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  (五)逃亡する当事者

 ジキルは剣の柄を握った。魔剣ノエルの刃を引き抜き、同時に身を翻す。驚愕の表情を浮かべるブレイク伯爵と目が合ったのは一瞬。邪竜オルブライトを屠った魔剣の一閃は、狙い違わず伯爵――の背後に忍び寄っていたモノを切り裂いた。

 舌打ちしつつルルは指を鳴らした。瞬時に光弾が生まれ、ブレイク伯爵目がけて飛来。呆然とする伯爵に避けることはできなかった。が、今度はクレオンの魔剣が光弾を一刀両断した。

「なっ――」

 これにはルルも驚きを隠せない。その隙にクレオンは距離を詰め、ルルの喉元に刃を突きつけた。形勢逆転。一瞬にして不利な状況に立たされたルルはしかし、余裕を取り戻していた。

「結構やるじゃない」

「安い挑発に乗ると思うなよ、ルル」

 ジキルは床に斬り捨てたものを確認した。ネズミによく似た、だが異様に大きな前歯を持つ魔獣だった。魔剣ノエルが反応していなければ、今頃ブレイク伯爵はこの牙にやられていただろう。

「でも甘いわ。兄さんも近衛連隊長様も魔女というものを理解してない。普通の人間だったら拘束すればそれで終わりだけど、私達は違う。頭を踏みつぶされても、踵を噛み砕くのが魔女よ」

 クレオンが大きく飛び退いた刹那、天井から稲光に似た光がルルを直撃した。耳を聾するほどの轟音が部屋全体を揺るがす。雷撃は墜ちた地点のみならず、周囲に衝撃と熱をまき散らした。床に伏せていたクレオンにジキルは慌てて駆け寄る。

「く、クレオン!」

「うるさい。騒ぐな」

 咄嗟に退いたのが功を奏したようだ。クレオンは平然と立ち上がり、肩の埃を払った。

「で、あいつらはどうした」

 複数形。ジキルは慌てて周囲を見回した。ルルは無論のこと、あの一連の騒ぎに乗じてブレイク伯爵夫妻の姿も消えていた。

「逃げたな」

「マジか」

 ジキルは開いた口がふさがらなかった。身を挺して守ったというのに、夫婦そろって真っ先に逃げ出すとはどういう了見だ。

「僕は伯爵を追う。一応保護しなくてはならないからな」

 クレオンは魔剣を鞘に納めた。

「お前はどうするつもりだ」

「もちろん、ルルの跡を追うさ」

 目に見える痕跡を残してはいないだろうが、魔剣ノエルはルルの魔力を感知できる。追跡は十分可能だ。

「まさかとは思うが、お前一人でいくつもりじゃないだろうな。要求が拒まれた以上、予告通り大橋を爆破する可能性もある」

「馬鹿言うな。ルルに限ってそんな大それたことを……」

 脳裏に蘇るいくつもの前科。ジキルは小さく「するかもしれない」と呻いた。

 ロイスと同じく思い込んだら一直線。しかもルルは冷静沈着とは対極に位置する性格ときた。

「急いで止めないと」

「待て。相手は子供とはいえ魔女だ。お前ごときが無策で突っ込んで敵う相手じゃない」

「いや、別に喧嘩するつもりはないんだが」

 魔女である以前に、相手は幼い時からずっと一緒だった妹だ。策なんかいらないし、そもそも勝つ必要がない。ジキルの心情を汲み取り、クレオンは目を細めた。

「お前にその気はなくても向こうは戦意満々だ」

「まさか。だって、兄妹だぞ?」

 ジキルは笑い飛ば――そうとしたが、クレオンに睨まれてできなかった。

「たまたま同じ人間から生まれたというだけのことだ。あの魔女がお前を憎まない理由にもならなければ、殺さない保障にもならない」

 憎む。唐突に出てきた物騒な単語にジキルは返す言葉を失った。ルルが自分を憎んでいる。思いもしなかったことだった。

「血がつながっているだけで、高を括っていたのか。度し難い馬鹿だな」

 しかし王侯貴族とは違って、同じ食事を同じ食卓を囲んで食べ、同じベッドに寝て育った家族だ。仮に愛などなかったとしても情はあるはずだ。

「自分が特殊な環境で育ったからって、他人の家庭を悪く言うな。ルルはそんな血も涙もない冷たい子じゃない。ただ……ただ、ちょっと反抗期なだけだ。あの年頃の女の子は色々難しいんだよ」

「思いっきり殺されかけておいて何を言っている」

「あれは照れ隠し!」

 クレオンは半目でこちらを見た。呆れ果てているのが、言われなくてもわかる。ジキルとしても自分の主張に無理があるとは思う。

「数年前に仲が良かったからなんだ。親しく振舞うことぐらい誰にだってできる。笑顔の裏で憎しみをたぎらせていたかもしれん。お前の主観なぞ何の根拠にもなりはしない」

「で、でもルルは」

「人は誰でも多面性を持つ」

 微塵の甘えも許さない口調で、クレオンは切り捨てた。

「僕がその最たる例だ」

 ジキルは深い断絶を感じた。クレオンと自分とでは根本的に何かが違う。ジキルが拠り所とする肉親への情を彼は持たない――どころか、まったく信じていない。自分以外は全て敵だと言わんばかりの生き様は、まるで天涯孤独の人間であるかのようだった。

「とにかくルルは俺が何とかする」

「だったら早く追いかけることだな。これ以上騒ぎが大きくなると騎士団も強行手段を取らざるを得なくなる」

 すなわち、生死を問わずに止めにかかってくるということ。時間はもう残されていない。ジキルは腰に差した魔剣ノエルの柄を握った。急がなければ。

 対するクレオンは魔剣を鞘に納めた。敵前逃亡した前領主の身柄確保に向かう彼とはここで別行動だ。

「この件が片付いたら説明してもらうぞ。ルルとかいう魔女のこと、『暁の魔女』との関係、お前が旅に出た理由、何もかも全てだ。いいな?」

 ジキルは神妙な顔で頷いた。

「わかった。説明する」

 生きていたらな。後半部分は飲み込んだ。よもや妹に殺されるとは思わないが、妹の悪いお友達に抹殺される恐れは十分にあった。

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