(五)王国の天才剣士
昼の混雑を終えたところで食堂『にくきゅう』は『準備中』の札をさげた。
「――で、クレア王女との婚姻を阻止するために、あなたは兄に決闘を申し込んだ、と」
人気のない厨房で今度は鍋を磨きつつ、ロイスはクレオンを睥睨した。カウンター席の一つに腰かけたクレオンは無言で頷く。どことなく偉そうな態度だった。
「なんでまたそんな迷惑なことを」
ジキルはモップを動かす手を止めて文句を言った。菜園予定地を荒らした罰として食堂の床掃除を課せられたのだ。弟に。兄としての面目なんぞあったものじゃない。
「ところで、あなたはクレア様のご親類ですか?」
唐突な質問にクレオンは弾かれたように顔を上げた。戸惑ったのは訊ねたロイスの方だ。
「失礼。クレア王女に似ているような気がしたもので」
「遠縁だ」
端的に答え、クレオンは再び口を閉ざした。必要以上を語るつもりがないようだ。
クレオン=ベリィレイト。王都より離れたこの町に住むロイスでさえも知っている名、だったらしい。若干十四歳で王族付きの近衛連隊長となった天才剣士。王家主催の少年剣術大会では最年少である八歳の頃から連覇記録を樹立している。そんな武勇伝にはそぐわない人形のような美貌と華奢な身体が、ますますの注目を――特に女性から、集めているらしい。
とにかくすごい剣の使い手なのだとジキルは認識した。そんなすごい剣の使い手と決闘して、なんとか引き分けに持ち込んだ自分を褒めることも忘れなかった。
「遠縁で姫様付きの騎士とはいえ、どうしてそこまでする必要があるんだ。クレア様が俺との婚姻を嫌がっているのか?」
期待を込めたジキルの質問にしかし、クレオンは首を横に振った。
「彼女とて王族だ。婚姻には国家としての利益が伴うことぐらい承知している」
「じゃあどうして」
「お前との婚姻に何の益がある」
クレオンは傲然と言い放った。
「広大な土地を所有しているわけでも、後ろ盾になれるような有力な貴族でもない、ただ邪竜オルブライトを倒したという名声があるだけの田舎者と親戚になったところで、クレア王女の益にはならない」
あんまりな物言いにジキルは憮然とした。同じようなことをロイスにも言われたが、他人に言われると余計に腹が立ってくるものだ。
「だったら、最初に断ればいいじゃないか」
「国王陛下が結婚相手にと選んだ者を、か?」
クレオンはこれ見よがしにため息をついた。ジキルに対する呆れを隠そうともしない。
「彼女に反対できるわけがないだろ」
「俺だってそれは同じことだよ」
話は平行線。居心地の悪い沈黙を打ち破るように、ロイスは両手を叩いた。
「少し遅いですが昼にしましょう。お腹が膨れればいい知恵も浮かんでくるかもしれない」
彼にしては珍しく根拠のない案だったが、一向に案が浮かばないのも事実だった。ジキルは手早く掃除を終わらせて、厨房に入った。
その間にロイスは残った食材を小さく切って鍋に投入していた。
「今日はグラタンにしますよ」
聞けばいい牛乳が手に入ったらしい。小麦とバター、そしてチーズを削って鍋に入れて手際よくソースを造る。別の鍋にたっぷりの水を入れて特製生パスタを茹でて、耐熱皿三つにわける。
オーブンに入れて待つこと数分。果たしてロイスの得意料理グラタンは完成した。濃厚チーズの香りが食欲をそそる。
「熱いから気をつけてくださいね」
と、ロイスが注意しているそばからクレオンは熱した器に触れてしまった。反射的に手を引っ込めるが遅い。彼の細く整った人差し指の背が赤くなっていた。
「大丈夫か」
顔をしかめるクレオンに、ジキルは慌てて水で冷やした布を渡した。
「あなた、意外に……」
おっちょこちょい。さすがにロイスは最後まで言わなかった。が、それでも何を言わんとしているのかをクレオンは察した。憮然とした顔でロイスを睨む。
「とりあえず食べてみなよ。ロイスの料理はどれも美味しいけど、中でもグラタンはピカイチなんだ」
ジキルからフォークを受け取る。警戒を露わに一口食べて、クレオンは目を丸くした。
「な? 野菜を練り込んでパスタを作ってるから美味しいんだ」
「野菜嫌いな子でも食べられますしね」
余計な一言を付け足したのはロイスだった。彼の記憶力の良さはこんな時でさえも発揮される。
「昔の話だ」
「今でもニンジンは苦手でしょう。まったく二人してどうしてメジャーな好き嫌いを……」
ああそういえば、妹もニンジンは嫌いだった。シチューに入っていたら一口だって食べなかった。ジキルよりも酷かった。食べ物を残す度に母に叱られていた。それを執り成すのはいつもジキルの役目だった。そしてロイスは、ニンジン嫌いでも食べられる料理を研究し、開発した。野菜を練り込んだパスタもその一つだ。
ロイスも思い出したのだろう。マクレティ兄弟が二人して黙っていると、クレオンが眉を顰めた。