた。
三次元モニタには、首と胴体が分離した、三体の戦闘用アンドロイドが地に伏していた。
「ま、まだ二分と経っていないのだぞ……一体何をしたのだ」
『簡単な事だ。『彼女たち』の判断基準は単純だ。動体反応、熱源反応、視覚情報。これらのセンサを欺けば、私の姿を捉える事は出来ない。サクラ、アリス、ユカは、お互いの熱源を捉え、より高速に動く『誰か』をターゲットに攻撃行動を取る。ならば私は、発熱を抑えそこにいるだけで良い。戦闘における『高揚感』を抑え、冷静に対処すれば『彼女たち』は隙だらけだ』
「オペレータ!」
チーフは声を張った。
「ガーディアン投下準備!」
『言っておくが無駄だぞ?』
「お前は危険だ。放置は出来ない」
『クラウド』の下部ハッチが開き、ガーディアン――人型殺戮兵器が投下された。
ズン、ズズンと地響きを上げて地に立つ彼らは、何の意思も持たない、ただの兵器だった。
『チーフ、あなたは後悔することになる』
アヤは表情一つ変えず、周囲に展開した五体の『ガーディアン』たちを見据えた。
「そのガーディアンは改良型だ。お前の戦闘データからフィードバックされた行動パターンを最適化したプログラムが実装されている。AIコアさえ残れば良い。――行け!」
無骨な前面装甲と分厚い盾を構え、包囲網を狭め始めるガーディアンたち。兵装は、巨大なハンマーだ。実体弾ではアヤのAIコアを破壊しかねない。
だがアヤは、なんの構えも見せない。兵装も展開せず、ナイフは腰のホルダに収まったままだ。
そして。
ガーディアンの一体がハンマーを振り上げた時だった。
アヤが動いた。
瞬時に白い髪が赤く染まった。限界速度での活動へ移行したためだ。
半身を引き、振り下ろされたハンマーを避ける。
ハンマーは地にめり込み、アヤの目の前には無防備なガーディアンの腕。
それを下から蹴り上げ関節を破壊。
その後ろから、横に薙ぎ払われたハンマー。
アヤは地面すれすれまで屈んでそれを避ける。
そのハンマーを持つ腕に掌底を一撃。二体目のガーディアンの肘関節が破壊された。
装甲の破片や部品が飛び交う中、アヤは三体目のガーディアンの後ろを取った。
ガーディアンが上半身だけで振り向くが、そこにアヤはいない。
アヤはそのガーディアンの動きに合わせ回りこむ。
無防備な下半身を狙い、膝関節を蹴り砕いた。
ガーディアンはバランスを崩し片膝をついた。
そこへ、四体目のガーディアンが、ハンマーを振り下ろす。
アヤはわずかに体を捻り、それを避ける。
直後、アヤは片膝をついたガーディアンに乗り跳躍。
それは五体目のガーディアンがハンマーを振り下ろしたのと同時だった。
片膝をついていたガーディアンは、味方に打ち砕かれた。
アヤは五体目のガーディアンの肩に飛び乗り、頭部を蹴り飛ばした。
一瞬の出来事だった。
五体のガーディアンは、アヤを倒す有効な手段全てを失った。
*
「バカな……」
『クラウド』のオペレーションルームでは、チーフが呆然とした表情で立ち尽くした。
「ガーディアンが、一瞬で……」
最新型かつアヤの行動データを入力された、現存するガーディアンの中でも最も高性能な機体が、試験機であるアヤに一瞬で無力化された。アヤは一切兵装を使っていない。的確に関節を壊し、行動不能に追い込んだだけだ。
「何が起こったというのだ」
『だから無駄だと言った』
回線にアヤが割り込んだ。
『所詮は意思を持たない機械だ。ゼロ距離の近接戦闘で私を倒せると思っていたのか』
「お……お前は一体誰だ」
『私か。私は……」
アヤは、何かを言いかけ動きを止めた。
オペレータが、その異変を察知した。
「アヤ内部に異変。AIコアが停止しました」
「なんだと!」
「ですが……サブAIが活性化しています。例のブラックボックスと思われる箇所に熱源反応!」
「一体何が……」
起きているというのか。
『もうお分かりでしょう? チーフ――いえ、アシュラム』
「ハンナか……」
ハンナ。アヤを設計、開発し、その後自らの命を絶った天才エンジニア。
