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  (七)厳しいにわか教師

「あ」と言うのも遅い。ジキルの足が相手役のそれを踏みつけた。

 かろうじて続いていたステップが止まる。恐る恐る見上げた先には、不機嫌顔の王女様――ではなく王子様。

「鉄製の靴を履くべきだったな」

「ごめん」

 このやりとりも何度目だろう。七回目までは覚えていたのだが。

 クレオンは繋いでいたジキルの手を離し、深々とため息をついた。

「まったくなんてザマだ。ワルツ一つ満足に踊れないとは」

 面目次第もなかった。

 馬脚を現す前にと部屋に戻ったのが一時間ほど前。すぐさま女装を解いたクレオンはジキルにダンスの手ほどきを始めたが、一向に習得できる気配がない。

 とはいえ、教師としてのクレオンに不足があるとはジキルにも思えなかった。むしろ彼は優秀だった。特異な立場故に男性・女性用の各パートを体得しているので、ジキルに指導しつつ相手役をこなせるのだ。

 問題は、ジキルにあった。運動神経は悪くはない。持久力も集中力も平均よりはある。だがどういうわけか振りを覚えたり、音に合わせてリズムよくステップを踏むことができない。

「つまり、お前は絶望的なまでに音楽的センスがないということだ」

 にわか教師のクレオンはそう結論付けた。。

「でも、ほら一曲くらいなら誤魔化せそうじゃないか」

「僕が相手ならば、な」

 含みのある物言いだった。クレオンの目が意地悪く眇められる。

「ブレイク伯爵夫人が僕ほど上手くお前に合わせて踊れるとでも?」

 無理に決まっている。ジキルの頭に狐の尻尾のマフラーを誇示する伯爵夫人の姿が浮かんだ。舞踏の技術以前にブレイク伯爵夫人はジキルに配慮する必要がない。

「でも他の人と踊らなければ済むことじゃないか」

「主催家の夫人と踊るのは招かれた側の礼儀だ。二夜連続で誘いもしなかったとなれば、向こうは屈辱と受け止めるだろう」

 初耳だ。貴族の常識の奇怪さはさておき、いきなり上昇した難易度にジキルは口をあんぐりと開けた。

「誘うのか? 俺が?」

「お前以外に誰がいる」

「どうやって!?」

 悲鳴に近い声を上げるジキル。クレオンは不快げに眉を顰めた。

「挨拶して『一緒に踊っていだけますか』と訊ねるだけだ。そんなことですら今のお前では難しいだろうがな」

 一通りの礼儀作法は学んだが、こんな短期間で体得できているはずがない。だからこそ常にクレアのそばを離れないようにしているのに。

 クレオンは呆然とするジキルに右手を差し出した。

「事の深刻さをようやく理解したところで、練習を再開するぞ。時間が惜しい」

 が、いざ手を繋ごうとしたところでレオノーレが湯浴みの準備が整ったことを告げる。明日に本番を控える身では湯浴みをしないわけにもいかない。

「僕が戻るまでに足の運びだけでも体得しろ。ステップさえ覚えれば、あとはなんとかなる」

 念を押してクレオンは部屋を出ていった。

 扉が閉まった途端、ジキルはベッドの端にへたり込んだ。深く、息を吐く。身体が気怠い上に瞼がやけに重たかった。

 特に慌ただしくもなかったのになんでだろう。今日やったことと言えば、クレオンと合流して、他の貴族の方々に挨拶したことぐらいだ。夜会に出席したとはいえ、ほとんど相手にされていなかった。気疲れにしては疲労感が重い。

(あ、そうか)

 ブレイク伯爵と会った。社交辞令程度の言葉を交わした。たったそれだけのことがジキルにとって大きな負担になっていたのだ。

(幸せそうだった)

 資産家の令嬢を妻に迎え、国王の信頼も厚く領民からも慕われている。絵に描いたように裕福で優雅な生活だった。自分が過去に踏み躙った魔女なんて入り込む余地もない。

 ともすれば、考えることさえ億劫になってきた。

 一人で寝るには広過ぎるベッドに上半身を倒す。柔らかいクッションに頭が埋もれそうになった。

(ルルは、どこにいるんだろう)

 少しだけだ。ジキルは誰にともなく言い訳した。クレオンが戻ってくるまでの間だけ。

(はやくさがさ、ない……と……)


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