(十一)世にも幸せな魔女
なだらかな斜面をひたすら無言で二人はおりていった。クレオンは元々お喋りな方でもなかったし、ジキルも敢えて話しかけるようなことはしなかった。『クレア王女』と違うのは沈黙が苦にならないことだ。気が向いた時に話せば、クレオンは答えてくれる。
「川に近づいているね」
耳をすませると、せせらぎが聞こえる。クレオンは立ち止まり、音で川のある方向を見当付けた。
「好都合だ。日が暮れるまでには山を下りたい」
ジキルも同意見だった。一人ならば山での野宿もできるが、何の準備もないクレオンはきついだろう。上にジキルのコートを羽織っているが、中は女性用の礼服だ。靴だって余所行きで、山歩き用とはかけ離れている。
「その格好、歩きにくくないか?」
「愚問だな」クレオンは憮然として答えた「歩きにくいに決まっている」
相変わらずとっつきにくい。しかしクレオンも王女の仮面を被る必要がなくなったせいか、先ほどまでの張り詰めた気配が少し薄らいでいた。
ほどなくして川を見つけて、後は早かった。流れに沿って下っていけば、町に辿り着く。おそらくクレア王女捜索隊も待機していることだろう。早く合流して、王都に戻って――今になってジキルは思い出した。
(……婚姻)
そう、自分と『クレア王女』は婚約を結ばされそうになっているのではなかったのか。
「なあクレオン」
ひとまず、ご本人様の意向を確認してみることにした。
「そもそも『ジキル』と『クレア王女』の婚姻には無理があった、ということだよな? おまえ、男だから……あ、陛下はそのことを知らないのか?」
「陛下はご存知だ」
「知ってて俺と結婚させようとするのか!? 俺だって男だぞ。無茶苦茶じゃないか」
「『クレア』は女だ。世間的にはそういうことなっている」
クレオンは小さく舌打ちした。
「そんなに嫌なら、クレアが馬車から転落した時に見捨てればよかったものを。何故僕を助けようとした」
「いや理由を求められてもなあ」ジキルはしばらく考えてから「強いて言えば母さんの受け売りかな。他人にはとりあえず親切にしておけっていつも言ってたから」
「真面目に答えろ」
クレオンは憮然として剣の柄に手を伸ばした。
「本当だって」
ジキルは木の根を跨いでクレオンから少し離れた。二人きりで山道を無言で歩く。沈黙に耐えかねてジキルは少しずつ母のことを語った。
「俺の母さんは、山奥の集落に住んでいたんだ。ある日崖から転落して身動きできない男の人を助けて――まあここからはよくある展開だ。二人は恋に落ちて、母さんは駆け落ち同然に集落を捨てて父さんと一緒になった」
クレオンは冷笑した。
「さぞかし幸せだろうな」
「うん。裕福とは言えなかったけど、賑やかで楽しかったな」
でも長くは続かなかった。
「生まれた娘が魔女だったんだ。母さんが魔女の一族出身と知るなり、父さんは離縁状を突きつけた。以来、母さんはたった一人で俺達兄妹を育てた」
父を責めることはできなかった。この国では魔女であること自体が罪なのだ。ほんの数年前まで、人を殺めたとしても、被害者が魔女ならば無罪放免にさえなるような世の中。役人に突き出されなかっただけマシだと言えよう。
「その母さんも、もう死んだ」
「病か?」
「狩られた」
抑揚のない一言で、クレオンの顔が強張った。意味を的確に察したのだ。
魔女の持つ魔導石は、魔獣のそれとは比べものにならないくらい純度が高く、魔力の出力も膨大だ。王国法で人間の魔導石の売買は禁止されているが、裏では今もなお高値で取引されている。そもそも、魔導石を見ただけで魔獣のものか魔女のものかを判別する手段がない以上、魔女狩りの根絶は難しい。
「……酷い話だな」
呟くクレオンの声に皮肉げな響きはなかった。
まったくもってその通りだ。本当に酷い話だ。でも、大陸中のどこにでも転がっている話だった。ジキルの家庭がとりたてて不遇だったわけではない。
「本題から逸れたな。その、あまり幸福な人生とは思えない母さんに訊いたことがあるんだ。父さんを助けたこと、後悔してないかって」
努めて明るく言ったつもりだったが、クレオンの表情は晴れなかった。
「なんて言ったんだ」
「不思議そうな顔してたよ。なんでそんなことを訊ねられるのか、全然わからなかったらしい。困っているようだったから、なんとなく親切にしただけだって」
ジキルは苦笑した。娘の自分が言うのも変だが、母は子供っぽくて、どこかいい加減で仕方のない人だった。魔女だと知った途端そっぽを向いた薄情な男をしかし、あの時救っておいて良かったと本気で思っていた。
「胸張って言ってたよ『他人に親切にしたおかげで、あんた達の父親になる男と出会えた』ってね。そんな『幸運』はどこに転がっているかわからないから、逃しちゃ駄目なんだってさ」
傍から見たら惨めで酷い人生だっただろう。でも本人にしてみたら、立派な人生だった。きっと、彼女が誰よりも楽しんで生きていたからだ――レナ=マクレティは、そんな母だった。
しばらく黙って歩いていたクレオンが不意に訊ねた。
「お前、妹がいるのか?」
「二つ年下の。三年前に家を出たっきりだよ」
口にすれば否が応でも思い起こされる。妹の怒りに震える手。失望した顔。軽蔑の眼差し。表情豊かな妹なのに、どういうわけか最後に見た姿が離れなかった。
「あまりいい顔されないから他人には伏せているんだけど、クレオンには言っておくよ。俺はね、妹を探してるんだ」
ジキルは立ち止った。少し後ろを歩いていたクレオンを振り返る。
「だからごめん。クレア王女とは結婚できない。魔女の親戚が王家の一員になるわけにはいかないだろう?」