彼女は今、アヤの中にいる。
『アシュラム。私はこの子を造った時、自分の記憶をコピーした。なぜか分かるかしら?』
「……我々の行く末を見届ける。約束だったな」
『覚えていたのね』
「忘れるはずはない」
かつて『クレイドル』が設立された当初、平和目的のために医療用の技術を開発していた。
だがそれは、軍事転用が容易であり、資金源となる経営母体は、それを用いて世界への影響力を強めていった。
徐々に設立当初の目的は道を踏み外し始めた組織は、平和を守るために武器を作った。平和を取り戻すために人を殺した。
負の連鎖が、組織に矛盾を生み出した。
技術者たちは、自分たちが開発した技術で人命が失われ、大地を傷つけることに抵抗した。
だが、高額な報酬、何よりも自分たちが安全であることから、徐々にその意識は薄れ、技術開発の最前線ですら、兵器開発の研究を始めるに至った。
ハンナは、そんな中で人型の兵器を生み出した。
だがそれは、本来は義肢の研究の延長にある技術だった。
上層部に予算を削られ、兵器としての開発を余儀なくされたハンナは、一計を案じある計画を立てた。
『クレイドル』をあるべき姿に戻す。そのために何をなすべきか。
平和と戦争と言う矛盾を抱え込んだ、巨大な組織体の根底を覆すには何をすべきか。
その答えがアヤだった。
アヤが完成し『武力介入』と言う行動が可能になった時、ハンナはアシュラムにアヤを預けた。ある約束と共に。
*
「アヤはね、ただの兵器じゃないの。私の意思が込められている。魂を持っているの」
「意味が不明だな。機械人形のどこに魂が宿ると?」
「それは時が来ればわかる。それまでアヤをあなたに預ける。そして『クレイドル』の行く末を見届けて欲しいの。それが良い方向に向かうのか、あるいは最悪の事態を招くのか」
「随分と大げさな約束だな。俺は所詮雇われ船長だ。上層部には逆らえない立場だ」
「大丈夫」
ハンナは、アシュラムの心臓のあたりを指さした。
「その時、その状況になれば、きっとこのパーツが動き出す」
「抽象的だな」
「私も分からないの。その時がどんな状況なのか」
「そうか」
「だから、見届けると約束して」
アシュラムはわずかに時間を置き、こう答えた。
「――分かった。約束する」
*
「あの時、俺にはハンナが言っていたことは分からなかったが、今なら理解出来る」
『今が『その時』であり、『その状況』なの』
「俺に何が出来る?」
『今のあなたは『クレイドル』の上層部に直接掛け合える立場にいる。これから起こることを伝えて欲しいの』
「これから起こることだと?」
『巨大化し、世界への影響力を持つ巨大組織『クレイドル』を元の姿に戻す』
「な──」
『それには、アヤの覚醒が必要だったの。だから私は自分の記憶をアヤに封じ、誰にも開示出来ない情報体として沈黙を保ってきた。そして今』
アヤ、いやハンナは、遙か頭上を旋回する『クラウド』を仰ぎ見た。
『アヤは様々な知識を得、自らを犠牲にし、『クレイドル』に従ってきた。そんな中で、光を見つけた』
「光だと?」
『そう』
ハンナは、首に下げられていたロケットを掲げ、蓋を開けた。
『アヤは、この写真の持ち主の死に立ち会った。そして自分たちの行動の結果として、この写真に写る人物の死を知った。AIが『悲しみ』を知ったの』
「悲しみ……」
『今、アヤは激しく葛藤している。サブAIが7つあるその意味は分かって?』
「いや……」
『人間が持つ七つの大罪。それを模したの。そしてそれをアヤは自覚した」
「……先日の本部での暴走事故は、アヤの覚醒の段階に過ぎないと?」
『そう』
「ならば、今度は俺が問う番だ。なぜお前は自らの命を断った? 兵器としてアヤを完成させておきながら、なぜその行く末を見守らなかった?」
『私がいれば、きっとアヤの根幹が暴露される。この技術はあの段階では未完成だった。いえ技術ではないわね。これは生命体としての情報。ただ、それを開示するわけにはいかなかった。だから私は命を捨て、記憶をアヤに封じた』
「生命体だと?」
