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  (二)出来のいい弟

 リーファン王国の東、南北にそびえるレムレス山脈の麓にレムラという町はある。

 気候は穏やかで比較的涼しい。それ故に周辺には避暑地として別荘を構える貴族が多く、彼らが落とす金は町の貴重な収入源となる。これといった娯楽も特徴もない町が、町としての体裁を保っていられるのは、ほどよく田舎で、それでいてほどよく利便さを保っているからだろう。

 そんなのどかな町レムラの商店街の一角に食堂『にくきゅう』はあった。

「ありえん」

 ジキルはカウンターに突っ伏した。丁寧に磨かれた木はひんやりと冷たく頬に心地良い。このまま何もかも忘れて眠ってしまいたくなる。

「久しぶりに帰ってきたと思ったらなんですか」

 呆れを隠そうともせずにロイス=マクレティはマグカップを磨く。慣れた手つきだった。聞けば、この食堂に来て最初に教わったことが、食器を洗い磨くことだったらしい。

 マクレティ家では珍しい質素堅実を掲げて生きるロイスは、ジキルと同じ年に生まれた。幼い時は一緒に野山を駆けたりしたものだった。やがてお互いに成長し、母が亡くなって計画性とは無縁の旅に出たジキルとは対照的に、彼は町の食堂に下働きとして就職した。こつこつと皿洗いから初めて六年目。今では店の一つを任されるほどの実力と信頼を得た。

「よかったじゃないですか。相手は王族。逆玉ですよ」

 それで慰めているつもりなのか。ジキルは頭をカウンターに乗せたまま首だけを動かして薄情な弟を睨んだ。髪や目の色は全く同じ。顔の造形も柔らかく、ジキルとは短く切った髪ぐらいの違いしかない。それでも精悍な印象を受けるのは、おそらく彼が正真正銘の男だからだろう。自分とは違って。

「女と結婚できるか」

 店内に人気はなかった。開店前なのだから当然のことなのだが、誰かに聞かれる心配もないのでジキルは気兼ねなく弟と話ができる。悪態もつける。相談もできる。

「できますよ『魔獣狩りのジキル』なら」

 何気なさを装いながらも僅かに含まれたトゲに、ジキルは反応を示した。顔を上げてロイスを真正面から見る。何事もないように装ってはいるが、いつになく突き放した物言い。何よりも拗ねた時にコップを磨くのは幼い頃からの彼の癖だった。

「三ヶ月、だったかな?」

「六ヶ月です。世間ではそれを半年と言います」

 的確かつ嫌味な訂正。機嫌が悪い原因は早々に判明した。思えば、旅に出る時にこの弟は一言でもいいから手紙を送れと言っていた、ような気がする。なにぶん半年前なので記憶も曖昧だ。

「ごめん」

 ジキルはすぐさま謝罪した。百の言い訳よりも有効な手だった。

「旅に出るなとは言いませんが、便り一つ寄こさないのは人間としてどうかと思いますよ。おかげで耳にするのは風の噂だけ。しかも物騒な話ばかり。やっと帰ってきたら許嫁なんて笑えもしない冗談まで連れて来るし……兄さんにとっての僕の存在価値を疑いますね」

 ひとしきり文句を言って気が済んだのか。ロイスはホットココアを出して「……で、どうしてそんな珍妙極まりない事態になったんですか?」と相談に乗る姿勢に入った。

「竜を倒した褒美だってさ」

「ありがた迷惑ですね。兄さんもさっさと断ればいいものを」

 簡単に言ってくれるが相手は一国の王である。偉いのである。ジキルはココアをすすった。

「断るにしても理由がないと。それこそ相手は王族なんだし」

「将来を誓った相手がいるとか適当につくろって誤魔化せなかったんですか?」

「やらなければならないことがあるから、結婚とかはとても考えられない旨は言ったんだけどな」

 その結果が婚約。ひとまず親睦を深めるべくジキルの故郷へクレア王女も行くことに。療養を兼ねているとはいえ、ここまで譲歩されてしまえば一介の平民に過ぎないジキルに断れるはずもなかった。

 王都から街道を使って馬車で移動。本来ならば馬で二日程度の距離だが、クレア王女の体調や諸々の準備もあって、結局故郷に着いたのはダニエル国王と話をしてから一週間後だった。その間、ジキルは一度もクレアと顔を合わせていなかった。ジキルが積極的に会おうとしなかったのもあるし、仮に自ら出向こうと彼女は会ってくれなさそうな気がした。

 クレア王女付きの侍女曰く「人見知りする内気な方」だそうだ。幼い頃に父を失い、ほどなくして母を失った境遇を考えればそうなって仕方ない。が、腑に落ちない点が一つある。

(初対面の時は全然物怖じしていなかったよな?)

