(二)珍しくも良い貴族
ジキルが通されたのは客室だった。豪華な調度品が並べられた部屋は『にくきゅう』ほどの広さがあった。クッションのよくきいたソファーの座り心地が懐かしい。ガラス開きのついた棚には高価なワインやブランデーがこれまた整然と並べてある。ロイスが見たら喜びそうな光景だ。
「またこの部屋か」
城に滞在もとい軟禁されていた記憶は新しい。隣には無駄に広い寝室があることもジキルは知っていた。荷物を下ろして一息ついていたら、使用人が扉を軽く叩いた。
「湯浴みの準備が整いました」
国王陛下と会うのにこんな汚らしい格好では困るという配慮だろう。いかにも貴族らしい発想だった。ジキルは案内されるまま浴室へと向かった。手伝おうとする使用人はいない。以前にジキルが断ったからだ。
自分の身体を洗っていると、右足に痛みが走った。固まりかけていたかさぶたが剥がれ傷口が少し開いたのだろう。あとでちゃんと手当てをしておかねば。
湯からあがる頃には肌着を含めた礼装一式が用意され置かれていた。無論、男性用の、だ。ジキルは持参した布を胸に巻いて、上から服を着た。髪は適当に拭いてそのままおろしておく。帯刀は許されているので堂々と腰に魔剣ノエルをぶらさげる。これでよし。
「ジキル様」
部屋に戻る途中で、声を掛けられた。振り向けば、サディアスがはにかみながら歩み寄ってきていた。ジキルは小さく会釈した。
「これから謁見ですか?」
「まだ会議があるとかで、おそらく夜になるとか」
立場上多忙なのはわかるが、こっちだって命からがら帰還したのだから、出迎えくらいはしてくれてもいいような気がした。貴族の感覚は庶民とはやはり違う。
「あの……その『ジキル様』というのは、やめていただけませんか? 敬語もちょっと。俺の方が年下なのに、なんか変だし、落ち着かないというか」
他の貴族ならば特に違和感も覚えなかった。しかしサディアスのように同年代で親近感を抱いている相手にかしこまれると、ジキルはなんだかいたたまれなくなる。
「ではジキル殿」
「呼び捨てでお願いします」
サディアスは笑って「ジキル」と呼んだ。
「俺のことも呼び捨てでいい。敬語もなしにしてくれ。それでお互い様だろ?」
「わかりました」
言われたそばからこれだ。ジキルは肩を竦めた。
「わかったよ、サディアス」
顔を見合わせ二人して笑った。思えば故郷以外でこんな和やかな気分になれるのは、久しぶりだ。
ジキルの予想通り、サディアスは近衛兵連隊長だった。ただし彼は第一王子ギデオン付き。たまたまギデオン王子の狩猟のお供で町を訪れていた時に、クレア王女の襲撃事件を聞きつけて捜していたのだという。
「ここだけの話、ギデオン様はクレア様にご執心のご様子で」
悪戯をこっそり自慢するような軽い調子でサディアスは爆弾発言をかました。
「え……」
「まあ城にいる者ならみんな知っていることだ」
「ご執心って……つまり、ギデオン王子が、く、クレアを」
「好きだってこと。ご本人様は隠しているつもりだろうけど、たぶんクレア様も気づいているだろうな」
ジキルはあいた口が塞がらなかった。従弟同士での結婚は珍しいが、ないわけではない。王族だから結婚相手を自由に決められないだろうが――そんなことよりも、現実問題として。
(クレアは男じゃないか……っ!)
なんたる悲恋。しかもちょっと間が抜けている。クレア、おまえ一体どうするつもりだ。
「そういう事情もあって、急遽クレア王女の捜索にあたったというわけだ」
ジキルは礼がまだだったことを思い出した。事情がどうであれ、そのおかげで助かったのは事実。こうして無事に城に戻ることができた。
「その節はどうもありがとうございました」
「気にすることはない。それが近衛兵の仕事だ」
王子様の恋模様にまで振り回されるとは大変な仕事だ。ジキルには絶対に務まらない。想像しただけで気が遠くなる。クレオンもさぞかし苦労しているのだろう。彼の場合は仕える相手が自分という特殊過ぎる状況だが。
(あ、コート返してもらわなきゃ)
次にクレアかクレオンと顔を合わせたら言おう。ジキルが意向を固めていると、サディアスが唐突に言った。
「それにしても『ジキル』なんて、男みたいな名前だな」




