(二)貧乏臭い婚約者
発端は非常に些細なことだった。
「お祝い事には猪肉を食べるんだ」
道中の馬車でジキルはそう語った。大橋完成記念式典の前夜に賓客達をもてなす晩餐会が催されることになっている、という話から始まった雑談だった。
「まあ、猪を?」
レオノーレは親しみのこもった笑みを見せた。
「みんな驚くんだけど、猪肉は結構美味しいよ。臭みもないし地方ではご馳走だ」
そういえば、こいつはレムラでも魔獣化していた猪を罠にかけていた。談笑するジキルとレオノーレを、クレオンは横目で見やった。
サディアスにもそうだが、ジキルはやたらと人懐こい。レオノーレと個人的に接する機会は少ないはずなのに、いつの間にか二人で意気投合している。長い付き合いであるクレオンだからこそわかった。侍従長という立場を抜きに、彼女はジキルとの会話を楽しんでいる。自分と接している時と同じくらいか、あるいは主従関係がない分、ジキルとは自分との時にはない気安さがあるかもしれない。
(僕なら、どうだろう)
仮に、自分が王子でなければ。レオノーレが自分付きの侍女でなければ。不意に浮かんだ考えをクレオンは一蹴した。
「くだらんな」
「何が?」
お喋りに興じていたはずのジキルが顔を覗き込む。胸の内だけで呟いていたつもりが、声に出してしまっていたらしい。クレオンは咄嗟に取り繕おうと言葉を探す。
「猪の肉なぞ食べられたものじゃない」
思案の末に出したはずの返答は、険のあるものだった。それでも引っ込めるわけにもいかず、クレオンはさらに並べ立てた。
「あんな臭い肉、煮ても焼いても食べられるか」
ジキルは虚を突かれた顔になる。次いで首を傾げた。
「そうかな。古い肉だと臭い時もあるけど、そんなにクセはないよ」
「あえて食べる価値はない。ましてや宴席に出すなど、牛肉がないと貧乏を誇示しているようなものだ」
「クレオンは猪肉を食べたことがあるのか?」
ジキルの質問に他意はない。わかっているのだが言外に世間知らずと言われているようでクレオンはますます苛立った。
「あるから言っているんだ。臭みを消すために香辛料を大量に入れて誤魔化したものをな。思い出しただけで吐き気がする」
「香辛料か……」何やら考え込んだジキルにクレオンは胡乱な眼差しを注いだ。
「パーセンに着いたら、せいぜい馬脚をあらわさないように気をつけることだな。お前一人なら全く構わんが、僕まで恥をかかされるのはごめんだ」
「う、うん。気をつける」
「間違っても猪肉だの田舎者丸出しの発言はするな。僕の品性まで疑われる」
「でもちゃんと処理すれば猪肉だって臭くないって」
「臭いはこの際問題じゃない。一国の王女の婚約者が猪肉にかぶりついている貧乏人だということが問題なんだ」
クレオンは鼻で笑った。
「もっとも貧乏臭さは香辛料程度では誤魔化せないだろうがな」
失言に気づいた時はもう遅い。言葉にこそしないがたしなめるようにこちらを見るレオノーレ。その向かいに座るジキルは居心地悪げに首の後ろに手を当てている。バツの悪さも手伝ってクレオンはそっぽを向いた。
気まずい沈黙がたいして広くもない空間を満たす。
「――そうだな」
唐突にジキルが呟いた。かと思ったら、古びた鞄を手繰り寄せて背負う。旅の必需品だと言っていた荷物だ。
「先にパーセンに行ってくれ」
「はあ?」クレオンは間の抜けた声をあげた「お前、一体何を」
「心配するな。式典には間に合うようにするから」
「質問に答えろ。いきなり何を言い出すんだ」
が、ジキルは曖昧に笑うだけで答えなかった。扉を開けて「じゃあな」と手を上げて挨拶。止める間もなくジキルは走行中の馬車から飛び降りた。
「じ、ジキル様っ!?」
レオノーレが血相を変えて、身を乗り出す。
「あいつは何をするつもりだ」
「私にはなんとも……」レオノーレは振り向いた「馬車を止めて探させましょうか?」
クレオンはしばし考えてから、どっかりと椅子に座り直した。
「放っておけ」
吐き捨てるように命じる。内心ではひたすらジキルの身勝手さを責め続けていた。そうすることでクレオンは先ほどの自分の失態から目を逸らした。




