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  (九)世話焼き王女様

 クレア=リム=レティスの湯浴みは、意外に骨の折れる作業だった。

 まず貴族ならばあって然るべき侍女の手伝いがない。とはいえ『ない』こと自体は問題ではなかった。クレアはその特殊な事情故に物心ついた時から身の回りのことはすべて自分自身でやっていた。裸身を見せる入浴は、クレアが最も他人を遠ざけなければならない作業だから、なおさらだ。

 問題なのは、こうして余所へ宿泊する場合だ。基本的な身の回りの世話は、城から連れてきたクレア王女付きの侍女が行うが、宿泊先の召使いも屋敷の勝手を教えるのも兼ねて世話役として客人にあてられる。このブレイク伯爵の配慮であるブレイク家の召使いを断るのが存外手間だった。相手に失礼のないよう、かつ納得する理由を用意して丁重に断らなければならない。

「先日の魔獣襲撃事件でクレア様は御身に傷を負われました。傷跡を他人の目に晒すことを酷く嫌がられるため、完治するまでは湯浴みの侍女は最小限に留めたい、と仰せです」

 レオノーレ侍従長はよどみなく『納得する理由』を述べた。

「今回のところは、それでよろしいでしょうか?」

 下手な言い訳では勘ぐられて面倒なことになる。その点、レオノーレの用意した理由は無難なものだった。王都に帰還する際に怪我を負ったのは、実際にはクレアではなくジキルだし、既に傷も癒えているが。

「腕のいい医師を手配されやしないだろうな」

「ブレイク伯爵のことですから、王室の医師を差し置いて出しゃばった真似はなさらないでしょう。あくまでも怪我は塞がっていますが、跡がまだ消えていないということにすればよろしいのです」

「では、任せる」

 クレアは誰もいないことを確認してからカツラを外した。コルセットをとめる背中の紐をレオノーレに解いてもらえば、あとは自分でできる。チョーカーを外し、ドレスも豪快に脱ぎ捨て、さっさと浴槽の中に。

 黄金色の湯は独特の良い香りがした。湯気と共に立ちのぼる匂いにクレオンは眉を顰めた。保湿効果のある花の香油――傷の治癒にも効果があるとされている。誰のためかは考えるまでもなかった。事情を聴いて急遽用意させたのだろう。

(配慮が行き届き過ぎていて逆に不気味だな)

 ジキルのように無神経なのも困りものだが、ブレイク伯爵の場合はそつがないためにかえって信用ならなかった。親切の裏に何が潜んでいることやら。

 髪を洗い、全身の汚れを泡立てた石鹸で洗い落す。濡れた髪を拭くのもクレオンが自分でやる。他人にやらせるより、ずっと早くて簡単だった。

 新品の夜着に袖を通したところでレオノーレが入室。美肌効果のある薬草を調合した巴布で肌の調子を整える。薄く化粧を施し、カツラをかぶせる。チョーカーをはめればクレア王女の完成だ。

「急ぎ戻りますわよ」

「ジキル様をお待たせしておりますものね」

 心なしか嬉しそうに言うレオノーレ。クレアは彼女の勘違いを訂正した。

「今日中にワルツ〈円舞曲〉だけでも習得させなければ。恥をかくのはわたくしです」

 足早に部屋に向いつつクレアは考えた。とにもかくにもステップは覚えさせなければ。ブレイク伯爵夫人の御足を蹴飛ばそうものなら、どれだけ笑われるだろう。

(ダンスに誘う際の礼儀作法も教えなければな)

 獣に芸を仕込む猛獣使いとはこんな気分なのだろうかと、失礼極まりないことを思いながら部屋のドアを開ける。一歩踏み入れた状態で、クレアの足が止まった。

「……クレア様?」

 レオノーレが声を掛ける。

「扉を閉めていただけますか」

 辛うじて残っていた理性がクレア王女の口調で指示する。だが維持はできそうになった。背後でレオノーレが扉を閉めた途端、クレアは猛然とベッドへ――間抜け面を晒して熟睡するジキルに進撃した。

「ク、クレア様っ」

 諌める声を振り切って、クレアはジキルの胸ぐらを掴んだ。

「この……っ!」

 が、クレアはふと視界に入った魔剣に手を止める。

 ジキルの腰に下がっている魔剣。その柄に嵌められている魔導石が、光を放っていたのだ。魔法が発動されている時と同じ現象だった。

 淡い光は程なくして消えたが、相変わらずジキルは眠ったまま、呑気な寝息を立てている。起きる気配は全くなかった。魔法が発動された形跡もない。

「クレア様、今日のところは休ませて差し上げたらいかがでしょうか」

「悠長にしている暇は」

「性急に進めて体得できるものでもございません。今晩はゆっくりお休みいただいて、疲れを癒した方が効率も良いかと存じます」

 クレアは掴んでいた胸ぐらを放した。乱暴な扱いを受けてもやはりジキルは夢の中。緊迫感の欠片もない様子に、クレアの苛立ちは募るばかりだ。

(余計なことをするからだ)

 不要な手土産を調達する暇があるなら、ステップの一つでも体得するべきだった。が、舞踏会のことを失念していたのはクレアも同じこと。ジキルは田舎者だとわかりきっていたのに――そう考えると、自分に全く落ち度がないとは言い切れなかった。

 クレアはチョーカーを外した。未だ眠りこけているジキルの右腕を掴んで、半身を起こす。抱きかかえた身体は思いの外細く、軽かった。

「クレオン様、何を……?」

 訝しむレオノーレにクレオンは憮然として答えた。

「こいつが風邪をひこうものなら、僕の立場はどうなる。目も当てられない」

 慌てて手を貸そうとするレオノーレを制して、ジキルの身体の向きを変え、ベッドに収まるように少し移動させる。幸いにもジキルは歳の割に小柄なので苦もなく作業は完了。男子にしては貧相な身体だと、クレオンは自分のことを棚に上げて思った。

 履いたままだった靴をレオノーレが手際よく脱がせる。

「……世話のかかる奴だ」

 ジキルに毛布を掛けて、クレオンはぼやいた。

「さようですね」

 同意しつつもレオノーレは上機嫌だった。優しく目を細めて、ジキルを見下ろす。慈愛に満ちた表情を向けるレオノーレから、クレオンは顔を背けた。認めたくはなかった。ジキルに嫉妬しているなどと。


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