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  (九)したたかな裏切り者

海よりもふかーい事情により(八)は後で追加します。

 クレア=リム=レティスとジキル=マクレティの婚約式は、直系の王族と大臣以下数名の貴族代表の立ち会いの元、執り行われた。

 ジキルの纏う儀礼衣は、この日のために特注されたものだった。リーファン王国の軍服と基本的には同じ意匠ではあるが、魔導石を織り込んだ最高級の絹をふんだんに使った豪華なもの。胸元や袖口に施された炎を思わせる刺繍も精巧なもので一つの芸術作品のような礼服だった。一ヵ月近くかけて大急ぎで作ったらしい。

 一ヵ月前といえばダニエル国王からクレア王女との婚約話を持ちかけられたのとほぼ同次期。用意周到さにジキルは戦慄した。

(本当に大丈夫なのか……?)

 クレオン曰く、婚約はあくまでも名目であり、当日は式どころではなくなる。式を期に謀反を企てている者が襲いかかってくるからだ。いわゆる身内だけでひっそりと行うため、警備も必要最低限となる。国王を狙う絶好の機会だ。

 しかし、それこそクレオンの狙い。現行犯で反逆者を捕らえ、一味もろとも一網打尽にする。そのように手はずは整えているという。

(本当に襲ってくるんだろうな)

 やけに強気にクレオンは「間違いない」と断言していた。が、根拠までは言ってはくれなかった。誰が謀反人であるかさえも――もっとも、名前を挙げられたところでジキルの知っている貴族であるかどうか怪しいが。

(だからあっさり婚約を承諾したのか)

 納得した。自分はクレオンに利用されたということも、理解した。今さら怒りはわいてこなかった。ここまできてしまえば、ジキルにできることは計画が成功することを祈るのみだ。

 儀式場となる謁見の間に現れたクレオンもといクレアは、罪なほど美しかった。艶やかな黒髪に編み込まれた宝石が、夜空の星のごとく煌めく。透き通るような象牙の肌。紫紺のドレスは一見地味ではあるが、細い身体の線を強調する。長い睫毛の下には、紫水晶を思わせる双眸があった。

 本人には口が裂けても言えないが、男に生まれたのが間違いのような気がしてきた。言葉を失って立ち竦んでいたジキルだが、傍に控えていたサディアスに肘でつつかれて我に返った。

 立ち会い人である王族を始めとする貴族一同は王座に向かって左右に整列している。その中にはカスターニ伯爵の姿もあった。王女の婚約者の地位をかっさわれる結果となった伯爵だが、ジキルを見る目には何の感慨も浮かんでいない。

 玉座におわすダニエル国王陛下の前に二人揃って平伏する。ダニエル国王の許しを得て、婚約の書面にサイン。本来ならば花婿が国王に婚約書を差し出す役を担うのだが、ジキルは入り婿。王族であるクレアが書面を手に玉座へ続くきざはしを上る。

 ダニエル国王が王座から立ち上がった――その瞬間、参列者の中から十数人が動いた。それぞれ隠し持っていた武器を手にある者は玉座へ、ある者は出入口を押さえる。玉座の間は、にわかに騒ぎ立った。

「そこまでです、カスターニ伯爵」

 凛とした声が場を制止させた。クレアはダニエル国王を守るようにして、王座の前に立ちはだかる。

 ジキルは魔剣ノエルを抜くのも忘れて立ち尽くした。長剣を手に真っ先にきざはしに走ったのは、カスターニ伯爵だったのだ。

 一瞬の動揺の間に、死角に潜んでいた近衛兵達が姿を現し、想定外の事態に立ち竦む反逆者達を取り押さえる。

「な、これは、どういう……」

 カスターニ伯爵は狼狽し、周囲を見渡した。あっという間に仲間は全て近衛兵に斬り捨てられ、あるいは取り押さえられて彼は孤立無援。

「まさか、クレア様」

「愚かな伯爵殿」歌うように、嘲るように、クレアは告げた「何故わたくしに謀反の話を持ちかけたりなどしたのです? わたくしもレティス王家の一員だというのに」

 悟るには十分だった。青ざめていたカスターニ伯爵の顔がみるみるうちに紅潮した。

「裏切るおつもりですか!? 長年誠心誠意をもってお仕えしたこの私を!」

 クレアは端整な顔に酷薄な笑みを張りつかせた。

「裏切るとは心外です。わたくしはダニエル国王陛下の臣下。主人の主君ならば、あなたも尽くすべきだったのでは?」

 王座につくダニエル国王は目を剥いていた。すぐさま警護態勢に入った近衛兵達に周囲を守られながらも、食い入るようにカスターニ伯爵とクレアを見る。その顔はわずかに青ざめていた。

