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  (九)男装の姫

 クレア=リム=レティスは陰の薄い王女だった。

 生まれた時から標準よりも身体が小さく、弱かった。風邪をひいただけで生死の境を彷徨うため離宮にこもりきり。幼少時代はよく発熱しては倒れ、周囲を騒がせていた。その虚弱体質故に人前に出ることはほとんどなかったという。

 母であるエリシア前王妃は、身体の弱い我が子を案じ、国内のみならず大陸で有数の医者や薬師、はては呪術師までも呼び寄せて診させた。その行為がやがて魔女疑惑を生むことになるわけだが――それはさておき、努力のかいもあって齢十を数える頃には人並み程度の健康を手に入れたクレア王女。だが、アダム国王の崩御、そしてエリシア王妃による次期国王暗殺の嫌疑はその子であるクレア王女にまで及んだ。結果として、彼女は王位継承権を第五位にまで下げられ、静養を名目に再び離宮へと閉じ込められた。

 公の場に出ることもなく、誰かに顧みられることもなく、ただひたすら月日が過ぎ去るのを待つ日々。世捨て人よりも孤独で、牢獄の囚人よりも無意味な生活が、クレア王女をどう変えたのか。それを知る者は、ほんのわずかだった。



『クレア王女』はおもむろに自身の首に手をかけた。軽やかな音を立てて留め金が外れる。いつも身につけている黒いチョーカー。手のひらのそれをつまらなさそうに一瞥し、軽く握った。

『彼女』は深いため息をついた。

「一体なんだその様は」

 澄んだ声が吐き捨てる。女性らしからぬ低いそれは、紛れもなく『彼』の声だった。

「何度言ったらわかる。無駄な動きが多い。無駄に力を入れ過ぎている。そして全く考えていない。あれでは騎士見習いの方がよほどマシだな」

 次々と浴びせられる罵倒の言葉は、ジキルの耳を素通りした。小柄な痩躯。炭のように黒く艶やかな髪。それと対照的な白皙の顔。深い紫の瞳。何故気づかなかったのだろう。思い当たる節はいくらでもあったのに。

「クレ、オン……?」

 茫然とした呟きにクレア王女――否、クレオンは小さく頷いた。

「どうして? なんでクレオンが、王女様?」

 替え玉、という単語が頭に浮かんだ。だが、いつ入れ替わったのだろう。

 短絡的な発想を見透かしたようにクレオンはクギをさした。

「言っておくが、僕は正真正銘のクレア=リム=レティスだ。この後に及んで『替え玉』などとくだらんことを考えるなよ」

 黒いチョーカーに施された月桂樹の紋章は王家にのみ許されるものだ。奪ったのでなければクレオンは王族ということになる。そしてクレオンは、盗みを働くような人間ではなかった。まあ『替え玉』だとすれば王家の紋章くらいは持っていてもおかしくはない、とも考えられるが。

 クレオンの主張には信憑性があった。仮に、彼がただのクレア王女の替え玉だったのならば、馬車から転がり落ちた時点でジキルに打ち明ければ済むことだ。絶体絶命の危機的状況に陥るまで正体を明かさなかった。それは、とりもなおさずクレオンが本当のクレア王女である証拠であるように思えた。

「そう……だったのか」

 ジキルは呟いた。違和感はあった。整い過ぎている顔立ちにも、十六の少年にしては華奢過ぎる身体にも。

「まさか王女様が男装していたなんて」

 ジキルと体格が変わらないのも頷ける。ともすれば親近感さえ抱くジキルに対し、クレオンの表情が凍りついた。

「男装、だと……?」

 低い声は微かに震えていた。ジキルは首を傾げる。

「男装って言わないか? 王女様が少年騎士のふりをしているわけだから」

 クレオンは俯いた。薄い唇が何事かを呟くが、あいにくジキルには聞き取れなかった。長い前髪に隠れてクレオンの表情も伺えない。

「……この、」

「ん? どうかしたのか?」

 ジキルはクレオンの顔を覗き込んだ。艶やかな黒髪の奥にある目にジキルの顔が映る。途端、その眦が勢いよくつり上がった。

「誰が『王女』様だ、この大馬鹿者がっ!」

 大音声が、不用意に近づいたジキルの耳をつんざく。怒りに震える手を自身の胸に当ててクレオンは宣言した。

「僕は男だ!」


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