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  (一)もう一人の魔女

またまた海よりふかーい事情により四章(十二)を飛ばします。

 ジキルは白紙の便箋を前に唸った。

 高級紙の便箋は、検閲が入るのを条件に使用人に頼んで用意してもらったもの。が、交渉した甲斐もなく弟への手紙は遅々として進まない。少し書いては捨てての繰り返しだった。淹れてもらった香草茶は冷えて久しいのに、目の前の便箋は変わらない。くずかごに書き損じの手紙が増えているだけだった。

 はてさて、なんと説明したらよいものか。

 ジキルの悩みはこの一点に尽きた。

 クレア王女との婚約の噂はいずれレムラにも届き、弟の耳にも入るだろう。その前に手紙を送らなければロイスの逆鱗に触れる。いや、婚約を回避できなかった時点で怒りは免れないのだが、他人伝に聞くのと本人からの自己申告とでは心象にかなり差が出る。弁明も兼ねて手紙は早々に送るべきだ。

「よし」

 ジキルは意気込んで再び手紙をしたためた。

『前略、私は今王城でこの手紙を書いています』

 無難な出だしだ。ジキルはペンを進めた。

『既に聞き及んでいるかもしれませんが、この度私は畏れ多くもリーファン王国第三王女クレア=リム=レティス殿下と婚約することと相成りました。ここに深くお詫び申し上げます』

 筆が止まる。何かがおかしいような気がした。これではまるで不祥事を起こしたみたいではないか。検閲されたら、いらぬ誤解を招きかねない。ジキルは『ここに深くお詫び申し上げます』のくだりに二重線をひいた。

『これはクレア王女ともよく話し合った末に決めたことです。色々ご迷惑をお掛けしてますが、どうがご心配なさらないでください』

 実際は国王に押し進められただけなのだが、ここで書くわけにはいくまい。詳細は直接会って話そう。ジキルは『できるだけ早く帰るようにします』と書き加えた。

 とはいえ、この軟禁状態がいつまで続くのかは現状ではわからなかった。せめて半年以内に解放されればいいのだが。その前に、短気なロイスの堪忍袋の緒が切れる可能性は十二分にあった。念のためクギはさしておこう。ジキルはペンを取り『くれぐれも――

「くれぐれも余計なことをして私の足を引っ張らないように」

 ジキルは顔を上げた。声のした方をぎこちなく向く。

「他人の手紙を覗き見てはいけませんって、母親から教わらなかったのか」

 言外に無礼を責めると、そいつは「どうだったろう。覚えていないな」と肩を竦めた。

「なにぶん千年も昔のことだ」

 絵空事をさらりと告げる。本気とも冗談ともつかない顔は、ジキルに酷似していた。

 酷似というのも適当ではない。全く同じ造りをしていた。顔だけでなく、声、体格、身に纏う服までもが同じ。浮かべる表情が違うから、かろうじて別個の存在と認識できた。

「久しぶりの白昼夢だな」

「何度も言っているが、これは幻覚であって、君が頭の中で描いた夢でも妄想でもない。このやりとりもいい加減飽きてきた。そろそろ信じたらどうだい」

「幻覚の言うことを?」

「ああ、そうとも」

 冗談めかした問いに『ジキル』は大真面目な顔で頷いた。

「この姿は幻だ。でも私という意思は確かに存在している。今、君と言葉を交わしている」

 呼んでもいないのに現れ、自己主張する。なんとも生意気な幻覚だな、とジキルは思った。

「で、ノエルだっけ? 今度は何の用だ」

 初対面の時に『ジキル』はそう名乗った。

 魔剣ノエルと同じ名。ただの偶然と断じられるのは相当におめでたい奴。魔剣に埋め込まれている魔導石が意思を持ち喋っている、と考えるのは想像力たくましい輩。

 ジキルは隠れ三番目、故意にノエルという偽名を挙げている、と思っている現実主義者だった。

「相変わらず懐疑的だな」

 幻覚にそんなことを言われる筋合いはない。

「用は?」

「それにせっかちだ。人間というのはみんな、君みたいに生き急ぐものなのか」

「知らないよ。他の人に訊いてみたら?」

「考えておくよ」

 自称ノエルは適当に話を切り上げた。

「そんなことよりも本題に入ろう。つい先ほど魔導石の発動を感知した。君の妹のものだ」

「この前はそれでオルブライトと戦う羽目になったんじゃなかったっけ? 結局、ルルはいなかった。それどころか手がかり一つ掴めなかった」

 どうしても恨みがましく言ってしまうのは、この軟禁状態もクレア王女との婚約も、元をただせばこの自称ノエルの言葉を鵜呑みにしたせいだったからだ。

「君の妹はオルブライトの元へ行った。これは確かだ。おそらく、訪れたはよいもののオルブライトの魔導石が、大きさの割にあまり魔力が出力できないことに気づいて、何もしないで離れたんだろうな」

