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  (二)挙動不審な婚約者

 婚約者同士親睦を深めるための茶会は、三時にジキルの客室で開催されていた。二人きりのささやかなものだが、周囲には侍女達がお湯を交換したり、茶菓子を出したりと、どうも落ち着かない。

 ジキルは紅茶をすすった。最高級の茶葉を使って淹れたという、ありがたい紅茶のはずだが味がしなかった。窓から差し込む日の光を少し眩しいと思った瞬間には、すかさず侍女が薄いカーテンをひいて日差しを和らげる。下にも置かない扱いだ。だから落ち着かないのだとジキルは思い至った。

「いい天気だな。こんな日はちょっと遠出を」

「したいとは思いませんし、する必要性も感じません」

 にべもなく突っぱねるクレオンもとい、クレア王女。その視線は手元――どこぞの哲学者が書いたという文献だった。女性が読むにしては少々政治的過ぎる書物も、この王女だと日常茶飯事なのか。控えている侍女達は平然としていた。

 本日のクレア王女のお召し物は上品に仕立てられた女性用の礼服。フリルは少なく大人びた、落ち着いた色合いだった。首のチョーカーと相まって非常に似合っている。命が惜しいから本人には言わないでおくが。

「パーセンあたりに行けば、いいことがあるような気がするんだ」

 ジキルがなおも言うと、クレアはようやく書物から目を離した。いつものジキルならば最初に断られた時点で諦めている。食い下がることは今までなかった。

「根拠は?」

「俺の気分」

 クレアは書物に視線を戻した。反論する気も失せたらしい。

「パーセンに行きたいなあ」

 黙殺。しかしジキルは引き下がらなかった。

「パーセンに行かせてくれ」

 クレアは素知らぬ顔で読書を続行。先程よりも心なしか読み進める速度が落ちているような気がした。

「パーセンに行くといい」

 平静を装っているが、ページをめくる指が震えている。もう一息だとジキルは身を乗り出した。

「そうだ、パーセンに行こう」

 勢いよく書物が閉まる。顔を上げたクレアの目が怒りに閃いていた。

「……どうやら、あなたとはじっくりお話をする必要があるようですね」

 クレアが意味深な視線を周囲に巡らすと、侍女達は心得たように丁寧に礼をして部屋を出ていった。

 扉が閉じる音を聞いて、十分以上の時間が経ったところでクレアは首のチョーカーを外した。礼儀正しく揃えていた脚を崩し、さらには腕組み。不機嫌を露わにジキルを睥睨した。

「どういうつもりだ」

 打って変わって低い声。いつものクレオンだった。

「人払いしてくれてありがとう」

 そう仕向けたのはジキルだった。『クレア王女』のままでは高圧的な物言いはできても、表立って苛立つことも怒鳴ることもできない。わざとふざけたことを言って怒らせて『クレオン』になってもらった。これで、ようやく本題に入ることができる。

「さっきから何度も言っているが、俺はパーセンに行きたい。『暁の魔女』がそこに潜伏しているかもしれないんだ。適当な理由をつけて行かせてもらえないかな?」

 ジキルが王城に軟禁もとい滞在して三週間は経過しようとしている。今や、カスターニ伯爵といった主力の貴族の失った反現国王派は鳴りを潜めていた。まだ油断はできないが、今日明日で事態が急変するほど切羽詰まってもいない。

 クレオンは「無理だな」と断じた。

「いつ逃げ出すともわからないお前を陛下が自由にするわけがないだろう。監視役がいればまた違ってくるだろうが」

 ジキルはきょとんとした。クレオンの言っていることの意味をはかりかねたからだ。

「え、つまり……監視役がいればいいんだろ?」

「どこにその監視役がいる。カスターニ伯爵の一件でわかっただろう? 貴族といえども信用できる者は限られてくるんだ」

「うん。だからさ、一緒に行かないか」

 クレオンは何とも言えない表情を浮かべた。強いて言えば困惑。奇妙な生物を目の当たりにしたような顔だった。

「……僕が、か?」

「お前だったら国王陛下の信頼も厚いから、監視役にピッタリじゃないか。俺としてもクレオンと一緒の方が心強いし気兼ねなく動ける」

 よもや許婚同士が手に手を取り合って二人で逃避行するとは誰も思うまい。外遊だの視察だの適当な理由をつけてパーセンへの訪問許可を得ることぐらい、クレオンならば難しいことではない、と算段もつけていた。

「街道が整備されているから往来も結構楽だぞ。急速に発展している地域だから活気もある。たぶん楽しいと思う」

「勝手なことを言うな。どうして僕がお前なんぞのために骨を折らなければならない」

「利用しろと言ったのはクレオンじゃないか」

 婚約者でも同志でも友達でもないジキルとクレオンを結ぶのは利害関係だ。そう明言して憚らなかったのはクレオン自身だった。

「頼むよ、力を貸してくれ」

 両の手を合わせてジキルは頼んだ。自分の発言に覚えがあるのだろう、クレオンは無碍にしなかった。

「静養という名目があったとはいえ、休暇を取ってお前の故郷に旅行したばかりだ。城に戻ってすぐさま外遊には行けない。万が一にも『クレア王女』が、民の不安や怒りを煽るようなことをするわけにはいかないからな」

 否定的なことを言いながらもクレオンはしばらく思案にふけった。

「だが、視察という名目ならばあるいは許されるかもしれん。たしかパーセンはノト川を渡る大橋の完成を記念しての竣工式を行う予定だ」

 いいタイミングだ。国家転覆を目論む革命家ならば竣工式に派手な事件を起こすかもしれない。しかし『暁の魔女』は秘密結社だ。表立っては動かない。

(今度は何を企んでいるのやら)

 ジキルは妹の顔を思い浮かべた。記憶の妹は眉根を寄せて姉の薄情さに失望し、そして責めていた。三年前からずっとだ。

「国王陛下に掛けあってくれるか?」

 クレオンは半目になった。もったいぶっている、というよりは気が進まないようだ。ようやく得られた了承の返答も歯切れが悪い。

「……やってはみるが、約束はできない」

 嫌なら即座に断るクレオンにしてみれば、非常に珍しいことだった。


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