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七章(一)妬ましい下賤の民

 一夜明けた今朝、クレオンは久しぶりに近衛連隊長の制服に袖を通した。

 今日の式典に出席するのは『クレア王女』だが、彼女を護衛する連隊長が全く姿を現さないのも奇妙だ。多少は『クレオン』も人目に触れさせる必要がある。

『クレオン』でなければ、できないこともあった。諜報活動だ。他の賓客達に一通り朝の挨拶をした後、あらかじめ命じておいた部下からパーセンの内情を聞き取る。細かい調査報告は昨夜書面で受け取っていたが、疑問点や不明瞭な点を確認するためだ。なにぶん今回は急な出立のため下調べが十分にできていない。情報は多いに越したことはなかった。

 手早く確認を済ませて『クレア王女』の部屋がある方へと足を運ぶ。実のところ、目的はその隣の客室――ジキルだ。朝食は部屋で取ることになっているので、仮に寝過ごしていても式典まで時間的余裕はある。が、問題はその後の夜会だ。

(とにかくワルツだ)

 クレオンは妥協というものを学んだ。田舎者が一朝一夕で社交界に溶け込むこと自体、無理だったのだ。少しずつ慣れさせていくしかない。

「ベリィレイト近衛連隊長」

 クレオンは足を止めた。騎士の礼服を身に纏った壮年の男性。見覚えはあった。昨日、ブレイク伯爵から紹介された――ただし『クレア王女』の時に、だが。この屋敷の警備隊長だった。

「シゴルヒ警備隊長」

「天才剣士と名高いクレオン様に名を覚えていただけるとは光栄ですな」

 一度でも会った人間の特徴はすべて頭に叩き込んでいるクレオンでなくても、忘れやしないだろう。なにしろ昨日会ったばかりだ。

「昨日はどちらへ? 晩餐会の時もお姿を拝見できなかったが」

 訝しげな顔をする警備隊。まさか既に昨日会って挨拶しているなどと言えるはずもない。

「クレア様の命により、パーセンの視察をしていたもので」

 用意していた言い訳をクレオンはよどみなく述べた。

「クレア王女様が?」

「急速な発展を遂げた街に興味がおありのようで。パーセンの民の暮らしぶりを確認して参りました」

「それはまた熱心なことで……」

 下々の生活に興味を持つ王女。無関心よりは良いが、話を聞いただけで理解できるものではない。結局はクレア王女の気まぐれで、自己満足に過ぎない。シゴルヒの言葉の端にはそんな皮肉が伺えた。

「しかし、貴殿もこのところ、気苦労が絶えませんな。心中、お察しいたします」

「視察程度、大した負担にはなりません。それにクレア様がご見聞をお広めになるのは有益なこと。人前にお姿を現すことも少ない方ですから」

「いえ、クレア様のことではなく」シゴルヒは声を忍ばせた「婚約者殿のことです」

 シゴルヒの眼差しからは少々の憐憫とそれ以上の優越感が見て取れる。わかるでしょうに、とその目は暗に言っていた。

(そういうことか)

 クレオンはシゴルヒの言わんとしていることを察した。

 魔獣狩りと名声を得ていてもジキル=マクレティは所詮、下賤な平民。それに竜殺しの栄誉を横取りされ、さらにはクレア=リム=レティスまで奪われたのだ。常に彼女に仕えていたクレオン=ベリィレイトが腹に一物抱えていないはずがない。

 だが元々クレオンはどう足掻いてもクレア王女とは婚姻できない。身分差以前の問題だ。物理的に不可能なのだ。だから、ジキルを恨む理由がなかった。疎ましく思うことはあるが。

「私も話には聞いておりましたが、まさか本当に平民の、それも出身も定かではない流れ者を婚約者になさるとは」

 シゴルヒが驚くのも無理はなかった。

 貴族の目から見ると、ジキルは典型的な平民だ。礼儀作法も知らなければ所作も丁寧とは言い難い。洗練された貴族達の中ではその野暮ったさが際立つ。佇まいで違和感を覚え、口を開けば致命的。

 対するクレアは、王位継承権第五位とはいえ王家の一員だ。彼女の伴侶となるジキルもまたやがて王家の一員となる。蔑視の対象であるはずの下賤な平民が、仰ぎ敬うべき王族となるのだ。

「国王陛下はそれほどお喜びだということです。長年、王国にとって脅威だった邪竜を退治したのですから」

「しかし、恩賞を渡せば十分だったのでは? あるいは然るべき爵位を与えれば、納得したでしょうに。賤民の分際でよもや一国の王女と結婚できるなどと高望みするとは思えません」

 と主張するシゴルヒ自身、元は平民だ。ブレイク伯爵の取り立てによって、ノストラ地方の治安維持の功績を高く評価されて騎士の身分を与えられた。貴族の身分とはいえ、もっとも低い位であり、一代限りのもの――それが、平民が目指せる上限だ。

 だが生まれながらの貴族は違う。家名と身分の向上のために生きる貴族にとって、クレア王女との婚姻は絶好の出世手段だ。それをただの通りすがりの平民に奪われたのは、至高の宝石を野良犬に掻っ攫われたに等しい失態であり、屈辱だろう。

「陛下は、そうは思われなかったのでしょう」


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