(四)発想がまるで違うお金持ち
カスターニ伯爵と小一時間話した後、クレアは召し物を変えた。今度はカツラなどの余計なものを全て外して軍服を身に纏う。愛用の魔剣を腰に差せば、クレアはクレオンになる。
物言いたげなレオノーレを自室に残して、城の中へ入る。大抵のことならば彼女の意見を聞いてきたクレオンだったが、今回に限っては誰の指図も助言も受け入れる気はなかった。
客室を訪ねるもジキルは不在。やむなく城内を回ることになったクレオンは胸中で間の悪い田舎者に罵倒の言葉を吐いていた。役に立たないのならば、せめて煩わせるような真似をするな。大人しく部屋に籠っていればいいものを。どこまでお気楽なのだろう。
目当てのジキルを発見したのは、食堂等へと続く廊下の途中だった。彼はサディアスと談笑していた。いつになく楽しそうだった。故郷を離れて以来、ジキルの屈託のない笑顔は見ていない――たぶん、見ていたら苛立っていただろう。あのしまりのない、能天気なへらへら笑いはクレオンの癇に触る。現に今、サディアスと親しげに話をするジキルを前にして、クレオンは小さく舌打ちした。
(あの馬鹿、尻尾を振り過ぎだ)
いくら王都帰還の際に世話になったとはいえ、親しくする必要なんてない。
「お、クレオンじゃないか」
姿を認めたサディアスが軽く手をあげる。クレオンは一つ息を吐いて、渋々二人に歩み寄った。
「こんなところで何をやっている」
「ちょっと親睦を深めてた」
ジキルは悪びれもせずに答えた。挙句「クレオンも一緒にどうだ?」と誘ってくるのだからクレオンの神経はますます逆なでされる。どこまでも呑気なジキルが許し難かった。
「結構だ。髪も整えずに人前に出るような、みっともない奴と親しくしている暇はない」
指摘されてようやくジキルはおろしたままの髪に気付いたのだろう。束ねもせずに下ろしただけの金髪は、乾くにつれて好き勝手な方向に跳ねはじめていた。
「梳かして結ばないとなー……」
気が進まないようだ。もっと端的に言えば面倒がっている。クレオンは呆れてものがいえなくなった。たかが後ろの尻尾髪を三編みにするだけの作業を何故惜むのだろう。大して他にやることがあるわけでもないのに。
「そういえばクレオン、一つお願いがあるんだ」ジキルは顔の前で両の手を合わせた「あのコート、返してもらってもいいかな?」
「あのコート?」
クレオンが訊ね返すと、そこでようやくジキルは察して言い直した。
「山から降りる際、クレア様に外套をお貸ししたんだ。返してもらう機会がなくてさ」
同行していなかったクレオン=ベリィレイトが、ジキルのコートについて知るはずがない。こんな察しの悪い奴に正体を明かしてしまったことを、クレオンは早くも後悔した。
コートのことなら覚えている。古くて裾が裂けていて汚い外套。おかげでクレアは大恥をかいた。自室に戻って、湯浴みをする際に脱ぎ捨てた。そしてレオノーレが――
クレオンは嫌な汗が背筋をつたうのを感じた。
処分しろと指示したのは湯浴みに入る前、手際のよいレオノーレならばすぐさまに捨ててしまうだろう。主であるクレオンがそう指示したのだから、当然だ。
「おまえ、あんな酷いコートしか持っていないのか」
国王陛下から報奨金はたっぷりもらっていた。もっと上質なコートを数十着買えるくらいの額だったはず。無情にもジキルはあっさりと言った。
「ほとんどロイスに預けた。コートはたしかに古いけど、洗って繕えばまだ着れるからさ」
この貧乏人めが。内心で悪態をついても事態は一向に解決されなかった。十中八九、すでに処分されている。洗っても繕ってもどうにもならない状態になっていることだろう。正直に言えばいいのだが、負い目を抱くのは嫌だった。少しでもジキルが自分に対して優位に立つのが許せない。
「クレオン、コートを見かけたのか?」
「先ほどクレア王女の元へ行ったからな。見慣れない古いコートがあったような気がする」
クレオンは澄ました顔で答えた。嘘は言っていない。先ほどまで離塔にいた。古いコートも見た。着ていた。そして捨てるように指示した。
「そんなことよりも、今夜は会議が長引くため先に晩餐をいただいておくよう、陛下が仰せだ。さっさと食べて備えろ」
釈然としないようではあったが、ジキルは引き下がった。思い直して何かを言われる前に、クレオンは自室に戻ることにした。まだ間に合うだろうか。はやる心を押さえつけて、表面上は冷静を装う。
「クレオン」
「なんだ」
呼び止めたのはサディアスだった。
「大したことじゃない」サディアスは若干言葉を濁した「忙しいとは思うが、さっきジキルが言っていたコート、探してやってくれ」
クレオンは愁眉を寄せた。何故サディアスにそんなことを言われなくてはならないのか、まったく理解できなかった。いつの間にそこまで仲が良くなったのだろう。
了承の返事をしながらもクレオンは内心で吐き捨てた。
(馬鹿馬鹿しい)
たかが古い外套ではないか。新しいものを買えばそれで済むことだ。




