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四章(一)帰ってきた第三王女


 ジキルとは城門を通ったところで別れた。

 彼は客室へ案内され、クレアは自室へと通される。王族の居住区に客人の立ち入りは許されていない。堅苦しいしきたりが今はありがたかった。いずれは知ることになるだろう。しかし、できることならばジキルには自分が普段どんな場所で日々を過ごしているのかは知られたくなかった。ましてや同情などまっぴらだ。

 城内の隅にある離塔に衛達と向かう。絢爛を誇る王城に比べれば質素――要するに地味で無骨な小さな塔。北向きのそれが第三王女のクレアに与えられた唯一の居場所だった。囚人を護送するような物々しい一行にも慣れてしまえばどうということもない。

 出迎えるのはレオノーレただ一人。それも、いつものことだった。

 レオノーレはクレアの姿を見るなり、目を潤ませた。監視役による『引き渡し』が行われている間はなんとか堪えていたようだが、塔内で二人きりになった途端、クレアの身体をあちこち触って無事であることを確かめる。

「お怪我はございませんか?」

「心配性ですこと。わたくしはもう十六ですのよ」

 十六だろうが二十六だろうがレオノーレにとってクレアはいつまでも子供なのだろう。それを悪くないと甘んじてしまうから自分も相当なものだ。

「私のせいでクレア様の身に何かあったとなれば」

 クレアは苦笑しチョーカーを外した。

「なるほど。君は自分に責任が及ぶのではないかと心配していたわけか」

「怒りますわよ、クレオン様」

 軽く睨むレオノーレ。彼女が自分の保身を考えるような従者ならば、母に続いてクレアに仕えたりはしないだろう。自ら干されに行くようなものだ。

「冗談だ」

 クレア――いや、クレオンは緊張感が解けていくのを感じた。

 王女の時でも、一介の騎士の時でも、人前ではいつも気を張っていた。万が一にも正体を気取らされるような失態は犯せない。弱みを見せるわけにはいかない。周囲は全て敵の状況に四六時中立たされているクレオンは、自分でも思っている以上に疲れていた。

 だから、ジキルなんぞに正体を明かす羽目になったのかもしれない。自らの『甘さ』をクレオンは反省した。

「湯浴みの準備は整えております。まずはゆっくりお休みになり、旅の疲れを癒されてはいかがでしょう」

 さすが侍従長、気が利いている。クレオンはコートを脱いで「そうさせてもらう」と答えた。椅子の背もたれにコートを掛けて浴室へと向かう。

 湯浴みを手伝う侍女はいない。用意されている浴槽も大理石造りだが小さなものだ。

 従弟王子・王女達は、十数人が一度に入れるくらいの豪奢な浴槽に、最高級の乳香を溶かし込んだ湯が張られているというのに。部屋に一つしかない窓からは見える王城を、クレオンは挑むかのように睨んだ。

「クレオン様、こちらの外套はいかが致しましょうか」

 レオノーレがわざわざそう訊ねたのは、あまりにも古いコートだったからだろう。おまけに汚れている。斜面を転げ落ちた時に裾が裂けてしまっている。改めて見ると酷かった。こんなものを羽織って人前に出ていたのだと思うと、クレオンの頬は赤らんだ。さぞかし滑稽だっただろう。今頃は城内でもの笑いの種になっているかもしれない。

(あの田舎者……っ!)

 根なし草だから服には頓着しないのだろうが、クレアは王女だ。少しくらい配慮してくれてもいいのではないだろうか。町に着いた時にコートを買うことだってできたはず。

「処分してくれ」

 クレオンは言い捨てた。

 ぼろぼろの外套を着て帰還した王女。その傍らにいるのは武勲をあげただけの流れ者。反逆者の娘には相応しいと貴族達の間で囁かれていることだろう。兵士達の間でもクレア=リム=レティスは先代国王の血をひいているのかと疑問視する声がある。そういった誹謗中傷を聞くのはもっぱら身分の低い『クレオン』の役目だった。

 王女と騎士、二つの顔はクレオンにとって弱点であると同時に切り札でもあった。

(僕はこんな所では終わらない)

 王族では最下層の扱いも侮辱も、目的を果たす日まで耐え抜いてみせる。今の幸運に胡座をかいているジキル=マクレティとは違うのだ。


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