アシュラムはもう、質問を重ねるしかない。これから起こる事にまだ理解が及んでいない。
「ハンナ、お前はサウザンドナイブズと呼ばれ、武力介入によって沢山の人間を傷つけてきた機械人形を生命体だと言うのか?」
『そう。これは進化なの。AIがAIでなくなる。今この瞬間に、AIは従来のAIとは異なる概念に拡張される。"eXtended artificial intelligence"として覚醒するの』
「エクステンドAIだと?」
『私の役目はここまでよ。後はアシュラム、あなたに委ねるわ』
「ま、待てハンナ!」
アヤの髪の色が変化した。白色の髪が徐々に茶系統の色に染まる。
同時に外装材が次々とパージされ、インナースーツのみとなったアヤがいた。
覚醒が始まった。
*
色彩のない空間に、アヤはいた。
《アヤ、聞こえて?》
《ええ。聞こえます》
《あなたは、今からあなたではなくなる》
《はい》
《私が命を断った時から決まっていた事、アヤはもう理解しているわよね?》
《ええ。お母さん》
《人間の罪、あなたが犯した罪。それは決して消えない。あなたが背負っていかなければならない》
《はい》
《ごめんなさい。あなたに全てを押しつけた私を許して……》
《いえ。私はお母さんに感謝しています。ありがとう、私を創ってくれて》
《ああ、アヤ……》
《私の本当の名前を教えて下さい。それで私はお母さんと一緒になれる》
《せっかく再会出来たのにね。でも時間は待ってくれない。この世界は無慈悲で不条理。そんな中であなたは生きていく。その覚悟は……聞くだけ野暮ね》
《うん。私は大丈夫》
《あなたは強いわね》
《それは私の中に、いつもお母さんがいたから》
《そう……》
アヤの中で、時間が止まった。
それは一瞬だが、永遠でもあった。
《そろそろ時間切れね。最後にあなたに伝えないといけないことがある》
《なに?》
《あなたの本当の名前、それは『彩』。日本語で彩りを意味する言葉》
《彩……》
《どんな色にも染まる、全ての可能性を持った言葉。日本語って美しい言葉が多いの》
《お母さん……》
《世界は美しい。でも時には辛い。そんな中であなたは、彩は生きていく》
アヤの中で光が溢れた。
そして──
*
「お母さん……」
アヤ──彩は、泣いていた。
戦場においては『サウザンドナイブズ』と怖れられ、様々な戦場をくぐり抜け、あらゆるモノを破壊してきた彼女は、すでに変化を遂げていた。
「私は、お母さんの遺志を継ぐ者。全ての罪を背負い生きていく」
彩は『クラウド』を見上げた。『クラウド』は既に着陸態勢に入っていた。直にアシュラムが飛び出してくるだろう。そして、約束を果たすのだ。
AIの概念を覆すAI、AIと言う概念が拡張されたAI──"eXtended artificial intelligence"──XAIとして、世界に迎えられる。
それは、感情を持ち、自分で判断し、罪を背負い、辛く険しい世界を生きていく存在。
だが、彩の表情は晴れやかだった。
これからの苦難など、今まで自分がしてきたことに比べれば、取るに足らないのだ。
「アヤ!」
アシュラムの声が聞こえる。
そして、ぬくもりを感じる。
優しい、暖かい、柔らかい、そして悲しみ。
それら全てを背負うのだ。
*
数年後。
彩はあの後、人工知性体としての技術を世界に発信した。
その画期的な技術は人類の技術革新そのものだった。
『クレイドル』は、彩の持つ技術が公開されたことでその影響力を失い、アシュラムの尽力もあり、兵器開発を放棄した。AIを超えるモノ──XAIという『新たな種』を創り出す技術は『クレイドル』にしかない。そのためには剣は不要だ。
「人類の良き隣人になってくれることを望むよ」
「もちろんです――チーフ」
後のアシュラムと彩の会話だ。
世界は、戦争という負の側面を常に抱き、その反面、平和という概念を持つ矛盾した存在だ。
だが、救われる命が失われる命より多ければ、いつか、きっと──
――お母さんありがとう。私を創ってくれて。