「クレア、貴様……っ! 私を唆し、陥れるとは、なんと卑劣な!」

 射殺さんばかりにカスターニ伯爵はクレアを睨んだ。

「この魔女め、地獄の業火に焼かれるがいい!」

 怨嗟の声をあげるカスターニ伯爵をクレアは冷然と見下ろした。

 途端、威勢良く叫んでいたカスターニ伯爵がぴたりと動きを止めた。小刻みに震える唇。握りしめた手のひらに爪が食い込むのも気づいていないのだろう。カスターニ伯爵は蛇に睨まれたかのように固まった。視線を逸らすこともできず、ただクレアを凝視した。

「く、クレア」

「『様』を付けなさい」クレアは言い捨てた「無礼にも程があってよ」

「きっさまあぁあああっ!」

 恥辱に頬が紅潮。カスターニ伯爵は剣を抜き放ち、猛然とクレアへ突進した。捨て身の攻撃。だがクレアはその動きを予測していた。

 隠し持っていた細身の剣で刃を受けとめると、やすやすと弾き飛ばした。得物を失ったカスターニ伯爵は後退り、赤い絨毯の上に転んだ。

「伯爵にはずいぶんとお世話になりましたわ」

 クレアは抜き身の剣をさげたまま、伯爵へと歩み寄る。ゆっくりとした足取りだった。

「これは、せめてもの礼です」

 刃が閃く。その前にジキルは二人の間に割って入った。カスターニ伯爵を背にして庇う。

「やめろ。もう十分だ」

「おどきなさい。ジキル=マクレティ」

 ジキルは首を横に振った。

「命まで奪う必要がありますか?」

「禍根は断たねばなりません。王家の反逆者には相応の罰を。王国の秩序を守るためにも必要な処置です」

 間違ってはいない。周囲への示しは必要だ。誰も彼もを寛大に赦していたら、誰も法を守らなくなる。国王の命を狙うとは国家転覆にもなりかねない大罪――なおさら許すわけにはいかない。

 しかし、だからといって「はい。どうぞ」と譲るわけにもいかなかった。

「血も涙もないわけではありますまい。せめて情けを。もしかしたら他に仲間がいるかもしれません」

 途端、クレアの顔に酷く残忍な色が浮かぶ。

「つまりあなたは、カスターニ伯爵をなぶり殺しにしろと言うのですね」

「な……っ! ち、違います。どうしてそんな」

「何が違うのですか。仲間を吐かせるためには拷問する他ないでしょう。仮にカスターニ伯爵が素直に自白したとしても、真偽を見極めるには取り調べる必要があります」

 クレアは淡々と言った。

「眠る暇も与えられないまま数週間にも及ぶ取り調べの次は裁判です。王国中のさらし者にされ、これまでの企てを全て暴露され裁かれる。そして最後は民衆の前で公開処刑。一国の王に反旗を翻した者の末路を盛大に知らしめる――あなたの言う『情け』とは、そういうことです」

 クレアの目が細まる。無知で愚かなジキルを哀れむかのように。

「意味のない苦痛と屈辱を味わせるくらいならば、この場で全て終わりにして差し上げるのが慈悲では?」

 ジキルは言葉を失った。背後でカスターニ伯爵が短く息を飲んだのが聞こえた。同じ貴族である彼にはクレアの言う『末路』がわかるのだろう。それゆえに絶望。茫然自失となり虚空を眺める様は、まるで死人のようだった。

「もっとも、わたくしがカスターニ伯爵を成敗するのは慈悲などといった情ではなく合理性ゆえですが」

「合理性?」

「死にゆく者に裁判など無駄です」

 クレアの宣告は恐ろしいくらい無機質だった。死神と相対したような錯覚さえ抱かせる。

 ジキルが動けなくなった間に、カスターニ伯爵はサディアスに捕らえられた。茫然自失となったカスターニ伯爵が引きずられていくのを見送り、クレアは呟いた。

「わたくしに計画を話しさえしなければ、この場は成功したでしょうに、お可哀想なこと」


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