 人見知りで内気な王女様が、助けに来た者に向かって「遅い」だの「無駄な時間を過ごした」だの文句を言うだろうか。クレア王女の人物像がいまだにジキルは掴めなかった。

 親交を深めるきっかけもなく故郷に到着した一行は、町の外れにある別荘に居を構えた。そして手持無沙汰となったジキルは侍従長に断ってから町に赴き、久しぶりの帰宅を果たしたというわけだった。

「不治の病」

「宮廷付きの医師に診断されたら一発でバレる」

「魔女の呪い」

「どんな? 実際のところ俺は呪われているどころか加護を受けてる」

「打つ手ありませんね。いっそのこと本当の理由を……言ったら冗談抜きで殺されますか」

 八方手詰まり。ジキルは肩を落とした。

「どうしよう。本人には嫌われているみたいだし……」

「嫌われているんですか?」

 コップを磨いていたロイスの手が止まった。

「好かれてはいないだろうね。婚約話が出てから一度もまともに会話していないから、初対面で文句言われた覚えしかない」

 最初はクレア王女の傲慢な態度に困惑した。が、今思えばジキルが前触れもなくやってくるまで彼女はずっと死の恐怖と戦っていたのだ。助かった途端、今までの葛藤や覚悟は一体何だったのだと腹立たしく思うのも無理はなかった。

「だったら、諦めるにはまだ早いかもしれませんよ」

 ロイスは必要以上に磨き抜いたマグカップを棚に戻すとカウンターに手をついた。

「何も婚約破棄をこちらからすることはないでしょう。相手に断らせればいい」

「国王陛下がこの話を進めてきたんだぞ? 今さら撤回させられないだろ」

「婚約したクレア王女本人が嫌がったら話は別です。気のない二人に無理強いしてまでの価値がある婚姻とは思えません。傍から見た兄さんは、家庭的とも政治的とも言えない――それどころか自分の将来設計すらまともにできない、ただの放浪者ですから」

「そこまで言うか」

「否定できる根拠があるならどうぞ」

 涼しい顔でロイスは言ってのけた。

「とにかく、一介の魔女狩りが騒ぐよりも王族であるクレア様ご本人に動いていただいた方がよっぽど大事になるでしょう」

「でも、クレア王女がこっちの頼みを聞いてくれるかな?」

「何をそんな甘っちょろいことを言っているんですか」

 心底呆れたように言うと、ロイスは腰に手を当てた。

「嫌われて婚約破棄させるんですよ、徹底的に! 心の底から! いっそあのまま竜に食べられていた方がマシだったと思われるくらいにクレア王女に嫌われればいい」

「……それって好かれるより大変だぞ」

 拳を握って力説するロイスはジキルの呟きなんぞ耳にも入らない。

「そうと決まれば徹底的に嫌われる方法を模索しましょう。母さんの本で使える薬はないか探しておきますから、兄さんはクレア王女に関する情報をできるだけ集めて下さい。敵を知らなければ攻略もできませんからね」

「お前なあ、」

「いいですか兄さん」ロイスはジキルの眼前に人差し指を立てた「このままクレア様と婚姻することにでもなったら、兄さんが女だってことはすぐにバレてしまいます。そうなれば当然、隠していた理由も明らかになるでしょう。すなわちそれは、破滅です。生き残るためにはクレア様に嫌われるしかありません」

 もっと他にも手はありそうな気もするのだが、ジキルは反論の言葉を呑み込んだ。こうなった弟には何を言っても通用しない。聡明で冷静なロイスだが、一度思い込んだらどこまでも突き進む困った性癖があった。生まれた時から一緒なのでジキルはロイスのことをよく理解していた。同時に、自分が他人の好悪を操作できるほど器用でもないことを、ジキルは知っていた。魔法が使える者とそうでない者がいるのと同じように、人には誰しも向き不向きがある。

「まあ、努力するよ」

 ジキルは席を立った。クレア王女に嫌われるため――ではない。断じて。店を出ようとしたところでロイスが「……あ」と僅かな声を漏らした。

「どうかしたか?」

「いえ、何でも――」

 否定しかけて、ロイスは一度口を閉ざした。やがて意を決したように訊ねる。

「今回はいつまで?」

 意外な質問にジキルは軽く目を見張った。それでも一応予定としては決まっていたので、返答はよどみなくできた。

「一週間くらいかな」

 厄介なものが付随しているとはいえ、せっかくの帰郷であることには変わりない。さしあたって魔女の心当たりもない以上、しばらくはのんびりするつもりだった。

 でも、弟が本当に訊きたいのはそんなことではないのだ。ジキルは小さく肩を竦めた。

「今度旅に出る時はちゃんと言うよ、約束する」

 ロイスは頷いた。どことなく満足気な表情なのはジキルの見間違いではないのだろう。不覚にも失念していた。これでもロイスは、とても寂しがり屋だということを。


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