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八章(一)ようやく登場する妹

 ヴィオレッタ=ブレイクにとって今日は、生涯忘れない日になるはずだった。

 大した特産物もなく、交通の便も悪い。領主として封じられた時は正直、左遷という二文字が頭に浮かんだ。だが、夫であるブレイク伯爵はそうは思わなかったようだ。交通の便は街道を整備すれば解決する。さらに関税を抑えることで商人達が集まるようにした。ブレイク伯爵の政治的手腕とヴィオレッタの生家の資金によって、パーセンは交易の町として目覚ましい発展を遂げた。今回の王都を繋ぐ大橋の完成はその象徴でもある。

 ノストラ地方随一とはいえ、所詮田舎の一商家の娘に過ぎなかったヴィオレッタには夢のような日だった。式典には礼服で出席するが、晩餐会には贅をつくした華美なドレスを着るつもりだ。靴から扇、手袋、髪飾りに至るまで全て選びに選び抜いた一流品を取り揃えさせた。

 一つ不服があるとすれば、首飾りだ。ヴィオレッタは狐の毛皮を纏うつもりだった。が、今朝になってブレイク伯爵付きの使用人が首飾りを持ってきたのだ。式典には、この首飾りを身に着けるように、との言伝付きで。珍しいことだった。ブレイク伯爵は普段、ヴィオレッタがどんなものを着ようと口出ししたりはしない。興味がないのだろうと思っていたのに。

(地味だわ)

 銀の鎖に宝石が一つだけ。さほど大きな宝石でもない。

(まるでクレア王女のよう)

 昨日、初めて拝謁した王女の姿が浮かぶ。クレア=リム=レティス。悲劇の王女として有名ではあるが、その姿を直接見た者は少ない。事情が事情なだけに姿絵も出回っていないため、噂が独り歩きして「絶世の美女」と広められていた。

 しかし、実際はどうだ。ヴィオレッタは忍び笑いを漏らした。たしかに顔の造形は美しく、立ち振る舞いも申し分ない。だが、一国の王女にしてはあまりにも地味だった。質素な服装は言うに及ばず、見るからに無粋な平民の婚約者と相まってみすぼらしくさえあった。あれが王族なのだ。あの程度の小娘が。

 いくぶん気分がよくなったヴィオレッタは鏡の前で自身の姿を眺めた。完璧に整えられたヴィオレッタ=ブレイク伯爵夫人。クレア王女と比べても決して見劣りはしない。素晴らしい出来栄えに満足げな笑みを浮かべたその時だった。

 ヴィオレッタの後ろ――長椅子に腰かける人物の姿が映った。

「御機嫌よう、ヴィオレッタ伯爵夫人」

 振り向き目を見開くヴィオレッタに、少女は挨拶した。

 歳はまだ十三、四といったところか。まだ若い、幼いと言ってもいい少女だった。肩まで伸びた金髪には少し癖がある。髪と同色の瞳はややつり気味で、猫を彷彿とさせた。どこにでもいる、中流階級の少女。強いて特徴を挙げるとすれば、大きな白いリボンで髪をまとめていることだろうか。

「あなたは……」

「覚えていらっしゃいませんか。最初にこの屋敷に来た時、ご挨拶申し上げておりますし、その後も何度かお会いしたこともあるかと思うのですが」

 突然の訪問者は微笑んだ。幼い少女の外見に似合わず、陰鬱でどこか妖艶な笑みだった。

 ヴィオレッタは無意識の内に一歩後ずさる。得体の知れない相手に対する困惑が冷静な判断力を奪っていた。結果として、ヴィオレッタは同じ問いを重ねることになる。

「あなたは、誰?」

「名乗ったところでご存知ないと思うけど、まあいいわ。挨拶はちゃんとしないとね」

 少女は椅子から腰を上げた。

「私の名はルル=ヴィンセント。出身はあなたと同じノストラ地方よ」

 ヴィオレッタは眉を顰めた。いくら商家の出とはいえ、主だった貴族の名は把握している。ヴィンセントという家名など聞いたことがない。

「母の名はレナ。無理に覚える必要はないわ。すぐに忘れられなくなる名になるでしょう」

「それはどういう」

「ところでその首飾り、お気に召したかしら?」

 唐突な質問だった。反射的にヴィオレッタの手は自身の首元に下げた宝石に伸びる。今朝、主人からの使いが言伝と共に持ってきた首飾りだ。でなければ晴れ舞台にこんな地味な首飾りを身につけたりはしない。

 ブレイク伯爵の、指示だから――ヴィオレッタは息を飲んだ。この首飾りを運んできたのは、使用人の一人だった。ブレイク伯爵から直接、身につけるよう言われたわけではない。

「改めて、大橋建設のお祝いを申し上げますわ、ブレイク伯爵夫人。その首飾りは私からの贈り物です。どうぞお納め下さいな」柔和な笑顔と共に付け足す「無理に外すのはお勧めしません。暴発する恐れがございますから」

 侵入者――ルル=ヴィンセントは懐から貴石を取り出して見せた。ヴィオレッタが胸に下げている宝石によく似た、一回りほど小さい物だ。

「まさか、魔導石」

「いいえ、魔石よ。私の魔力がこもっているわ」

 魔石をもてあそびつつ、ひとりごちる。聞かせるように、わざとらしく。

「それにしても魔導石って便利ね。魔女の血をひいていなくても魔法を使うことができるし、コレで魔獣を大量発生させてれば町一つ壊滅させるなんて朝飯前。何よりも普通の宝石の何十倍も高値で売れる。貴族様方が欲しがる気持ちもわからなくもないわ」

 ルルは魔石を放った。次いで細い指を鳴らす。途端、放物線を描いて落ちる魔石が爆ぜる。小規模爆発。一瞬にして粉々に破砕した魔石から、ヴィオレッタは凍りついたかのように目が離せなくなった。その手から扇子が滑り落ちる。派手な音を立てて床に落ちたそれを拾うこともできず、ヴィオレッタはただ硬直した。状況を理解しようとする意思に反して、思考は麻痺し、機能しない。

「通常、魔女は魔力反発作用が発生するため魔導石を使うことはできない。でも自分の魔力を込めた魔石ならば反発は起きない――説明するまでもないわね。さて問題です。小石程度の魔石でこの威力。では奥様が首に下げた魔石だったら、どのくらいの爆発になるかしら?」

「ひっ……」

 ヴィオレッタはその場に崩れ落ちた。足取りも軽くルルが近づき、顔を覗き込む。

「さすがに建物を壊すほどの威力はないけど、人一人の首なら吹っ飛ばせる自信があるわ」

 死刑宣告に等しい発言。ルルの目には楽しげな色が浮かび、爛々と輝いていた。いたずらを成功させた子供のように。

 もはや恐怖に震えるだけのヴィオレッタに彼女は指を一本立てた。

「ひとつ、お願いがあるの」

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