(三)恋する乙女
今晩の部屋に通されるなり、クレアは変装を解いた。近衛連隊長の制服に袖を通し、すぐさまクレオン=ベリィレイトに戻る。理由を敢えて訊かないだけの分別はジキルにもあった。
「寝込んでいることにしろ」
クレオンがレオノーレに指示を出したその折、計ったかのようにギデオン王子からの遣いが大挙して部屋にやってきた。彼らの手には王室御用達の高級菓子やら花、見舞いの手紙に健康を祈っての即興詩。さらに王室付きの医師まで遣わしてきたのだから、たまったものではなかった。
「な、なあ、ちょっと散策にでもいかないか?」
怒りに震えるクレオンを見かねてジキルが提案した。
「守るべき『クレア王女』を残してか?」
「じゃあ庭園で剣の稽古は? 婚約者に一手教授するくらいなら咎められやしないだろ」
追随するようにレオノーレにが頷いた。
「今晩の食事会には出席しなくてはなりません。一度外の空気に触れて気分転換をなさってはいかがでしょう」
恋に我を忘れた阿呆でも、相手はこの国の第一王位継承権を持つ王子なのである。偉いのである。晩餐会に欠席するという無礼は犯せなかった。
クレオンは深くため息をついて、マントを肩にとめた。
「行くぞ」
足早に庭園へと向かうクレオン。この様子からすると痣の二つ三つは覚悟しなければならなさそうだ。どうすれば被害を最小限に留めることができるだろうかを考えている間に開けた場所に到着してしまった。
今は使われていない噴水前。地面は煉瓦で舗装されている。広さといい、人気の無さといい、剣でやり合うには相応しい場所だ。既にクレオンは腰から得物を抜き放っている。いつも使っている魔剣だ。軽く肩慣らしという考えは最初からないらしい。
(ギデオン王子め!)
内心で呪いの言葉を吐きつつジキルも剣を抜いた。他人の恋路を邪魔したわけでもないのに馬に蹴られるとは一体どういうことだろう。
「クレオン様!」
互いに剣を構えた格好で固まった。声のした方へ首を向ける。庭園の奥からこちらへと駆けてくる少女が一人。状況といい、繊細な刺繍の入ったドレスから察するに貴族だろう。歳は十三、四――ルルと同じくらいだとジキルは判断した。癖のある亜麻色の髪。柔和な顔立ちに、見覚えがあるような、ないような。
首をかしげるジキル。少女はクレオンの前で立ち止まった。
「お久しぶりでございます。ご機嫌はいかが?」
スカートの裾をつまんで一礼。貴族の令嬢に相応しい所作だった。
「リリア様こそ、ご機嫌麗しく」
クレオンが恭しく礼をした。ことさら丁寧に見えたのはジキルの気のせいではないのだろう。しかし、王族に「リリア」なるご令嬢の名はなかったはずだ。
「はしゃぐのもいいが失礼があってはいけないよ」
遅れて庭園から現れたのはサディアスだった。
「ジキルが会うのは初めてだったな。紹介させてくれ、俺の妹の――」
「リリア=ドナ=オズバーンと申します。兄がいつもお世話になっております」
折り目正しく一礼。ジキルも慌てて貴族の礼をした。
「妹君?」
「とんだお転婆で」サディアスは苦笑しつつ頷いた「信じられるか? あれで王太子妃候補なんだぜ?」
「え……ってことは、ギデオン王子の」
「ああ。婚約は成立している。来年の夏に婚姻の儀を執り行う予定だ」
と話しているジキルとサディアスを余所に、リリアはクレオンの腕に自らのそれを絡ませる。庭園の奥に池があり、そこに珍しい魚が放されているらしい。嬉しそうに教える彼女は輝くばかりの笑顔で、はたから見ていても、とても愛らしかった。
「仲いいな」
「三年前の剣術大会以来、あの調子でね。まったく困ったものだ」
サディアスが言うには、当時十三という前代未聞の若さで剣術大会に優勝したクレオンに、多数のご令嬢方が熱を上げたのだとか。サディアスの妹も例に漏れず、兄の応援は何処へやら、クレオンに夢中で、会う度にああして付きまとっているらしい。
とはいえ、クレオンは決して絡まれた腕を振りほどこうとはしない。少し困った顔で嬢の相手をしている。
「……仲、いいんだな」
「邪険にはできないだろうさ。あれでも一応男爵令嬢だし、皇太子殿下の婚約者だ」
喜ぶべきことだ。あの性格のキツさでは親しい友人などいないと思い込んでいたが、クレオンは意外に面倒見がいい。所構わず暴言を吐くことも、侮蔑に満ちた眼差しを向けることもない。むしろ、ジキルに対する時だけが平生と違うのだ。
(俺に対して、だけ)
それはとても些細な発見だった。しかし小さな棘は刺さったまま、いつまでも抜けなかった。




