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  (三)世話焼き王子様

 まず頭に浮かんだのは「ここはどこだっけ?」という疑問。

 見慣れない天蓋をジキルは寝ぼけ眼で眺めた。柔らか過ぎる寝台。王城の客室には多少劣るとも贅沢な造りは、屋敷の主人の財力を誇示しているようだった。

 ああ、ブレイク伯爵邸に泊まったんだっけ。今日は落成式で、夜には舞踏会。そう、舞踏。ぶとう。おどり……。

「ワルツっ!」

 ジキルは跳ね起きた。カーテンの隙間から覗くのは朝日。時計は無情にも六時を指していた。ジキルは血の気が引いていくのを感じた。そのくせ、背中には汗が伝う。

「……まずい」

 結局一つも体得できないまま当日を迎えてしまった。

「いや、待て。大丈夫だ。うん。少しは覚えてる」

 試しに軽く足を運んでみる。一夜漬けとはいえ散々叩き込まれたステップ。ジキルの足は難なくワルツをこなした。あとはリズムだ。ワルツはほとんと三拍子だと昨日クレオンが言っていた。いち、に、さん。にー、にっ、さん。手は添える程度で。目を閉じて動きを確認する。

「いち、に、さん」

 仮想の貴婦人相手にジキルはワルツを踊った。

「にー、にっさん。さんにっさん」

 目を閉じた奴が何やらブツブツ言いながら一人でくるくる回っている。はたから見たら実に間の抜けた行動だが、他に方法はない。

 ジキルは一連の流れを繰り返した。相手の仮想貴婦人が回りやすいよう、右手を返して――不意に、その手に冷たい感触。ジキルは目を見開いた。

「動きがかたい」

 驚くジキルなぞおかまいなしに指導したのは、クレオンだった。

 いつの間に入室したのか。手を取られるまで全く気が付かなかった。

「クレ、」

「足をおろそかにするな」

 クレオンの靴を踏みそうになっていた自分の足を、ジキルは慌てて左に流した。かろうじて続いていたステップが乱れる。ジキルは大きく体勢を崩した。

「あっ」

 倒れそうになったジキルの身体をクレオンが支える。頼りないと思えていた細腕はしかし、人間一人の体重を掛けられても微動だにしない。

「集中しろと言ったはずだ」

「ご、ごめん」

 クレオンが吐いたため息がやけに大きく聞こえた。違う。近いのだ。女性に見紛う程端整な顔が目の前にある。認識した途端、ジキルの身体は動かなくなった。

「なんだ」

 深い紫の瞳に怪訝の色が浮かぶ。

「いや、何でも……ない」

 たどたどしい返答に眉をひそめる。そんな些細な動作でさえもクレオンだと絵になった。ジキルを起こすとクレオンは「まあ最低限のワルツはできそうだな」と評した。

「比較的簡単な曲が演奏されている間にブレイク伯爵夫人に挨拶して踊ればいい」

「都合よく一曲で逃げられるかな?」

「普通ならば無理だ」クレオンは少しだけ考える素振りを見せた「僕がタイミングを見計らって、乱入する。とにかく一曲終わったら何か理由を付けて止まれ。お前が首を左右に傾げたら僕はお前に声を掛ける。夫人と談話してから折を見て離れればいい。そう難しいことでもないだろう。が、問題はお前の手だ」

「足が肝心だって言ってなかったか?」

「違う。そういう意味じゃない」

 クレオンはジキルの手を掴んだ。やや筋張っているが、爪は整えていてすべやかで綺麗な手だった。クレオンの指がジキルのそれを確かめるようになぞる。

「マメは仕方ないとして、皮が剥けている上にアカギレ。男であることを差し引いても酷い」

 ジキルは目を泳がせた。

 自覚はあった。ただでさえ乾燥しやすい季節だ。手を洗う時の水がアカギレにしみることもあるし、着替え中、布に指先の荒れがひっかかる不快な感触を味わうこともしょっちゅうだ。

 しかし他人に指摘されると気恥ずかしい。手入れをしているものとそうでないもの。クレオンに触られると余計にジキルのかさかさで荒れた肌が際立ち、なんともいたたまれない気持ちになった。ロイスからもらった軟膏を塗ろうかとも思ったが、あれは効果てきめんの代わりに独特の臭いがする。手もべたつくし、今さら誤魔化せるものでもない。

 ジキルが考えあぐねている間にクレオンは小瓶を取り出して蓋を開けた。

「とりあえず保湿しろ」

 ジキルの返答を待たずに、乳白色の液体を手に乗せる。粘性のある液体は、察するに保湿剤だろう。 ほのかに花の香りがする。男には似つかわしくない香りだ。

「小まめに手入れをすれば一日でだいぶ改善されるはずだ」

 クレオンの両手がジキルの右手を包み、保湿剤を擦り合わせる。

「く、クレオン!?」

「うるさい。じっとしていろ」

 使用人ならいざ知らず、相手は王子(王女)だ。保湿剤をジキルに渡して塗るように命じれば済むことだった。手ずから保湿剤を塗る必要も理由もない。おまけに指と指の間も丹念に塗り込む仕草は、やけに丁寧だった。

「でも、舞踏会は今夜だぞ。今さら手入れしても間に合わないだろ?」

「厚手の手袋を用意させる。手のマメもそれで隠せばいい」

 クレオンは再び保湿剤を手に取るとジキルのもう片方の手――左手を掴んだ。血の滲んだ薬指を見て、ますます顔が険しくなる。

「お前、これが痛くないのか?」

「痛いよ」

 開き直っていると取られかねない返答に、ジキルは言い訳のように補足した。

「薬塗らなきゃとは思うけど、つい忘れちゃうんだよな」

「『うっかり』や『つい』で済む問題か。指の傷は何にせよ差し障るというのに」

 ジキルは溢れそうになった笑みを頰に力を入れることでなんとか堪えた。小言付きで世話を焼くクレオンがロイスを彷彿とさせたからだ。

「気をつけるようにする」

「改善しろ」

「努力はする」

「改善しろ!」

 クレオンはジキルの左手を乱暴に離した。保湿剤の入った小瓶を押し付ける。

「自分の身体のことだろう。他力本願も大概にしろ」

 言い捨てるとクレオンは踵を返した。ありがたく高級保湿剤をいただいたジキル。小瓶をしげしげと眺めていたら、ふと大事なことを思い出した。

「あ、クレオン」

「今度は何だ」

「おはよう」

 振り向いたクレオンが虚をつかれた顔になる。

「あと、ありがとう。頑張るから今夜もよろしく頼む」

 動揺はわずか。クレオンは呆れたように眉を顰めた。

「クレア様におかれましてはご機嫌麗しく、だ」

 相変わらず手厳しく、にべもない。が、ジキルは確かに聞いた。そっぽを向いたクレオンの小さな呟きを。あいにくジキルの耳は非常に高感度なのだ。

 ぶっきらぼうに「おはよう」とクレオンが庶民的な挨拶を返したのを聞き逃すという愚は犯さなかった。


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