(十二)決意を固めた放浪者
日が暮れかける頃には森を抜けた。すぐそばの街道を走る乗合馬車を拾うこともできて、近くの町まで運んでもらう。
乗り合わせた行商人に話を聞いたが、クレア王女遭難はまだ公にはされていないようだった。まだ一日も経っていないことだし、仮に一週間経過しようとも一国の王女が行方不明だのとおいそれと公表しないだろう。王家の威信にも関わる問題だ。
まさか目の前に座る丈の大きい外套を着た小娘が王女などとはつゆ知らず、行商人は王都や地方の町でのことをぺらぺら話した。王都はもちろん、主だった町では、邪竜オルブライトを倒した英雄ジキル=マクレティが、囚われの王女クレア=リム=レティスを娶るともっぱらの噂らしい。
もう地方にまで話が広がっていたんかい。ひと月も経っていないのにこの早さは驚嘆すべきものだ。婚姻どころか婚約だって決まっていないというのに。
適当に相槌をうちながらもジキルは隣のクレオンが気になって仕方がなかった。関心がないかのように窓からの景色を眺めているが、内心では腸が煮えくりかえっているのかもしれない。弁明もできないこの状況が歯痒かった。
暗雲がたちこめる中、乗合馬車は町に辿り着いた。金は乗る時に払ったので御者に挨拶して、降りる。行商人には手を振って別れた。
町には必ず衛兵の詰め所があるので、そこを訪ねるつもりだった。場所はすでに行商人から聞いている。
「あともう少しですから」
それまでの辛抱だと声を掛けると、それまで通りを行き交う人々を見ていたクレアが振り返る。ジキルは身構えた。二人きりになったのを幸いに、また文句を言ってくると思ったのだ。しかし、クレアの口から出たのは全く別種のことだった。
「旅慣れていますわね」
「まあ、故郷飛び出して以来、三年近く放浪していますから」
ロイスに悪いと考えたことはなかった。適材適所。妹の帰る場所を用意するのはロイス。妹を連れて帰るのはジキル。相談しなくてもわかることだった。
「あの、ところでクレア様……婚姻のことですが」
詰め所に行ってしまえばそのまま王都へと戻るのだろう。城に入ってしまえば二人きりになる機会など与えられないだろう。掛け値なしの本音を語り合うには今しかなかった。
「国王陛下には俺から断っておきますね」
道中ずっと考えていたことだった。違和感とも違う釈然としない想い。期せずして『クレア王女の事情』を知ってしまった時に、ジキルの中であやふやだったものは明確な形を成した。
「考えてみたら、クレア様に言わせるのも筋違いです。婚約できないのは俺の個人的な事情のせいで、クレア王女にしてみれば『ちょっと都合が悪い』だけのこと。国王陛下に逆らってまで阻止すべきことではありませんから」
クレオンとクレア。二つの人生を歩む理由なんてジキルには想像もつかない。しかし、この少年が自分以上に理不尽なことを押し付けられて生きていることだけはわかる。カスターニ伯爵との婚姻がクレアにとって有益となるのならば、邪魔者は自分だ。ジキル=マクレティが辞退すれば済む話だった。
(当分、根なし草だろうなあ)
お断りします。はい、そうですか――では終わらないだろう。いざとなれば城から脱出し国外へ逃げ出すしかない。ロイスにはいざという時の備えはさせてある。リーファン王国を離れ、北のアルディール王国に移住。それでも追手がかかるようならば、ファラレンに行ってもいい。どこへ行ってもやっていく自信はあった、自分達三人ならば。
「ジキル」
低い声が呼ぶ。一瞬、それが自分を示す名だということにジキルは気がつかなかった。
何故チョーカーを外しているのだろう。彼に名を呼ばれるのは初めてだが、どうしてこの場面で。様々なことが頭を駆け巡った結果、反応が遅れた。
「え? ああ、うん」ジキルは慌てて訊ねた「どうかしたか?」
クレア王女――もといクレオンの目とかち合う。明らかに挙動不審なジキルを訝しむわけでもない。真っ直ぐで、ともすれば切羽詰まったような形容し難い眼差しだった。思考と一緒に身体が縫い止められた。
クレオンはわずかに目を伏せる。逡巡と憂いを帯びた双眸に、やがて決意の光が宿った。
「……僕は、」
「クレア様!」
なんというタイミング。近衛兵の一団が進行方向から姿を現した。詰め所から慌てて駆けつけたのだろう。様子から察するに魔獣襲撃の知らせは、既に王室にまで届いているようだ。こちらへ向かってきた近衛兵達は馬から降りて、右の拳を胸に当てた。リーファンの騎士の作法だ。
「よくぞご無事で」
先頭に立って社交辞令を述べたのは、ジキルとそう変わらない歳の青年だった。胸には近衛連隊長であることを示す勲章と飾り紐――クレオンと同じものだ。おそらく二つか三つは向こうの方が年上だろうが、近衛連隊長にしては若い。
クレオンといい、リーファン王国の騎士団は若年化が進んでいるのだろうか。思わずジキルは若き近衛連隊長を凝視した。
不躾な視線をどう受け止めたのか、近衛連隊長はジキルに向き直る。
「失礼致しました」
折り目正しく一礼。丁寧な所作だった。
「サディアス=ドナ=オズバーンと申します」
癖のあるハシバミ色の髪が特徴だった。いわゆる猫っ毛というものだろう。「くるん」として「くりーん」とした髪は優しげで穏やかそうな面持ちと相まって、好印象。背はクレオンよりも頭一つ分高い。澄んだ目には知性も感じられた。
「ジキル=マクレティです。よろしく」
ジキルが差し出した手をサディアスはしっかりと握った。
「君の評判はかねがね伺っているよ」
親しげで嫌味のない口調。屈託のない笑顔。今まで会った貴族の中で一番友好的な挨拶だった。
「ぜひ一度手合わせ願いたいな」
それはご勘弁を。やんわりと断ろうとしたジキルをクレアが遮る。
「およしになった方がよろしくてよ」
サディアスは目を瞬いた。
「クレア様、それはどういう意味でしょうか?」
すでに首にチョーカーを装着していたクレアは薄い笑みを浮かべた。
「失礼。ただ、理想は理想のままにとどめておくべきかと思ったもので」
どこから取り出したのか、クレアは扇を広げて口元を隠した。優雅な動作もこの台詞の後では嫌味にしかならない。
「相変わらず手厳しい」
サディアスは苦笑した。
「お喋りはもう結構です。わたくしはいつまでこんなみすぼらしい格好をしていなければならないのでしょう?」
暗に早く城に連れて行くように言うクレア。その黒髪は乱れ、礼装は裾が裂けて汗と土埃にまみれている。なるほどたしかに酷い格好だ。元が美しいだけに一層惨めさが際立つ。
「馬車をご用意しております。ただ今ご案内致します」
伝令係と思しき衛兵に、サディアスは指示を出す。もろもろの出立準備をしているのを眺めつつ、クレアはコートについた埃を払った。
「これでようやく解放されますわ」
クレアは特に『何が』みすぼらしいとは言わなかった。が、ジキルには貸したコートのことを示しているように思えてならなかった。
わずかに顔を顰め――不意に思い出す。つい先ほど、クレオンは何かを言いかけていた。
「あのクレ……ア様、先ほどは何を仰るつもりで?」
クレオンもといクレア王女は短く息を吐いた。瞳はもう揺れていなかった。
「何のことでしょう」
冬の湖面に氷が張ったような、冷たい表情だった。




