(七)追及する婚約者
「怒ってなどいない。呆れているだけだ」
明らかにご機嫌斜めな声音でクレオンは言う。
「お前の思いつきなんぞに付き合った僕が間抜けだった」
思いつきとは失礼な。今回のパーセン行きは、ちゃんと深い考えがあって――発する寸前だった反論の言葉を、ジキルは口内に止めた。
発端は信用できない自称「ノエル」の提案に自分が乗ったからだ。他に手掛かりも行く宛てもなかったから。はてさてそれを世間一般では「深い考え」と名目するだろうか。ジキルは反論の言葉を腹の奥底に飲み込んだ。
「協力させた挙句、目的地に着いた途端用済みとばかりに完全放置。挙動不審で何かを隠していることは明白だというのに話そうとしない。事が起きた今なお何一つ説明しようとしない。ずいぶんと偉くなったものだな」
若干被害妄想が入っている気もしなくもないが、大方は当たっていた。ジキルの意識はブレイク伯爵に向いていたし、クレオンのことはなおざりになっていた。彼がどう思うかについてまで考えていなかった。
(でも、クレオンだって俺に何も訊かなかった)
自分の中でとっさに浮かんだ言い訳に、ジキルは愕然とした。
何も訊いてこないから、関心がないのだと決めつける。だから何も言わない。伝えない。その結果、ルルは一人で家を飛び出したのだ。
(何も変わってないじゃないか)
瞼に熱が集まった。「勝手だ」となじるルルの声は今でも鮮明に思い起こせる。振り返りもしないで去ったルル。その背中が母の最期の姿と重なり、止めることができなかった自分の無力さを思い知らされる。
(俺は、今でも)
母の時はジキルの幼さや無力さが理由になったが、妹の時は違う。責任は自分にあった。
「悪かったよ。ごめんな」
包帯をしていて助かった。クレオンに情けない顔を見られずに済む。
ブレイク伯爵を前にしても平静を保っていたつもりだったが、知らず知らずの内に焦っていたのだろう。落ち着かせる意味を込めて、ジキルは大きく呼吸した。
「今さらだけど、聞いてくれるかな? 俺たちとブレイク伯爵のこと」
「この非常時にお前のために時間を割けと?」
暗に説明しろと言っておきながら、いざ事情を話そうとしたらこの態度だ。でもジキルにはわかった。これはクレオンのささやかな意趣返しなのだ。伊達に三か月も婚約者をやっていない。クレオンがあっさりと耳を傾けるような素直な性格じゃないことは重々承知している。
「だいたい、お前が気を取られているのはブレイク伯爵じゃなくて伯爵夫人だろう」
「いや、それは誤解だって」
クレオンは鼻を鳴らした。全く信じていないようだ。まずはその誤解を解かなくてはならないのだが、頑固なクレオンが相手では苦戦するのは目に見えていた。
どう説明したら良いものかと考えあぐねていると、クレオンの気配が近づいてきた。次いで、ベッドのスプリングが軋む。クレオンがベッドの端に座ったのだとジキルは察した。
「さっさと説明しろ」
ふてくされながらもクレオンは聞く姿勢を取る。自分の事情は察しろと言うくせに、こちらの事情は察してくれない身勝手な貴族サマ――傲慢な態度は変わっていないし、きっとこれからもずっとこのままなのだろう。でも、彼なりに理解しようとジキルに歩み寄ってくれたのだ。
「話せば長くなるんだが端的に言うと」
理解を求める努力をするべきだったのだ。もっと早く。巻き込みたくないとか、関心がないだろうとか、それは全てジキル一人の思い込みに過ぎない。
「ブレイク伯爵のせいで、母さんは死んだんだ。だから俺の妹は伯爵に復讐しようとしている」




