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  (六)路傍の石

「答えになっておりませんわ」

 なおも追及しようとするクレアだったが、主催者であるブレイク伯爵から声を掛けられてしまえば邪険にすることもできない。ご機嫌伺いにやってきた伯爵にクレアはそつなく応じた。王都にも劣らぬ豪華絢爛な会場設営を褒め、楽しんでいる旨を伝える。

「少々、熱気にあてられたもので」

 無論、婚約者と一緒に壁の花でいることの言い訳も忘れない。

 こうなってくるとジキルは完全にお飾り――どころか、いないも同然だった。ブレイク伯爵とクレアで高尚な会話をしている。賢明な判断だった。いくら王女の婚約者だとはいえ、ジキルは所詮、下賤な平民だ。政治的な実権も影響力もない。仮にこの場を離れたとしても、気付かれもしないだろう。路傍の石が一つ減ったところで気に留める者がいないのと同じように。

(そういえば、初めてだな)

 ジキルはブレイク伯爵の横顔を盗み見た。狩猟が趣味と言うだけあって精悍な顔立ちをしている。手の届くほどの距離に、母の仇がいることがジキルには不思議だった。

 彼がジキルに視線を向けたのは、猪を手土産に訪問した時くらいだ。あとはもうクレア王女の付属品扱い。まともに見ようとしていない。関心がないのだから当然だ。

 母の時もそうだったのだろう。ジキルには確信があった。ブレイク伯爵はジキルの母を覚えていない。見たことも、存在すら知らない。でも間違いなく、ブレイク伯爵が母を殺したのだ。

 感慨にふけるジキルを余所に、ブレイク伯爵はクレアとの談笑を終えて一礼した。主催者として挨拶しなければならない重鎮はたくさんいる。ご多忙なブレイク伯爵を見送ったクレアはジキルの方を向いた。

「ところで、あなたワルツ〈円舞曲〉は踊れますの?」

 ジキルは目を二、三瞬いた。意味を咀嚼すること数秒。大広間で華麗なステップを披露する紳士淑女の皆様を手で示した。

「ワルツ?」

「ええ、ワルツです」

 つまり男女一組でくるくる回っているあれ。認識してしまえば結論はすぐさま導き出された。

「無理、やったことない」

「……だと思いましたわ」

 ため息をつくクレア。もはや失望を通り越して呆れの境地だ。

「タンゴ〈舞踏曲〉ワルツ〈円舞曲〉セレナーデ〈夜想曲〉。せめてこの三つはそつなくこなすべきでしょうに」

「いや、あんまりやる機会がなかったもので」

「言い訳は結構です」クレアは広げた扇で口元を隠した「今日のところはわたくしの気分が乗らないということで、ダンスは全てお断りいたします」

 思いも掛けないクレアの言葉にジキルは目を見張った。これまでジキルの無作法を責めこそしたが、表立って配慮や協力などほとんどしてこなかったクレアが、だ。

「俺に遠慮しないで、踊ってきなよ。せっかくの舞踏会だし」

 その心遣いは嬉しいが、甘えることはできない。ジキルとしては気を利かせたつもりだった。しかしクレアの返答は素っ気なかった。

「遠慮などではありません。相変わらずおめでたい方ですこと。どこの国に、婚約者そっちのけで他の殿方と踊る淑女がいるのです? わたくしの見識が疑われますわ」

 つまりクレア=リム=レティスの体面に傷がつくのが問題なのであって、ジキルのことを慮ったわけではない。

「……そうだと思ったよ」

「ですが、明日はそうは参りません。前夜祭ならともかく式典の後の夜会でワルツの一つも踊らないとなれば、社交界において非常識との誹りは免れないでしょう」

「いまいち要領を得ないけど、要するに明日は仮病か何かで舞踏会には出席するなってこと?」

「何を消極的な。敵前逃亡など貴族の風上にも置けない愚行です。避けられない試練ならば挑むまで」

 軽快な音を立てて扇が閉じられる。クレアはまるで剣を扱うかのごとく鋭く、扇の切っ先をジキルに突き付けた。

「特訓あるのみ、ですわ」


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