(五)意外な襲撃者
妻の異変にはつゆ気付かず、ブレイク伯爵は壇上へと堂々たる足取りで上る。大橋建設計画の立案者であり責任者であり資金提供者でもあるのだから当然と言えば当然のことだ。今回の功績によってブレイク伯爵には国王から大臣職が与えられるのではないかと、貴族間ではもっぱらの噂だった。
復讐どころかますます手の届かない存在になろうとしている伯爵をしかし、ジキルにはどうすることもできなかった。仮にブレイク伯爵を亡き者にしたとしても母は戻らない。伯爵を罰したいと願うのは、自分の腹いせに過ぎないことを、ジキルは知っていた。
誇らしげな顔で拍手と賛辞を受けるブレイク伯爵。対照的に、青ざめた顔で前を見据えるブレイク伯爵夫人。緊張感というには切羽詰り過ぎていた。
隣のクレアに相談しようかとジキルが口を開きかけたその折、不意にブレイク伯爵夫人が立ち上がった。おぼつかない足取りで壇上へ、ブレイク伯爵の方へと向かう。
「伯爵を頼む」
言うまでもなく、ジキルが立ち上がるのとほぼ同時にクレアは動いていた。
王子や王女である前に彼は軍人だった。不穏な気配を察知することには長けている。何よりもつい最近、公の場で同じような状況に直面したばかりだ。
ようやく異変を感じ取った警備兵が制止するよりも先に、ブレイク伯爵夫人の懐から刃が閃く。鬼気迫る眼差しを伯爵へ向けるその目は血走っていた。勢い付いて無防備な伯爵の胸に飛び込む――その間にジキルとクレアが割って入った。
クレアが伯爵の腕を取って床に引き倒す。思わぬ乱入者にブレイク伯爵夫人は対処できなかった。標的を失った刃は空を切り、間髪入れずジキルの鞘から抜き放ったノエルが、ブレイク伯爵夫人の手に握られた短剣を弾く。
式典が、凍りついた。
乾いた音を立てて短剣が地に落ちても、誰も見向きもしない。
会場中の注目を一身に集めたブレイク伯爵夫人の血の気は引いていて、今にも倒れそうだった。真正面から相対してようやく、ジキルは気付いた。
伯爵夫人の顔に浮かんでいたのは恐怖だった。狩人を前にした小動物のごとく、彼女は怯えていた。その目は目の前に立つジキルを捉えていない。どこか別の、何かを恐れているようだった。
「ブレイク伯爵夫人」ジキルはノエルを鞘に納めて一歩近づいた「どうして……」
ようやく我に返ったのか、ブレイク伯爵夫人は震えながら一歩、後ずさった。
「取り押さえなさい!」
クレアの一喝に気圧された警備兵たちが一斉に動き出す。だが、遅かった。警備兵たちがなだれ込むよりも先に、ブレイク伯爵夫人の足元に黒い球が落ちる。とっさにジキルはクレアとブレイク伯爵の前に躍り出た。
小石程度の大きさの球が割れた刹那、ブレイク伯爵夫人を中心にして閃光が炸裂。強烈な光がジキルの目を直撃した。
「ジキル!」
眩い光の中で、誰かに呼ばれたような気がした。ノエルかクレアか、いずれにせよ珍しいことだった。切羽詰った声の主を確かめる間もなく、ジキルの視界は暗く閉ざされた。




