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  (六)王手をかける長子

 部屋に一つしかない扉が開かれる。現れたのはヴィオレッタ=ブレイク伯爵夫人。

 会話の一部始終を聞いていた彼女は、立ちすくんだまま入室しようともしなかった。唇を固く引き結び、複雑な表情を浮かべていた。それは裏切られたことに対する憎悪か、悲嘆か、それとも落胆か。いずれにせよ、伯爵の本性を目の当たりにした今、彼を庇う必要はなくなった。

「ヴィオ、レッタ……」

 呆然としたブレイク伯爵が呟く。途端、ヴィオレッタは身を翻して逃げ出した。反射的に後を追おうとしたブレイク伯爵の前に、ジキルが立ちはだかる。

「貴族たるもの、引き際は心得るべきでしょう」

 暗に『詰み』だと告げてもまだ状況を理解しないブレイク伯爵に言葉を重ねた。

「伯爵お得意の狩りで言えば『追い込み』は完了しているんですよ。後は誰かが射かけるだけ」

 ルルはこうなることを読んでいたのだろう。むしろ脅迫状を送り付けることで伯爵の恐怖を煽り、自ら動き出すように仕向けた。そういえば、昔からルルは連珠などの盤上遊戯を得意としていた。ジキルは一度も勝てたことがなかった。彼女曰く「自分の望む形に相手を動かすこと」がコツらしい。

(……あ、そっか)

 五年前の罪を暴けないのなら、今の罪を裁けばいい。ルルはブレイク伯爵が罪を重ねるのを待っていたのだ。だから籠城事件の時にあっさりと退いた。すでにルルの望む『形』が出来上がっていたから。

 そして、ジキルに『王手』を――最後の栄誉を譲るためにだ。

「貴様っ」

 激昂しかけたブレイク伯爵はしかし、ジキルが腰に差した魔剣を抜き放つのを見て息を呑んだ。

「ルルの言う通りだ。貴族は火刑どころか死刑にすらならない。だったら裁判なんて無意味だよな」

 抜き身の魔剣を片手にジキルが近づくと、同じだけ下がる。やがて壁に行き当たりブレイク伯爵は逃げ場を失った。いくら狩りを嗜んでいたとしても得物がなければどうしようもない。ブレイク伯爵は顔を青ざめさせた。

「待て、よく考えてみろ。たしかに私は魔女狩りを積極的には防ごうとはしなかった。お前達からすればそれは非情な行為だっただろう。だが、仮にあの時、私が魔女狩りを止めていたらどうなっていたと思う? あの魔女は助かったかもしれないが、混乱は収まらず犠牲者は増えていたはずだ」

 ふーん、とジキルは気のない返事をした。が、怒気は際限なく高まっていく。

「それで? 母さんを殺したおかげでノストラ地方は救われたから自分は悪くないってことか?」

 元々、自分の危機には敏感な男だ。ましてやこの至近距離。ブレイク伯爵はジキルの憤怒を的確に察知し、恐怖に顔を歪めた。

「それともう一つ『あの魔女』っていう言い方はやめてくれないか。俺達の母さんはレナ=ヴィンセントだ。お前の踏み台でも名も無き魔女でもない」

「聞け! わ、私は、踊らされていたんだ! そう、私も被害者だ! 簡単に統治させる方法があると……犠牲も少なくて済むと『あの男』に……げ、げん、現に、私が領主となってからはノストラ地方は以前とは比べものにならないくらい、豊かになったではないか! その恩恵は、お前達も少なからず受けていただろうに!」

 支離滅裂な上に傲慢さが滲み出ていて何を言っているのかよくわからないが、何を言いたいのかは辛うじて理解した。

 この男はこともあろうに命乞いをしているのだ。この後に及んで、このジキル=マクレティに。

「恩恵?」

 ジキルはノエルの柄を潰すほどに強く握りしめた。

「お前、人が焼ける臭いを嗅いだことがあるか」

「そ、それ、は……」

「殺してくれと泣き叫ぶ声を聞いたことがあるか。火に焼かれて、黒煙に包まれてもなお死ねずに苦しみ続ける母親の姿を見たことがあるか」

 ジキルには確信があった。この男には母の受けた苦痛も、自分達が味わった絶望も何一つわかっていない。

 失った家族の名を呼び続けたことなどないのだろう。悪夢に苛まれることも、泥水をすすったこともないに違いない。

 生かされた側の気が狂いそうになるほどの罪悪感を、奪われた側の喪失感を、明日食べる物を心配する惨めさを、こいつは全く知らずにここまで生きてきた。

 ジキルは魔剣ノエルを高く掲げた。

「俺達はそういう『恩恵』しか与えられなかった!」

 柄に埋め込まれた魔導石が目も眩むほどの光を放つ。輝くその色はあの日見た炎のように真っ赤だった。

 そして――ジキルは剣を振り下ろした。


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