「行く前に言ってほしかったよ、その見解」

 馬鹿正直にオルブライトに挑んだジキルは骨折り損のくたびれもうけだ。

「でも今回は信憑性があると思う」

 パーセン。自称ノエルが挙げた名は、比較的新しい町の名だった。マクレティ家の者ならば忘れようのない名でもあった。

 ジキルは胸の奥が冷えていくのを感じた。なるほど。パーセンならばルルがいてもおかしくはない。心当たりは十分以上にあった。妹捜しの旅に出る時、ジキルが最初に足を運んだのもパーセンだった。

「でも、どうして今さら」

「そこまではわからない。何度も言うが反応があったのはつい先ほどだ。今から向かえば、間に合うかもしれない」

 甘い餌で興味を引いておきながら、最終的な判断はジキルに委ねる。それが、この幻覚が信用できない理由の一つだった。

「ご親切にどうも」

「どういたしまして」

「ただ理由のない親切は警戒した方がいいって、最近教わったんだ」

 自称ノエルは事もなげに言った。

「理由ならある。死なれては困るからな。君が必要だ」

「へー」

 早々に興味を失ったジキルは新たな便箋を取り出してペンを走らせた。

「言っておくが本当だぞ。君は百年に一人の逸材だ。君だけが我々の望みを叶えることができる」

「そうなんだ」

 ひたすらに弟への手紙制作に精を出す。先ほどと大体同じ文面ができた。変な妨害も入っていることだし、このくらいで終わりにしておいた方がいいかもしれない。したためた手紙を折りたたんで封筒に入れるジキルを、自称ノエルはつまらなさそうに見た。

「信じてないな」

「うん。全く」

「どうして? こうして面と向かって話までしているのに」

 愚問だ。自分と同じ顔をしている者が自分のことを褒め讃えている。こんなにいたたまれない状況が他にあるだろうか。

「百歩譲って君の存在を認めたとしても、信用はできない」

 ジキルはペン先を自称ノエルに突きつけた。

「男が安易に言う『君だけだ』は九分九厘嘘だと、母さんが言ってた」

 この幻覚が言うことには全て責任が伴っていない。自称ノエルの言う通りパーセンに向かって無駄骨になったとしても、損をするのはジキル。彼がおだてた結果ジキルが有頂天になって失敗しても、害を被るのはジキルだけだ。

 自称ノエルは虚をつかれた顔になり、次に小さく吹き出した。

「おやおや、とんだところに伏兵がいたようだな」

「これでも夫婦の修羅場を目の当たりにしたことがあるもので」

 母親の教訓は現実味を帯びていた。父との一件はジキルに少なからず影響を与えた。男性不信とまではいかないが、いつも心のどこかで他人を疑ってしまう。全面的に信じることができない。初対面の人だろうと、親しい人だろうと、弟に対してさえも。

「まあ……好きにしたらいい。極力危険なことはしないでほしいが、言っても聞くような君でもない」

 自称ノエルは断りもなく部屋の窓を開けた。風を感じるのに彼の髪も服もはためかない。現実にはあらざるものであることを否応なしに認識させられる。

「では、いずれまた」

 ジキルの見ている前で幻覚は消えた。文字通り、跡形もなく。ともすれば、今までのやりとりは白昼夢ではないかと思わせる。

(さて、どうしたものか)

 結論は出ていた。必要なのは実行するだけの気概と覚悟だ。方法も考えなくてはならない。この軟禁状態からどうやって脱するか。

 弟宛の手紙が風にそよぐ。しばしの逡巡の後、ジキルは再びペンを手に取った。ロイスに報告することが増えた。

『ルルの手がかりを掴みました。あまり信憑性はありませんが、パーセンへ行きます』


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